横浜スローライフ -- My slow life in Yokohama

位置情報、地理情報に関するサービス、その他日常生活から思ったことを気ままに記す不定期のんびり日記

ノスタルジックな話

2008年01月30日 23時39分22秒 | 地理情報関連
 最新号のGIS NEXTを手にしていて、名古屋市交通局の市バス地下鉄路線図サイトの「なごや地図ナビ」のi紹介記事を見つけた。ようやく名古屋市もこのようなサイトを設ける気になったのか、と感慨深い。というのも、昔(確か1985年)に名古屋市交通局が市内全戸配布で「市バス地下鉄路線図」という8色刷の地図を作成した際に、その営業企画担当をやったから、この分野にはちょっと思い入れがあるのだ。当時、全戸分(84万部)という部数という規模は、当時の勤務先でも初めてのもので、そんな大きな仕事のフロントに立たせてもらったのは本当に興奮した。今までにない表現図式と計算し尽くした色づかいで、バックのグレーの地図の上に、市内全てのバス路線がくっきりと浮かび上がるように設計されていた。バックのグレーの色調が全体の仕上がりを決めるため、本番の印刷立ち会いに出かけていってあれこれ調整をしたことを思い出す。

 さて、GIS NEXTの記事中には、「名古屋の人は(Googleの地図ではなくて)名古屋に本社のあるこの会社の地図を見慣れている」という趣旨のコメントが書かれてあった。確かにその通りである。84年7月に東海地方で発売された地図帳は、情報量の多さと色彩の斬新さで地図としては異例のベストセラーとなり、クルマ社会の名古屋を支える必需品と呼んで良いほどの普及を見た。今、昭文社の地図で普通に目にする色づかいは、実はこの時の色づかいの模倣である。そのオリジナルの色づかいはどの様にして出来上がったのか、その過程を知っている人は、もうその会社にはほとんどいないのではないだろうか。

 当時の地図作りは手作業であり、情報表現の豊かさを求めようにも、製版作業の繁雑さと作業コストの限界があり、コンピュータ化は時代の要請であった。PC9801から始まった手探りのシステム化がその会社の将来を変えていった。当時はPC画面上に線を引くような1つ1つのライブラリ自体を書いていかなければならないような時代で、今から思えば、よく商品発売までこぎ着けられたと思う。とは言え、当初見込みよりも倍以上の歳月がかかり、当時の社長が「(借金が増えるばかりで)夜も眠れない...」とよくぼやいていたのを思い出す。その当時私は、”何をそんなことで眠れないのだろうか”とよくわからなかったのだが、今その立場になって、眠れない夜にしみじみと思う。事業経営者とは、かくもしんどいものなのかと...

 完全にデジタル化された地図帳が商品化されたのは、忘れもしない90年9月7日である。そしてその日から、会社は「名古屋ご当地」から、全国展開への一歩を踏み出した。デジタル化は地図表現の多様さを実現し、手作業から解放され、コストや工期面でのメリットも計り知れなかった。私はそこでも印刷会社に色味の立ち会いに出かけたり、広告宣伝の企画を練ったり、関西地区の書店を回って商品導入の依頼をしたり、とにかく一所懸命だった。関西での成果を持って、今度は東京進出のプロジェクトが始まり、94年にそれが実現した。

 当時、地図といえば、出版物くらいしかリアルなマーケットはなく、まだカーナビは一部の限られた企業が参入している”ニッチ”だった。私にとっても、どれだけ実用性あふれる魅力的な地図帳を市場に投入するかが最大の課題だった。一方、趣味でPCを組み立てたりしているうちに、この地図をPCで扱えるようになったら、全然違った可能性が開けるのでは、と自然に思うようになった。ただ、CD-ROMドライブ自体が珍しい時代でもあり、市場としてどのくらい期待して良いのか、誰も期待はすれども見当がつかない状況だった。そんな時代に電子地図プロジェクトをやらせてくれた当時の社長の器の大きさを今になって思う。(きっとさらに眠れなくなったのだろう)

 あれから十数年が経った。

 当時その会社を支えた企業、人材は大幅に入れ替わった。そして事業内容も様変わりした。出版分野は地元の名古屋以外からは撤退し、自社コンテンツの比重はどんどん低下し、地図サービス事業を主として行っていて、もはや「地図会社」の範疇には入らなくなりつつある。

