確固たるエネルギー観に裏打ちされた、重厚な日本文明論。幕末の「黒船」到来から、平成の「福島」の原発事故までを俯瞰し、日本の歪んだ「科学技術立国」観に対して見直しを迫る名著だった。 近代日本一五〇年――科学技術総力戦体制の破綻 (岩波新書) 作者: 山本義隆 出版社/メーカー: 岩波書店 発売日: 2018/01/20 メディア: 新書 この商品を含むブログ (7件) を見る 著者の山本義隆氏を初めて知ったのは、私が受験生の頃でした。その頃は、硬派な物理の参考書を書く駿台講師としてしか認識していなかったけど、実は1960年代の東大物理学科の在学中に東大全共闘議長を務め、その後は在野で科学史の研究を続けているという特異な経歴を持った方です。 経歴から想像できる通り、日本の科学技術に対する著者の見方は極めてシビアです。明治以降日本の科学技術の受容においては、その裏にある思想を欠いたまま、生産力増
「運のつき」(マガジンハウス 2004年)は養老さんの本としてはあまり売れなかったのではないかと思う。題名だけみても何について書いた本だかわからないし、内容は全共闘運動へのうらみつらみであるし。 全共闘運動へのうらみつらみといっても、相手は小阪氏のいう自己解放派の全共闘ではなく、小阪氏が東大全共闘の思想を代表するものであるとする大学院生の組織「全闘連」あたりへのうらみつらみ、具体的にいえば研究室封鎖へのうらみつらみである。 養老氏によれば、学位論文がすんで、次の論文が英国の雑誌に採用され、自分の研究というものへの自信ができてきて、研究者としてこれからという時に研究室を追い出された。養老氏は本気で研究をしようとしていた。 研究室を追い出されたとき、本気で腹を立てました。はたで見ていた人が、「顔色が真っ青だったよ」と、あとでいっていたくらいです。 いまでもあそこでガマンして、暴力沙汰にならなく
山本義隆講演会 岡本清一記念講座「近代日本と自由 ―科学と戦争をめぐって―」 2016年10月21日(金) 京都精華大学のホームページで講演録を公開。PDFファイルで ダウンロード可能です。 http://www.kyoto-seika.ac.jp/about/okamoto-memorial-seminars/ 時間 18:30 ~ 20:30 会場京都精華大学 明窓館2階 M-201 日本の近代化150年、その前半は軍事大国化への道、後半は経済大国化への道であり、いずれの場合も総力戦として戦い、科学技術は一貫してその過程を支えてきた。軍事的な戦争はヒロシマとナガサキで止めをさされたが、科学技術にたいする信頼は揺らぐことがなかった。フクシマの事故が経済戦争に引導を渡したのであれば、それは戦前・戦後を貫く総力戦体制の破綻を意味している。 今は日本の科学技術150年を立ち止まって考え
山本義隆で検索したものが他にもある。そう、2ちゃんねるだ。 「82 :ご冗談でしょう?名無しさん :03/12/31 12:23 ID:fXUMB7Bf 扱っている対象が違うということだと思うのだが.「重力と力学的世界」と「古典力学の形成」は表題通り力学がテーマ.「熱学思想の史的展開」は熱力学(あえて統計力学は扱っていないとのこと). 「重力と力学的世界」と「古典力学の形成」はテーマが重なっているけど... 前者は題名にもあるように重力(万有引力)という概念がどのように形成されてきたのかを詳しく扱っている.ただ,論理の展開は現代の力学の表記を使って解説してある. 後者は「プリンキピア」をかなり突っ込んで読み込んでいる.中身の定理の証明とかね.あとNewtonの人格なんかも批評.w あと解析力学についてもLagrangeの原著をかなり突っ込んで扱っているかな. 83 :ご冗談でしょう?名無し
