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大相撲に関するwackunnpapaのブックマーク (2,487)

  • 尊富士2敗キープも呼び出され怒られた!?塩が高田川審判部長に命中「かかったみたいで…」 - 大相撲 : 日刊スポーツ

    勢い余って怒られた!? 西前頭11枚目の尊富士(25=伊勢ケ浜)が勝ち越しを決め、トップと1差に迫った。 前頭の一山を突き落としで破り2敗をキープ。無敗だった前頭金峰山が初黒星を喫し、差を詰めた。取組前には、まいた塩が勢いよく土俵下に座る高田川審判部長(元関脇安芸乃島)に命中。取組後に呼び出され、注意を受ける事態となった。それも前夜からの11時間睡眠で、元気が有り余っている証拠。状態の良さで2度目の優勝を目指す。 ◇   ◇   ◇ 一瞬で勝負を決めた。尊富士が立ち合いで当たるや否や、体を右に開き、わずか1秒3で突き落とし。NHKテレビ中継恒例の、勝ち越し力士へのインタビューに「しっかり体が動いている。昨日(9日目)は負けたけど、睡眠も取れているのでよかった」と、息を切らしながら答えた。普段なら支度部屋に引き揚げるが、審判控え室に呼び出されていた。幕内前半戦の審判長を務め終える高田川審判

    尊富士2敗キープも呼び出され怒られた!?塩が高田川審判部長に命中「かかったみたいで…」 - 大相撲 : 日刊スポーツ
  • 幕下で「2番後に取り直し」の珍事!3分30秒超える相撲で決着つかず 十両以上なら「水入り」 - 大相撲 : 日刊スポーツ

    幕下で長い相撲の末に決着がつかず、2番後に取り直しとなる珍事があった。東幕下14枚目の琴拳龍(佐渡ケ嶽)と、西幕下14枚目の栃武蔵(春日野)の初顔合わせ。最初の一番は、互いに土俵際まで寄り立てる場面があったが、決めきれずに3分30秒を超えた。動きが止まったところで、勝負審判が手を挙げて「2番後取り直し」が決まった。十両以上では水をつけるなど、呼吸を整えた後に勝負を止めた時点と同じ体勢から再開する「水入り」。幕下以下ではいったん土俵から下がり、2番後にあらためて取り直しとなる。取り直しの一番も。際どい勝負となり、土俵下にもつれながら倒れたが、琴拳龍が寄り切り。今度は早い勝負で決着をつけ、3勝2敗とした。 大粒の汗を流しながら引き揚げてきた琴拳龍は、開口一番「長かったですね」と、苦笑いで疲れ切った表情を見せながら話した。モンゴル出身の21歳は、2番後取り直しは初体験どころか「知らなかったです」

    幕下で「2番後に取り直し」の珍事!3分30秒超える相撲で決着つかず 十両以上なら「水入り」 - 大相撲 : 日刊スポーツ
  • 現役引退の横綱照ノ富士、未練は「全くない」「逆にやり過ぎた」…今後は「自分に負けない力士育てたい」

    【読売新聞】 17日に現役引退を発表した大相撲の横綱照ノ富士(33)(伊勢ヶ浜部屋)が同日、両国国技館で記者会見に臨み、「思い通りの相撲を取れなくなり、中途半端な気持ちと体で土俵に立つべきではないと思った」と引退を決断した理由を語っ

    現役引退の横綱照ノ富士、未練は「全くない」「逆にやり過ぎた」…今後は「自分に負けない力士育てたい」
  • 【年寄名跡解説】照ノ富士は名跡未取得も横綱は5年限定でしこ名で親方資格、一代年寄は廃止 - 大相撲 : 日刊スポーツ

    相撲協会は、横綱照ノ富士(33=伊勢ケ浜)の現役引退を発表した。この日の理事会で引退と、年寄「照ノ富士」を承認した今後は伊勢ケ浜部屋で部屋付きで「照ノ富士親方」として、後進の指導にあたる。 照ノ富士は現在、年寄名跡を取得していないが、日相撲協会の規定で、横綱は引退後5年に限っては引退時のしこ名のまま年寄資格が認められ、親方として協会で活動することが可能だ。ちなみに大関は3年。 10年の間に年寄名跡を取得出来なければ、親方として協会に残ることは出来ない。 現役時代の功績が顕著だった(厳密な基準はないが優勝回数20度以上などが目安)横綱が引退した際に、その横綱一代に限り認められる「一代年寄」制度は、現在は廃止されている。過去には、大鵬、北の湖、貴乃花の3人が適用され、千代の富士は辞退している。 【写真特集】横綱・照ノ富士、波瀾万丈の土俵人生>>