 例を挙げよう。既にお気づきの人も多いと思うが、Yahooの地図のうち、少なくとも詳細図はGoogleマップと同一である。つまり、ゼンリンはGoogleにもYahooにも地図を提供している。そして色だけをYahoo調に変えているだけである。また、情報量にこだわっていた昔の勤務先とは違い、地物情報が妙にスカスカしている。

 面白いことに、色づかいだけがその時代のままである(逆にそれ以外は全部替わってしまっている)。事業としてみた場合、その会社が今に残せる資産は地図のデザインだけだったのか.... しかし、その唯一かもしれないデザイン資産も、これほどまでに「GoogleMaps調」が普及してしまうと、その色にしないと、ネットではかえって不利になる。おそらく、早晩に色調も「パッと見Google」になっていくだろう(名古屋の人にはそれには抵抗があるだろうが)。となると、一体何が残されるのか?何もないではないか。

 地図がインターネットのコモディティ(日用品)になる時代は、ポータルサイトにおいては、地図自体でこれ以上差別化しても余り意味が無い。そうすると日本には地図コンテンツを自力で提供できる企業はせいぜいゼンリンと、カーナビ市場に基盤を置くもう1社くらいに絞られ、出版系をルーツにする会社はネットではたぶん生き残れないだろう。

 十数年前、地図のデジタル化による夢の実現に心湧き躍った結果が、こんな感じに結末を迎えつつあるのは残念だ。”地図=Googleマップ”と思っている人が徐々にまわりに増える一方で、地図業界に身を置いた者としては正直面白いわけがない。

 ただ、私は少なくとも99年には「地図コンテンツだけではそのうちに行き詰まる」と気がついていていた。だから違うアプローチをする立ち位置に変わった。そして、紆余曲折があって今の会社を始めた。自分で会社をやるというのは、自由さも手にはいるが、それ以上に自由にやれる範囲が少ないのだ、ということを思い知る。特に、日本ではスタートアップフェーズの企業への直接金融システムが発達していないので、良い技術やアイデアがあっても、日銭を稼げないことにはサバイバルできない。一方で、同じことをやっていても、大企業の関連会社や事業部門ならば、何年も実態が赤字となっていても支援がされたりする。そんな事始めからわかっているよ、という人も多いはずだが、実際にこの立場になってみないと、それはしみじみとはわからない。今にして反省する、あの社長の気持ちをこれっぽちもわかろうとしなかった自分の恥ずかしさを。

発表会

2008年01月27日 23時51分46秒 | スローライフ
 今日は子供の習い事の発表会があり、葉山町のホールに出かけていた。習い事はバイオリンなのだが、その生徒さんの顔ぶれは実に広い。昔も今もバイオリンは子供の習い事としては定番であるが、生徒さんの半分は大人(中年以降)である。大人になって初めてバイオリンを始めた人、子供の頃に習っていて、時間のゆとりができて再開した人など様々。当然、腕前もピンキリで、パガニーニのコンチェルトを披露してセミプロとしてやっていけそうな人もいれば、お世辞にもセンスがあるとは思えない人もいたりする。

 それはそれとして、驚いたのは子供の部のレベルの高さである。どう見ても幼稚園の年中組くらいにしか見えない女の子がザイツのコンチェルト第二番を堂々と弾く。かと思えば、ヘンデルのソナタ第三番を華麗に弾く子も(たぶん小学校1年くらい)、さらに4年生くらいの子がコレルリのラフォリアを、大人顔負けの表現力で弾く。おそらく、この中からプロの演奏家が育っても不思議ではない。我が子とは全然レベルが違う... ともあれ、「バイオリンのお稽古」というにはもったいないくらい、聞いていてもエンターテインメントとして十分に鑑賞に堪える演奏が多い。
 
 実は私も4歳から16歳まで習っていたことがある。その時の自分の腕前を比較すると、自分が恥ずかしくなる。しかし当時は私の腕はそんなに下手な方ではなかったと自覚しているので、やはり今日日の生徒さんのレベルが違うのだ。

 それもそのはずである。親世代が既にバイオリン、チェロなどの弦楽器をやっていて(中にはアマチュア演奏家もいたりして)、その子供達がいるのだ。生まれながらに音楽的な環境に恵まれている(特に、横浜南部、鎌倉、逗子付近にはプロ・アマ問わず演奏家が多数いるらしいので、そもそもレベルが際だって高いのかもしれないが)。もちろん講師の腕も良い。我が子が師事している先生も、私が今まで出会った中でも最も演奏のクオリティが高い。

 こういう状況を見ていると、日本は間違いなくクラシック音楽分野で優れた演奏家を次々に輩出する国になるだろう。

 演奏家のタマゴの話はともかくとして、最近地理情報業界では某業界誌のT氏の演奏によってバイオリンは一気にポピュラーになっている。私も30年前の経験を頼りに再開してみようかな、と思ってしまう。もし、そういう時間が取れればの話であるが...

