掃除・洗濯・料理など暮らしにまつわるすべてのモノを「使う人目線」で評価。良いも悪いもハッキリお届けします。
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1994年6月にプレ創刊号の0号、翌7月号が創刊号となったDTMマガジンが、本日11月8日発売の2016年12月号、通巻第273号を持って休刊となることが明らかになりました。これまでずっと月刊誌として発行されてきたのが、今年の2月号から隔月刊に変更になったため、もしかして……なんて悪い予感はしていたのですが、残念ながらそれが現実になってしまったようです。 もっとも、今後もYouTubeチャンネルは引き続き運営されるとのことなので、完全に無くなるわけではないようですが、やはり紙媒体の雑誌が終わってしまうのは寂しい限り。改めてDTMマガジンの歴史を振り返ってみたいと思います。 最終号となるDTMマガジン2016年12月号 DTMマガジン創刊の経緯については、10年以上前にAllAboutのDTM・デジタルレコーディングの記事「国内DTM関連雑誌の足跡 Part2 DTMマガジン誕生への流れ」と
メトロミニッツという、東京メトロ各駅などに置いてあるフリーペーパーがあって、このところ毎号欠かさず手に取っては愛読している。タイトルに「メトロ」とあって、東京メトロとどういう関係にあるのか良く分からないのだが、名前から想定されるような、メトロ各駅の周辺情報のようなものは一切ない。 ではどういう中身かとうと、これがいつも食の話で、毎号の特集に沿って、イタリア料理とかメキシコ料理とか、その料理の歴史と、関係する都心のレストランを紹介していくというのが基本スタイルである。たとえば、出たばかりの2月号は特集が「血統の一皿」。いわゆるフレンチなどの「名店」と二号店の関係などを書いている。ちょっとハイソな感じだが、お高くとまった感じはない。フリーペーパーだし。 というわけで、毎号だいたいどのページを開いても美味しい食べ物の写真とレストランの紹介があり、今度はこういう店に行ってみたいなあ、などと思いなが
「知らなかった、大宅文庫が経営の危機にあることを」――。 8月8日、このような一文から始まる書き込みをFacebookにアップした。すると瞬く間に「拡散」され、5日後には「いいね!」が497人、「シェア」が276件。Facebookと連動させているTwitterのほうは、「リツイート」が674件、「お気に入り」が272件……。正直、驚いた。こんなに話題になるとは思ってもいなかった。その一方で、「みんな本当に大宅文庫に関心があるの?」と訝る気持ちも生まれてきた。 公益財団法人・大宅壮一文庫(以下、大宅文庫)は、東京都世田谷八幡山にある雑誌専門の私設図書館だ。その名の通り、ノンフィクション作家で評論家の大宅壮一(1900〜1970年)が蒐集した膨大な雑誌資料が元になっている。大宅壮一といえば「一億総白痴化 」や「駅弁大学」「男の顔は履歴書である」といった名言・語録でも知られているが、「本は読む
はじめに 反知性主義をめぐる本を3冊読んだので、その話をちょっと書こう。なぜそんなものを読もうと思ったかというと、『現代思想』の「反知性主義特集」に対するアマゾンのレビューがぼくのツイッターでちょっと話題になっていたからだ。 「彼らは反知性主義だ」と規定する知性は知性主義的なのか? ぼくはこの特集を読んでいないし、読むつもりもない。が、このレビューの主張はよくわかると同時に、この特集のスタンスについて疑問が湧いてきた。 というのも、このレビューを信じるなら、この特集での「反知性主義」というのは、「自分とちがう考え」のことらしく(たとえば原発推進とか安部政権評価とか)、そしてそれを「反知性主義」と呼ぶのは、要するに「バーカ」というのをご立派に言い換えているだけらしいからだ。 さて、まずぼくはこの手の言い換えが嫌いだ。ぼくはしばしば、バカをバカとはっきり言うので、性格が悪いとか下品とか言われる