    【年寄名跡解説】照ノ富士は名跡未取得も横綱は5年限定でしこ名で親方資格、一代年寄は廃止 - 大相撲 : 日刊スポーツ
  • 横綱・照ノ富士の現役引退を正式発表 日本相撲協会 | 毎日新聞

    相撲協会は17日、横綱・照ノ富士(33)=名・杉野森正山、モンゴル出身、伊勢ケ浜部屋=の引退を発表した。年寄「照ノ富士」を襲名する。横綱は年寄名跡がなくても、現役時代のしこ名で5年間、親方を務められる。照ノ富士は17日午後に記者会見する。 慢性的な両膝痛や糖尿病に苦しむ照ノ富士は、3場所ぶりに復帰した12日からの初場所(東京・両国国技館)で4日目を終えて2勝2敗で、右膝と腰の痛みで5日目の16日から途中休場した。関係者によると、この日のうちに相撲協会に引退の意向を報告していた。 照ノ富士は2011年5月の技量審査場所で初土俵を踏み、初の幕内優勝を果たした15年夏場所後に大関に昇進。その後に左膝の故障に苦しんで大関から転落し、糖尿病の影響もあって休場を重ね、19年春場所には序二段まで落ちた。リハビリを経て再び番付を上げ、3回目の優勝を飾った21年春場所後に大関復帰。この年名古屋場所後に

    横綱・照ノ富士の現役引退を正式発表 日本相撲協会 | 毎日新聞
  • 大相撲 横綱 照ノ富士が現役引退「思いどおりの相撲できない」 | NHK

    大相撲で10回の優勝を果たした横綱 照ノ富士が現役を引退し、年寄・照ノ富士を襲名して後進の指導にあたることになりました。 照ノ富士は17日午後に会見し、「自分の中でできる限りのことを尽くしてきたが、思いどおりの相撲ができなくなり、これ以上、中途半端な気持ちと体で土俵に立つべきではないと感じた」と引退を決断した理由を話しました。 目次

    大相撲 横綱 照ノ富士が現役引退「思いどおりの相撲できない」 | NHK
    wackunnpapa
    wackunnpapa 2025/01/17
    無理に無理を重ねたからなあ。お疲れさまでした。
  • 円形脱毛症に悩み頭をそり上げた序二段醍醐桜 髪がなくても土俵に立てる 相撲界も多様性を尊重 - 大相撲 : 日刊スポーツ

    今場所から西序二段70枚目の醍醐桜(16=高田川)が、きれいに頭をそり上げて臨んでいる。 日相撲協会の公式ホームページでは昨年春場所の初土俵当時、まだ髪がふさふさだった写真を掲載。だが円形脱毛症により、徐々に髪が抜け、昨年11月の九州場所のころには、頭頂部や頭部側面の髪がほとんど抜け落ちていた。師匠の高田川親方(元関脇安芸乃島)と相談し、同12月上旬に理容室で、わずかに残っていた髪を全てそり上げ、現役で唯一、髪が全くない力士となった。 醍醐桜は「原因が分からない病気で、環境が変わったことが影響しているのかもしれない」という。力士の象徴のまげを結える日を願って、毎日、自ら頭部をマッサージ。部屋頭の前頭湘南乃海ら4人の関取衆からも「大丈夫、そのうち生えてくる」と励まされてきた。以前の相撲部屋のような厳しい上下関係はなく、ストレスが原因ではない。 12年夏場所まで現役だった太閤丸も、同様に病気

    円形脱毛症に悩み頭をそり上げた序二段醍醐桜 髪がなくても土俵に立てる 相撲界も多様性を尊重 - 大相撲 : 日刊スポーツ
  • 渡辺恒雄さん死去 98歳 球界や政界などから悼む声 | NHK

    読売新聞グループ社の代表取締役主筆で、政界やプロスポーツ界にも影響を与えた渡辺恒雄さんが19日未明、都内の病院で亡くなりました。98歳でした。 目次 渡辺恒雄さんとプロ野球 《球界からは》 渡辺さんは大正15年に東京で生まれ、昭和25年に読売新聞社に入社し、政治部の記者として自民党の大野伴睦初代副総裁や中曽根康弘元総理大臣などの取材を長く担当し、政治部長や論説委員長も務めました。 平成3年に社長に就任し、その後、読売新聞社が持ち株会社制に移行したのに伴いグループ社の社長となり、平成16年からは12年余りにわたって会長を務めました。平成11年から4年間は日新聞協会の会長にも就いています。 スポーツの分野でも影響力を持ち、平成8年にはプロ野球・巨人のオーナーに就任し、平成13年から2年間、大相撲の横綱審議委員会の委員長を務めました。 平成20年には旭日大綬章を受章しています。 読売新聞に