リスの疾走

2008年01月26日 14時53分14秒 | スローライフ
 今日、子供と近くの公園に行っていたら、その近所の家に生えているキンカンの木の実を美味しそうに頬張っているリスを発見。このリスは、タイワンリスといって外来種であるが、三浦半島・鎌倉から横浜南部にかけて広く棲息しているので、実はあんまり珍しいことではない。だだ、遭遇するとしぐさがかわいくて、ついつい嬉しくなってしまう。
 携帯のカメラを向けたら警戒して逃げ始めた。運良く疾走風景(空中を飛んでいる)を収めることができた。
 空中浮揚!

45分間のプレゼンテーションin English

2008年01月23日 01時20分01秒 | この業界界隈の英語
 よせばよいのに...やってしまった。それも45分も。

 海外ではない、日本の、しかも東京のど真ん中である。アジア圏から20名程度の参加者かと思ったら、意外や意外、その数倍の参加者で会場は溢れかえっていた。私の出番の直前で全体セッションが終わり、私のはスペシャルセッションの中に位置づけられていたのだが、それでも40名くらいは参加者がいたような気がする。一瞬緊張したが、マイクを持ってしゃべり始めると元気になる性格故、最初の5分間で笑いを取って(これ重要!)、あとはいつものペースだった。

 で、会社の宣伝、じゃなくてFOSS4Gについての説明を行った。参加者はGeoな人よりはITの人が多いと言うことなので、FOSS4Gについて、シンプルにわかりやすく説明を心がけた、と書くともっともらしいが、”シンプルな英語でしか説明できない”からでもある。会場でラガワン隊長に「わかりやすかったです」と(日本語で)コメントをいただいたのは嬉しかった。

 今回は時間が半端じゃないので、我ながら珍しく会社の会議室にこもってリハーサルまで行ってみた。でもネイティブの人と比べると、同じ時間で4分の1のことも話せないのは、(自分の努力不足を棚に上げておいて)やっぱり不公平だと強く思う。

 言い訳はここまでにしておいて、私にとってはFOSS4G2007以来の英語のプレゼンテーション。場数が少ないのか、いつまで経っても上手にならない。

1ヶ月経過

2008年01月19日 18時09分51秒 | ビジネスetc
 みなとみらいに引っ越してからちょうど1ヶ月が経過した。

 私もようやくこの環境に慣れてきたところである。しかし、昼食だけはどうにもならないなぁ..と思っていたら、何と入居しているビルの1階にオープンした中華料理店が、メチャリーズナブルなのである。しかもうまい。ランチは650円から選べて腹一杯。ラーメンを単品で頼めば、525円で済んでしまう。一体この手のビルで採算が合うのかどうか気になるのだが、話しによれば、野毛にある人気店の支店らしい。
 ここなら毎日来ても良い、というコメントが社員から出るくらい美味しいし、メニューは豊富だし、何と言っても会社から一番近い!(前の「農協食堂」状態)

 これで昼食難民からひとまず解消されそうだが、それはそれとして、やっぱり人工的に出来上がった街はいろんなところで足りない。まず驚くことに都市銀行の支店がこのエリアには無い。郵便局は近くに2つあるが狭くていつも混んでいる。銀行ATMの絶対数も少なく、やはりいつも混んでいる。みなとみらいのオフィスビル自体、バブル崩壊後の最悪期に相次いでオープンしたこともあり、銀行も出店計画どころじゃない時代だったことも理由だろう。とにかくこれだけ企業が入居しているのに、徒歩10分(桜木町)の横浜銀行以外は法人窓口を持っているところが無い。みなとみらいは、三菱地所がメインのディベロッパーならば、東京三菱UFJ銀行を誘致して欲しいが、それは関内には2つもあるが、広いみなとみらいエリアには影も形もない。

 生活環境的にもいろいろ足りないし、周辺に林立する高級なタワーマンションにお住まいの人たちは一体どうやって生活を成り立たせているのだろうかと不思議になる。子供が遊べる公園もないし...