松浦弥太郎さんがクックパッドで7月1日にローンチする「くらしのきほん」。いったいどんなメディアなのか? どんな思いが込められているのか? ローンチ前の新メディアを特別に見せてもらいながら、佐々木俊尚さんが、松浦弥太郎さんの頭のなかに迫りました!(写真・瀬野芙美香/構成・徳瑠里香) 前編はこちらからご覧ください。 自分たちでコンテンツを作る 佐々木 「くらしのきほん」というタイトルはどうやって決まったんですか? 松浦 僕は当初、「ライフパッド」とかクックパッドと絡めたタイトルを考えていたんですね。GWに有志でエンジニアたちに集まってもらいMTGをしたときに、「松浦さんが一番伝えたいことはなんですか?」と聞かれて、僕は「暮らしの基本を伝えたい」と答えたんです。すると、あるエンジニアが「メディアのタイトルもそれがいい!」と言ってくれて。すごいことを言ってくれたぞ、とその場で決めました。 佐々木
4月1日に『暮しの手帖』からクックパッドへ電撃移籍をした松浦弥太郎さん。なぜ、クックパッドに移籍したのか? 実際に紙からウェブの編集に移行してどうなのか? 7月1日に新しいメディアを立ち上げるその直前に、佐々木俊尚さんが松浦さんの胸のうちに迫りました!(写真・瀬野芙美香/構成・徳瑠里香) 「くらしのきほん」を伝えるメディア 佐々木俊尚(以下、佐々木) 求人情報しかでていないので、非常に気になっているんですが、クックパッドで松浦さんはどんなメディアを作られるんですか? 松浦弥太郎(以下、松浦) クックパッドでどんな役に立てるのかな、どういうメディアを作れるのかな、と思ったときにやっぱり僕は暮らしにかかわること。暮らしは楽しいんだよ、ということを伝えたくて『暮しの手帖』を作ってきたし、いまもそれは変わらないんです。 それをメディアとしてどう表現するか、すごく考えました。暮らしの一番楽しいことっ
「東洋経済オンライン」の編集長に昨年7月就任し、わずか半年でPVを倍増させた山田俊浩氏。従来の枠組みを崩した“社内改革”の具体策とは。3回に分けたインタビュー詳報の2本目です。 紙の編集局幹部をネットの会議に ――サイトの継続した成長のために、社内ではどんな改革に取り組んだのでしょうか。 「管理職は、雑誌しか見えない部署にいるとどうしても『ちゃんと雑誌に書いているか』という目線で見てしまうと思います。東洋経済オンラインに対して『あんな無料のものに書くなら有料の雑誌に書け』という感覚があったのかもしれません」 「(東洋経済オンライン編集部がある)デジタルメディア局と編集局は距離が離れているんですが、この1月1日から編集局の一部の幹部はデジタルメディア局を兼務することになりました。だから、デジタルメディア局の会議には編集局の幹部も出るようになった。距離を縮めて情報共有をしようという経営判断だと
「シャルリー・エブド」誌襲撃事件の後、フランスと日本のメディアによる報道を追っていて、この事件への反応や解釈が両国でまったく異なっていることに気がついた。 大まかに言えば、フランスの場合は、「シャルリー・エブド」の編集方針に賛成でない人、あるいは同誌を読んだことがない人でもほぼ全員が、同誌への抗議の手段として殺人という最大の暴力が行使されたことに激しく怒りを覚えたのに対し、日本の場合には、「テロは良くないが」というただし書き付きで、「でも表現の自由と騒ぐのは西欧中心主義ではないか。表現の自由にも、他者の尊厳という制限が設けられるべきでは」と表明することが少なからず存在した。 ここではその点については触れない。それとは別に、取り急ぎ指摘するべき問題が一つあるからだ。 1月13日付読売新聞の夕刊、国際欄に出ていた記事のことだ。今日14日水曜日、襲撃事件後初めて発行される「シャルリー・エブド」最
コンテンツへスキップ 【大日本帝國臣民は町内・学内に掲示の事】時の立て札【戦争標語】 2015年12月21日mitora 荒鷲たちは 凛烈たる高空の寒気をついて 今日も爆撃行の操縦桿を握り かじかんだ手 続きを読む 【戦前航路】東京=バンコック600円(8人マデ) 2015年12月14日mitora 世界の大通りに出る 日本の国際航空路 世界へ乗り出す銀翼日本 日泰定期航空路開設 続きを読む 【冗長にして空疎】公益優先の意味とは【大政翼賛会政策会長の作文】 2015年12月7日mitora [新体制読本] 公益優先の意味 新体制のことは新聞や雑誌や著述に色々ととなえられ 続きを読む 【戦時珍種目続出】支那事変 x 大阪 x 運動会 2015年11月30日mitora 時局大阪市民運動会 大阪全市3000の町会、3,000,000市民を打って一丸と 続きを読む 【写真26枚!】紀元二千六百年