    渡辺恒雄さん死去 98歳 球界や政界などから悼む声 | NHK
    wackunnpapa
    wackunnpapa 2024/12/19
    まあ、よくも悪くもむかしの政治記者の典型だった。
  • 大相撲 元小結 阿武咲が引退へ | NHK

  • 阿武咲が現役引退 今後は相撲協会には残らない意向…元小結、ケガで幕下陥落確実 19日に会見 - 大相撲 : 日刊スポーツ

    大相撲の十両阿武咲(28=阿武松)が、引退することが決まった。18日、日相撲協会が発表した。 慢性化していた右足首痛や右膝痛などの影響で、東十両10枚目だった今月の九州場所は、3場所連続の途中休場。2勝11敗2休で、16年名古屋場所から8年以上守っていた関取から、幕下に転落することが確実となっていた。関係者によると、今後は相撲協会には残らないという。19日に会見を予定している。 最高位は小結で、17年夏場所の新入幕から3場所連続で2桁白星を挙げた。1場所15日制が定着した49年夏場所以降、初の快挙。この記録は現在も、大関大の里と並んで2人しかおらず、大の里は同4場所目が9勝止まりだったため、新入幕からの連続2桁白星の最長記録となっている。身長176センチと上背こそないが、圧力のある立ち合いからの突き、押しを武器に、9月の秋場所で十両に転落するまで、6年以上幕内在位を続けていた。 九州場所

    阿武咲が現役引退 今後は相撲協会には残らない意向…元小結、ケガで幕下陥落確実 19日に会見 - 大相撲 : 日刊スポーツ
    wackunnpapa
    wackunnpapa 2024/12/18
    空き株がないのだろうなあ。
  • 力士がいっぱいで飛行機が重量オーバー! 急きょ臨時便の舞台裏 | NHK

    ことし10月。 あるニュースが航空業界をにぎわせました。 大勢の力士が同じ飛行機に乗り合わせることになり、重量オーバーに。 急きょ、臨時便が運航されたというのです。 航空関係者がそろって「聞いたことがない」という珍しいトラブルで、 海外メディアでも取り上げられました。 当時、何が起きていたのでしょうか。 (大阪放送局 関西空港支局 記者 高橋広行) “おさまりません 無理です” 当時の状況を説明してくれたのは、日航空オペレーションコントロール部の奥津俊幸マネージャー。 問題がわかったのは10月11日の夜。 この航空会社では午後6時半ごろから、翌日運航する便の準備作業に入ります。いつどのようなルートで、どのくらいの燃料を積んで飛ぶかなどを管制官に伝え、社内でも共有する「フライトプラン(飛行計画書)」を作成するためです。 ここで重要なのが「ウエイト(重量)」と「バランス(重心)」。 略して“

    力士がいっぱいで飛行機が重量オーバー! 急きょ臨時便の舞台裏 | NHK
  • 元横綱 北の富士勝昭さん 死去 82歳 大相撲中継の解説で人気 | NHK

    大相撲の元横綱で、幕内で10回の優勝を果たし、NHKの大相撲中継の解説者としても長年、活躍した北の富士勝昭さんが、11月12日、病気の療養中だった都内の病院で亡くなりました。82歳でした。 記事後半では、弟子の八角理事長や絶妙なかけ合いを見せていた舞の海さんなど各界関係者からの悼む声もお伝えしています。 目次 元横綱 北の富士勝昭さん 死去 ライバル玉の海との優勝争い 千代の富士と北勝海の2横綱育てる

    元横綱 北の富士勝昭さん 死去 82歳 大相撲中継の解説で人気 | NHK
    wackunnpapa
    wackunnpapa 2024/11/21
    玉の海梅吉、神風、出羽錦、北の洋(緒方昇)、そして北の富士と続いてきた引退力士解説者の系譜は誰が受け継いでいくんだろうか。舞の海では貫目が足らぬ。
  • 元横綱・北の富士さん、達筆で書き損じ少ない原稿 相撲への愛と厳しさ、ユーモア…ともに棺へ コラム『はやわざ御免』:中日スポーツ・東京中日スポーツ

    12日に亡くなった北の富士さんが長年、場所中に紙で連載していた名物コラム「はやわざ御免」。棺には、コラムにまつわるたくさんの思い出の品が入れられた。紙の原稿用紙、ボールペン、国語辞典―。愛用品の数々だ。

