「エッセンシャル・ワークの逆説」は、ここからも確認できます。それでは、いったいどうしてこのようなことが起きているのでしょうか?どうしてこのようなことがさしておかしいともおもわれていないのでしょうか? この問題については、すでに2013年の小論の時点でこう提起されていました。再度、確認してみます。 ・とりわけ1960年代、自由時間を確保した充足的で生産的な人々があらわれはじめた(ヒッピームーヴメントのような動きもその一端でしょう)。この状況に支配階級は大いなる脅威を感じることになる。 ・それとは別に、わたしたちの社会のうちにはかねてより、労働はそれ自体がモラル上の価値であるという感性、めざめている時間の大半をある種の厳格な労働規律へと従わせようとしない人間はなんの価値もないという感性が常識として根づいていた。これは支配階級には、とても都合のよいものだった。ネオリベラリズムはこの感性を動員する