 1つ確実に満足していることは、オフィスの環境そのものである。以前と比べるのが間違っているかもしれないが、海岸通のビルでは、電源容量は常に不足していて、すきま風はひどいし、空調は温度調整がうまくいかないばかりか、旧式で轟音がとどろいていたし、柱がじゃまになってスペースを有効に活用できなかった。それを今の環境と比べると、賃料単価の差を考慮しても、満足感はすごく大きい。心おきなく仕事に専念できる。

 しかし、しかしである、そこで働く人にとっては、周辺の生活関連インフラの絶対的な不足は看過できない。今また、このビルの目の前を始めとして、新しい巨大オフィスビルが2009年の開港150周年を目指して建設されている。そうなったらこのエリアで働く人は何千人から1万人以上増えるわけで、昼食生存競争がさらに厳しくなりそうでマジに憂鬱である。

Brianさんと再会

2008年01月13日 00時02分49秒 | 地理情報関連
 昨年9月のFOSS4G2007で、「変な外人トリオ」を紹介した。よくもまああの会場で日本語を流暢に話すGeekが3名も集まったものだ、、、と感心していたら、その中の一人、Brian Dorseyさんから”今度日本に行くので会えない?”とメールが。彼は静岡県出身の奥様と帰省?のための来日で、わざわざ横浜までお越しいただけるとのこと。早速連絡を取り合って、金曜日に奥様と一緒に来社していただいた。
 彼があまりにも日本語が上手なので、会話は基本的には日本語。ただ、我々側にも日本語が苦手な人もいるので、そういうときは英語モードに切り替え、時にはチャンポンで会話が弾む。

 さて、Brianさん達とみなとみらいのレストランでランチを食べたのだが、その場で彼が持ち出したのはこれ。
 あの100ドルPCとして知られるOLPC

 発展途上国の子供用のPCなのだが、2台を買うと1台を寄贈、もう1台を自分で使えるということで、BrianさんはさすがGeek!やっぱり買ってしまっていた。まだキーボードなど動作が不安定なところがあるようなのだが、バッテリーが5~6時間持ち、WirelessLANが優秀、軽くてOSがLinuxなので、コンソールとして使っているとか...目的が違うじゃん!という突っ込みはこの際置いておいて、ともあれこのマシンは楽しそう。

 しばし、私の会社側のGeek達の餌食になって、特にpgRoutingのコアディベロッパーの某A氏は、食い入るようにいじくっていた。
あ、そういえば全然Geoな話しはしなかったっけ...ちなみに、彼はこんなサイトを趣味で運営している。

 FOSS4Gは一種のコミュニティなノリがあって、こうしたつながりができていくのが大変面白いと思う。もちろん、今回はビジネスのつながりでは無いのだが、FOSS4Gの世界を一所懸命やっているおかげで、文字どおり国際的に私の知人も増えている。そういう交流の中から、今私が日本でやっていることだけではなく、日本のIT業界の客観的な位置もいろいろ見えてくる。面白いというか、いろいろ考えさせられる。

さぁて仕事再開!

2008年01月06日 22時47分43秒 | スローライフ

 丸一週間にわたる休暇が終了した。とは言っても、1日と4日になにげに会社に出てしまったし、年末年始は大掃除とか初詣とか何もせずに、じつは会社のホームページのコンテンツをあれこれいじくったりしていたので、結局休暇になったかどうかはわからない。

 会社のホームページであるが、「何をやっている会社かわからない」「小さな字でいっぱい難しそうなことが書いてある」と評判がイマイチだった。そして、悲しいことに、この私の与太ブログの方が、圧倒的に訪問者が多いorz、、のだ。ブログと会社のホームページを同じ土俵で比べるのは筋違いであるが、正直なところ、会社のホームページのアクセス数が増えた方が「商売繁盛」につながる(ような気がする)ので精神衛生上この上なくよろしい。
 そんなことを思いながら、今までのホームページコンテンツを見ていると、確かに文字ばかりだし、何と言ってもシンプルさが無い。「これって何?」と聞いてはいけないかのような雰囲気すら漂っている。確かに、このホームページの原型をデザインした際(2004年春)は、「小さくてもこの業界で誰もしていないことをやるとんがった会社」であることを精一杯強調していた。そして、「この会社って結構専門的だなぁ...」と思ってもらえれば目的達成!的なノリでもあった。もうそれから3年半が経って、私の会社でやっていることは、そんなに特殊なことでもなく、ある意味では誰でも始められるようになってしまった(奥が深いのは今も昔も確かだが...)。あんまり専門性っぽくとんがっていては、かえって仕事の機会を失ってしまうかもしれない。