山本義隆という名前を聞いて、ああ、と思い出す人は世代的に限られているだろう。在野の物理学者として、素人にもよく分かる物理学の歴史を説いた良書の筆者として知られているが、東大全共闘のリーダーとして、当時新聞紙上を騒がしていた名前である。東大安田講堂をめぐる機動隊との攻防は、一月の寒い日だったので、放水車が大量の水を浴びせるテレビ画面を、こたつの中に手まで入れながら、食い入るように見ていたのを覚えている。もちろん、学生側を応援していたのだ。 その山本氏が『私の1960年代』という本を出した。それまで、東大闘争について語ることを自ら禁じていたのか、市井の一学徒として主に科学に関する本しか書いてこなかったと記憶している。敗軍の将、兵を語らず、の心境でもないだろうが、ひとつの見識ではあると思ってきた。その人が何故今頃になって、過去を語ろうとするのか、と疑問に思い手にとった次第である。 ここには二人の
昨年2014年10月に行われた講演を下敷きにしたもの。講演のあと、雑誌『週刊金曜日』から活字にしないかと誘われて、加筆して本書となった。以上の経緯は「2015年8月 2015年安保闘争の渦中で」と付記された「はじめに」に書かれている。 著者は1941年生まれ。1960年に東京大学に入学し、安保闘争を経験した。1962年、物理学科に進学し、大学管理法(大管法)闘争に遭遇する。大学院に進み、素粒子論の研究をしながら、ベトナム反戦運動にかかわる。1968年1月、医学部の研修医制度をめぐって東大闘争が始まり、6月、安田講堂が占拠される。講堂の雑用係をしていた著者は、10月、「東大全共闘代表」に選出される。69年1月、機動隊によって安田講堂バリケードは解除され、9月に著者は逮捕される。70年10月に保釈され、71年3月に再逮捕。再保釈後は大学に戻らず、零細なソフトウェア会社を経て、予備校の仕事をしな
安保闘争の経験を初めて語り、現代へのメッセージを込めた『私の1960年代』は全共闘世代のイメージを覆す一冊 『私の1960年代』(山本義隆著、金曜日)は、1960年に東京大学に入学した著者が「山崎プロジェクト(10・8山﨑博昭プロジェクト)」の活動の一環として2014年10月4日に行った講演「私の一九六〇年代――樺美智子・山﨑博昭追悼――」の内容に加筆したものである。ちなみに山﨑プロジェクトとは、1967年10月8日の羽田闘争の際、機動隊と衝突して命を落とした京大生、山﨑博昭氏を追悼するものだという。 著者は科学史家で、東大闘争全学共闘会議の元代表である。これまで全共闘時代の経験については一切語らず、取材にも応じなかったそうだが、本書には、1960年の安保闘争から、ベトナム反戦闘争、1970年の安保闘争、果ては科学技術や原発についての考え方までが、実体験に基づいて克明に語られている。 私の
世界の見方の転換 [著]山本義隆 経済学を専門とする評者が、なぜ近代科学の道を開いたコペルニクスやケプラーらを扱った本書を取り上げるのか。2001年の9・11(米国同時多発テロ)や11年の3・11による東京電力福島第一原発事故に象徴されるように、21世紀は近代システム自体が綻(ほころ)びを見せていると評者は考え、近代成立の原点を理解しない限り、将来を思索できないと思ったからである。 F・ブローデルの提唱した「長い16世紀」(1450〜1640年)には、ルネサンス、宗教改革、大航海、17世紀科学革命など、数々の歴史的大事件が起こっている。しかし、近代の幕開けに際して、これらの関連づけが評者にはいま一つ不明だったが、本書を読んでそれらの関連性が明確に理解できた。 キリスト教とアリストテレス自然学で強固に武装された中世の観念を打破するには、近代科学の誕生が不可欠だった。「ルネサンスのパラドックス
山本義隆『世界の見方の転換』全3巻 1 天文学の復興と天地学の提唱 2 地動説の提唱と宇宙論の相克 3 世界の一元化と天文学の改革 [2014年3月20日刊] 2014.03.31 [『数学文化』では新連載スタート 山本義隆「小数と対数の発見」] すでに古典たる評価を得ている『磁力と重力の発見』『一六世紀文化革命』に続き、「なぜ、どのように西欧近代において科学が生まれたのか」を解き明かす。近代科学誕生史〈三部作〉を締めくくる待望の書き下ろし。2014年3月20日刊行。 プトレマイオス理論の復元にはじまり、コペルニクス地動説をへてケプラーにいたる15-16世紀天文学の展開は、観測にもとづく天文学を言葉の学問であった宇宙論の上位に置くという学問的序列の一大変革をなしとげ、「まったく新しい自然研究のあり方を生みだした」。それは、「認識の内容、真理性の規準、研究の方法、そして学問の目的、そのす