    元横綱・北の富士さん、達筆で書き損じ少ない原稿 相撲への愛と厳しさ、ユーモア…ともに棺へ コラム『はやわざ御免』:中日スポーツ・東京中日スポーツ
    wackunnpapa
    wackunnpapa 2024/11/21
    記者の聞き書きではなく自ら執筆していたと。
  • 元横綱・北の富士さん死去、82歳 中日スポーツでコラム『はやわざ御免』執筆、相撲愛あふれる歯に衣着せぬもの言い:中日スポーツ・東京中日スポーツ

    元横綱・北の富士さん死去、82歳 中日スポーツでコラム『はやわざ御免』執筆、相撲愛あふれる歯に衣着せぬもの言い 2024年11月20日 22時56分 第52代横綱北の富士の竹沢勝昭(たけざわ・かつあき)さん=北海道旭川市出身=が、12日午前に治療のため入院していた東京都内の病院で死去した。82歳だった。葬儀は故人の遺志により、20日までに近親者のみで執り行われた。12月18日に八角部屋でお別れの会が開かれる予定となっている。場所中の中日スポーツコラム『はやわざ御免』は1978年の春場所初日にスタート。

    元横綱・北の富士さん死去、82歳 中日スポーツでコラム『はやわざ御免』執筆、相撲愛あふれる歯に衣着せぬもの言い:中日スポーツ・東京中日スポーツ
  • 【悼む】北の富士さん、軽妙洒脱の話術 プレーボーイの人気横綱 物事にこだわらず思いのまま - 大相撲 : 日刊スポーツ

    NHK相撲解説者の竹沢勝昭氏が亡くなっていたことが20日、分かった。82歳だった。関係者によると秋場所後に体調を崩して、入院していた。12月に都内の八角部屋でお別れ会を予定している。 数年前の名古屋場所。北の富士さんと関係者入り口で出会うと「いつが空いてる? お返しするよ」と声をかけられた。前の夏場所に「親方衆も振り返り、あこがれる粋な存在」というコラムを書いた。人は知らなかったが、知り合い数人から伝え聞いたそうだ。数日後に歓楽街「錦三」をはしごし、笑い通しの時を過ごした。 話術は角界一、二だった。裏もいろいろある世界。面白い人は多いが、自慢する人が多い。北の富士さんは記者でも持ち上げる。今風で言えば盛っている感はあるが、まさに軽妙洒脱(しゃだつ)だった。 男ばかりだと「むさ苦しい」と、知り合いの女性を呼んで華を添える。知り合いを見かけると、ちょっと一杯お酌する。気遣いもさりげなく、自然

    【悼む】北の富士さん、軽妙洒脱の話術 プレーボーイの人気横綱 物事にこだわらず思いのまま - 大相撲 : 日刊スポーツ
  • 元横綱北の富士さんが死去、82歳 千代の富士、北勝海の両横綱を育成 歯に衣着せぬ解説で人気 - 大相撲 : 日刊スポーツ

    角界のご意見番だった元横綱北の富士氏が逝った。NHK相撲解説者の竹沢勝昭氏が亡くなっていたことが20日、分かった。82歳だった。関係者によると秋場所後に体調を崩して、入院していた。12月に都内の八角部屋でお別れ会が開かれる予定。名門出羽ノ海一門を破門されたが、70年初場所後に52代横綱に昇進して通算10度優勝。引退後は千代の富士、北勝海(現八角理事長)の両横綱らを育てた。協会幹部として期待されたが早期退職で解説者に転身し、歯に衣(きぬ)着せぬ論評で人気があった。現役時代も派手な行動で再三話題となり、逸話に事欠かない存在がまた一人幕を下ろした。 ◇   ◇   ◇ 北の富士氏は、秋場所後に体調を崩して入院していた。この日、82歳でなくなっていたことが分かった。98年春から長年にわたってNHK解説者として活躍した。アナウンサーの問い掛けにたまに上の空で、年を感じさせたこともあったが、力士、土俵

    元横綱北の富士さんが死去、82歳 千代の富士、北勝海の両横綱を育成 歯に衣着せぬ解説で人気 - 大相撲 : 日刊スポーツ
    wackunnpapa
    wackunnpapa 2024/11/21
    今週は訃報が続く。/ 解説は面白かったが、孫弟子たちにはエラい厳しかった。隠岐の海とか解説で褒められているの聞いた記憶がない。
  • プレーボーイ横綱と呼ばれ、師匠になって門限破りは自らが一番多かった/北の富士さんアラカルト - 大相撲 : 日刊スポーツ