 ということで、今回の内容改訂で、「会社がしていることを簡潔に説明する」ことを意識した。基本デザインが今まで通りで、しかも私の手作りなので、見た感じに進歩があまりないのが残念ではあるが。
 改良点としては、会社のビジネスのコアになっているこの製品の構成を図で説明をして、メインストリームのMapServerとの差がわかるようにするとか、海外での知名度が高い割には国内で知られていないPostLBSって何なのとか、クライアントGISユーザーには絶対にお奨めの地図配信サービスが実はあったんです...とか。
 特に最後のものは、使っている人からは「とっても重宝しています」と言われるのだが、ホームページでは、サービスの概要よりも技術的な文言が先走っていた。そのためか、私の会社を知っている人でもそのサービスを知らないことが多くて、PR面で相当損をしてきていた。

 で、そんなことばかりやっていたら、年末年始休暇が終わってしまったのだ。家族は、といえば、あ、やばい、放置状態だった(放置されていたのは私の方?)。ただ、子供が3日前くらいから風邪にかかっていて調子が良くない。医者によるとインフルエンザではないそうだが、熱、咳、鼻水一通り派手に出るので、うつされたらたまらない。ただ、何だか私も今頃になって熱っぽくなっているのは気のせいか?


GRASS5.0日本語版の販売終了につらつらと思う

2008年01月02日 18時16分55秒 | ビジネスetc
 年末でGRASS5.0日本語版の販売を終了した。
 (GRASS用の地図データは継続販売)

 メインストリームでGRASSは6.3が正式に出ようとしているが、日本語メニューのバージョンは5.0で止まってしまっていた(メニューが英語でも、日本語のラベルは6.3でも表示できるはず)。5.0が出た2004年春の時点で、ポピュラーだったLinuxOSに対応したモジュールが同梱された製品は、さすがに対応OSが入手困難になりつつあり、インストールサポートも限界だった。

 思えば、あの頃、オープンソースGISがどうなるかもわからずに、夢中にプログラムの国際化に取り組み、私は何十ページにも及ぶビジュアルな利用ガイドをせっせと書いていた。その利用ガイドは、今も十分通用する内容で、葬り去られるのは忍びない。いっそのこと利用ガイドはダウンロードサービスをしてしまおうかと考えている。

 国際化のプロジェクトはGRASSとMapServerの両方同時に行ったのだが、作業量の負担は圧倒的にGRASSに集中した。やはりユーザーインターフェイスをもったクライアントプログラムと、サーバで動作するミドルウェアとでは、作業量が全然違ったのだ。しかし、その後のビジネスの広がりが、全く逆だった。クライアントプログラムは、利用者側で完結してしまうことが大半だが、ミドルウェアはシステム構築で使われるために、結果としてそのシステム構築をすることが会社の主たるビジネスになった。あの時、欲張ってGRASSとMapServerの両方とも国際化をしておいて本当に良かった。もし、GRASSだけだったら、きっと会社は残っていないだろう。

 「オープンソースでビジネスってどうするの?」とことある事に聞かれるのだが、別にオープンソースを仕事にしているのではない。(オープンソースで提供されている)ソフトウェアツールを使ったシステム構築業務を手がけているのだ。GRASSではシステム構築業務の機会がほとんど無いが、MapServerならばあるのだ。

 それはともかくとして、会社の今があるのはGRASSと出会ったおかげでもある。丸3年半、多数の人にご愛顧いただいた。本当にありがたい。

 GRASSはびっくりするほど機能が充実しているのだが、Windowsでネイティブ動作しない(最近になってネイティブ動作版が開発段階版で出てきた)ため、他のGIS系のツールとの作業連携上の使い勝手の悪さもあって、結局高額なライセンス料の商用GISツールに頼る人が未だに多い。一方、Windowsで動作するQGISにGRASSのモジュールを組み込めるようになっていて、こちらはフル機能ではないものの、徐々に利用者を増やしている。おそらく、将来的にはQGISから入るユーザーの方が多数になるだろう。という私も、業務で分析をすることがまず無いため、データをすぐに見られるQGIS派になってしまっていることを白状しなければならない。