山本義隆 『熱学思想の史的展開:熱とエントロピー(1, 2, 3)』(ちくま学芸文庫) 東京:筑摩書房,2008-2009年. [1987年に現代数学社より出版された本の文庫化(事実上の第二版).] 1987年に出された単行本が、このたび文庫版として出版された。 と言っても単に文庫になっただけではなく、いくつかの節が追加されたり新たに文献を参照したりといった変更点が随所にあり、事実上の第二版と言える内容になっている。 文庫で全三巻、計1,200頁を越える長編であり、取り上げられている文献も一次史料・二次文献ともに非常に豊富である。 これだけの文献を当たって一つの本にまとめてくる著者の力量には、毎度のことながら感心してしまう。 だがそれにもかかわらず――あるいはまさにその故に――、本書をどのように評価するべきかはなかなか難しい。 それは一つには本書全体を貫く主題が不在であるという点に、そして
理数系ネタ、パソコン、フランス語の話が中心。 量子テレポーテーションや超弦理論の理解を目指して勉強を続けています! 「熱学思想の史的展開〈2〉:山本義隆」(Kindle版) 内容(「BOOK」データベースより) カルノー28歳、わずか1篇の論文『火の動力』で、熱力学の基礎を確立した。イギリスに誕生した蒸気機関は、フランスで効率改良の理論研究が進められ、彼は熱の生む動力の絶対的な制約を見いだす。だがその理論は巨視的自然の究極の真理に触れるラディカルなもので、技術者にも物理学者にも受け入れられることなく長く埋もれる運命となる。第2巻は、熱力学草創期。熱素説の形成と崩壊、そして熱力学第1法則、エネルギー原理の確立と進む。さらに議論は熱力学第2法則とエントロピー概念の形成へとのぼりつめていく。欧米にも類書のない広がりと深さに裏づけられた、迫力ある科学史。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
湘南科学史懇話会 Social Gathering for the History of Science in Shonan, Japan 投稿エッセー:シモン・ステヴィン(1548-1620)さん、ごめんなさい。 猪野修治(湘南科学史懇話会代表) 本誌のほとんどの読者は物理教育の専門家ですから、科学革命の先駆者・創始者といえば、ほとんどの方々はガリレオやニュートンを思い浮かべるでしょう。特に物理教育の原点ともいうべき力学の勉強では、なにをおいても真っ先に、ガリレオの晩年の著作『新科学対話』(1638)の内実を解きほぐし、その本質を噛み砕いて教えるのを常とします。私も例にもれず、何十年も本書を読み込み勉強もしてきたのですが、引退した現在の時点で振り返ってみますと、それでも、教育現場の最前線にいるときには、てっとりばやく、その本質を理解し、現在の視点からその果実だけを取り入れるだけでせいいっ
山本義隆は東大全共闘のリーダーであった.我々の企画は「全共闘と今」と銘打っているので,「彼の今」についてまず語りたい. 彼は現在,駿台予備校で物理講師をしている.人気講師で,夏期講習の「東大物理」は満員になる.彼の著書,『新・物理入門 <物理IB・II>』(駿台文庫,1987年)は,難しいという意見がある一方で,物理が根っこから理解できた,学ぶことの面白さを知ることができたという声もある.駿台含め,各予備校は学生運動経験者が多く流れ着いている.そういった講師の内の一人は「山本義隆という存在は天然記念物ものだから,一回授業に潜っておけ」と生徒に言ったそうな.彼の授業は物理をアリストテレスから始めることで有名なのである. 素粒子の研究をしていた彼は,研究室には戻らず,駿台予備校という在野で科学史の研究を続けた.そうして生まれた『磁力と重力の発見』(全三巻,みすず書房,2003年)は第1回パピル
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