    角界のご意見番だった元横綱北の富士氏が逝った。NHK相撲解説者の竹沢勝昭氏が亡くなっていたことが20日、分かった。82歳だった。関係者によると秋場所後に体調を崩して、入院していた。12月に都内の八角部屋でお別れ会が開かれる予定。名門出羽ノ海一門を破門されたが、70年初場所後に52代横綱に昇進して通算10度優勝。引退後は千代の富士、北勝海(現八角理事長)の両横綱らを育てた。協会幹部として期待されたが早期退職で解説者に転身し、歯に衣(きぬ)着せぬ論評で人気があった。現役時代も派手な行動で再三話題となり、逸話に事欠かない存在がまた一人幕を下ろした。 ◇  ◇  ◇ 北の富士勝昭(きたのふじ・かつあき) ◆道産子 1942年(昭17)3月28日、北海道美幌生まれ。父竹沢正信さん、母ミヨシさんの7人きょうだいの次男。父は祖父の料理店を継ぐも、小2で留萌、中3で旭川に移る。小学校から速球投手もノーコン

    プレーボーイ横綱と呼ばれ、師匠になって門限破りは自らが一番多かった/北の富士さんアラカルト - 大相撲 : 日刊スポーツ
  • 相撲の神様「大ノ里」大関昇進から100年目の新大関・大の里誕生…初代の末裔が感慨「こんなうれしいことはない」 - スポーツ報知

    大相撲の新大関・大の里(24)=二所ノ関=のしこ名の由来である、大ノ里萬助=名・天内(あまない)萬助=の親族が25日、新大関誕生を喜んだ。大の里は8月、大正から昭和初期にかけて「相撲の神様」と呼ばれた名大関の故郷である青森・藤崎町を訪問し、秋場所優勝と大関昇進への刺激を受けていた。“初代”と地位を並べ、次は悲願の「横綱・おおのさと」誕生を目指す。藤崎町では大の里後援会が発足予定で、化粧まわしも発注するなど、“神様超え”をサポートしていく。 大の里の「唯一無二」の口上に胸が熱くなった。初代・大ノ里の親族である、天内家の当代の天内司さん(71)は、青森県内の自宅からテレビで「大関・おおのさと」の復活を見守った。「新大関はやる気満々だったね~。いろんな技術を身につけて頑張ってほしい」と喜んだ。今年は大ノ里が大関に昇進してちょうど100年目。「大ノ里関は私が生まれる前に亡くなった。だからこそうれ

    相撲の神様「大ノ里」大関昇進から100年目の新大関・大の里誕生…初代の末裔が感慨「こんなうれしいことはない」 - スポーツ報知
  • 速攻相撲で土俵を沸かせた元関脇・妙義龍が引退会見「幸せな土俵生活でした」 - スポニチ Sponichi Annex スポーツ

    速攻相撲で土俵を沸かせた元関脇・妙義龍が引退会見「幸せな土俵生活でした」

    速攻相撲で土俵を沸かせた元関脇・妙義龍が引退会見「幸せな土俵生活でした」 - スポニチ Sponichi Annex スポーツ
  • 元関脇碧山が引退会見…15年間の思い出は“ブルガリアの先輩”との一番「緊張して覚えてない」 - 大相撲 : 日刊スポーツ

    大相撲の元関脇で東十両13枚目の碧山(38=春日野)が26日、東京・両国国技館で引退会見を行った。 鳴戸親方(元大関琴欧洲)に続くブルガリア出身力士として、2009年(平21)名古屋場所で初土俵を踏んだ。11年九州場所で新入幕を果たし、12年秋場所で新三役に昇進。最高位は関脇だった。 約15年の現役生活を「生きてきた38年の中で一番楽しい人生でした。力士になれて当に良かったです」と振り返った。両膝に慢性的な痛みを抱えていたが「ケガでやめるわけではない。力もどんどん落ちてきて、自分の元々の稽古もできなくなった。教えていただいた相撲を取ることができなくなった」と明かした。 思い出の一番には、2012年(平24)名古屋場所での、「ブルガリアの先輩」と慕う琴欧洲との一番を挙げた。「夢だった大関と相撲が取れて、すごくうれしかった」としつつ、寄り倒しで敗れた内容は「緊張して覚えていない」と苦笑いした

    元関脇碧山が引退会見…15年間の思い出は“ブルガリアの先輩”との一番「緊張して覚えてない」 - 大相撲 : 日刊スポーツ
    wackunnpapa
    wackunnpapa 2024/09/26
    お疲れさまでした。