今年は、ギャルの存亡が話題となった一年でもありました。ギャル雑誌は次々と休刊し、ストリートでもギャルの姿をあまり見かけなくなりました。 そうしたなか、私は2年前に日本の若い女性の歴史を描いた『ギャルと不思議ちゃん論』(原書房)という本を上梓したこともあり、ギャルについてのコメント取材をふたつ受けました。ひとつが、朝日新聞2014年5月23日の「ギャルが消えた? 雑誌からも街からも」という記事で、もうひとつが『日経エンタテインメント!』2014年10月号の「ギャル雑誌の連続休刊 渋谷発ファッションは郊外へ」という記事です。 ただ紙幅の関係上、私のコメントはこれらの記事では一部しか掲載されていないので、ここであらためてギャルについて述べておきたいと思います。 雑誌文化の衰退 まず必要とされるのは、ギャル雑誌の衰退とギャル文化の衰退を分けて考えることでしょう。 これまでギャル文化において、雑誌は
現代思想 2015年1月臨時増刊号◎ピケティ 『21世紀の資本』を読む -格差と貧困の新理論- 作者: トマ・ピケティ,ポール・クルーグマン,デヴィッド・ハーヴェイ,スラヴォイ・ジジェク,浜矩子,橘木俊詔,竹信三恵子,伊藤誠出版社/メーカー: 青土社発売日: 2014/12/12メディア: ムックこの商品を含むブログ (6件) を見る はじめてこの『現代思想』ピケティ特集のニュースを見たときにまっ先に眼に飛び込んできたのは、紫ばあさんがなんか書いているということで、それだけでこれがとうていまともなもんじゃないな、と思うのは人情でしょう。 ということで、正直いって買うのさえためらっていたんだよね。でも買って良かった。もちろん雑誌の常として玉石混交なんだけど、玉の比率が非常に高い。以下にざっと: ピケティのインタビューが二本 どちらも短いけれど、時事的なテーマも含め、聞くべき事(まともな人なら
柳美里さんがご自身のブログに『創』の原稿料支払いが滞っていることを指摘する記述をしています。 そこに書かれた柳さんの主張は正当です。『創』はこの何年か、赤字が累積して厳しい状況が続き、制作費がまかなえなくなっています。その雑誌の赤字を個人で補填してきたわけですが、私はもともと会社からは報酬を得ていないので、補填するにも限界があり、いろいろな人に迷惑をかけるようになってしまいました。 もちろんその状況を改善すべく努力をしてきたのですが、出版不況はそれを超える深刻さでなかなか実効性があがりませんでした。ビジネスとして考えるなら雑誌を休刊させるしかないのですが、休刊させずにがんばってほしいと言ってくれる人も多かったので、無理を重ねてきました。連載執筆者の方たちには事情を説明して、原稿料にあたる分を出資という形にしてもらい支援していただけないか、と2年前の設立30周年の時にお願いし、応じていただい
『IDEA』(誠文堂新光社)の第367号は、オルタナ編集者・郡淳一郎さんの構成・文による特集「日本オルタナ文学誌 1945-1969 戦後・活字・韻律」。 表紙には、英文で"An Alternative History of Poetry in Japan 1945-1969 or A Gutenberg Elegy in a Thousand and One Steps"とある。ここで「文学」とは「詩」を意味していることが示唆されている。小説は? という向きは、「第2章 書物の王としての詩集」の扉に置かれた文をお読みいただくとよいだろう。 例によって選び抜かれた書物の姿や書誌を眺める楽しみはもちろんのことながら、随所に配された郡淳一郎さんの言葉が実にいい。目にして変な気分になる言葉には、確かに力が籠っている。『映画史』で、次々と繰り出される、どこかぶっきらぼうでありながら、一度目/耳にす
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