まもなく東日本大震災から3年になる。新聞もテレビも3・11は、震災一色になろうが、前日の3・10も日本人、ことに東京のお年寄りにとって忘れがたい一日である。昭和20年3月10日午前0時過ぎ、325機のB29爆撃機が東京に来襲、30万発以上の焼夷(しょうい)弾を投下した。 ▼下町を中心に東京は火の海となり、10万人以上の人間が焼き殺された。夜中の爆撃の標的は、軍事施設でなく、密集した木造住居と市民だった。指揮したルメイ少将は、後に「もし我々が負けていたら、私は戦争犯罪人として裁かれていただろう」と述懐したという。 ▼忍び難きを忍び、耐え難きを耐えた戦後の日本は、原爆投下ですら「大虐殺だ」と米国を責めたり、賠償や謝罪を求めることはしなかった。過去よりも今と未来が大事だったからである。 ▼ケネディ駐日米大使は、準備不足ゆえか能力不足ゆえかわからぬが、日米関係を日々、悪化させている。NHKの番組で