東大寺(奈良市)の東塔跡の発掘で、8世紀の創建時の基壇(土台)が約24.2メートル四方だったことを確認したと4日、同寺の発掘調査団が発表した。基壇の外周を覆う凝灰岩の石材も良好な状態で残存。調査団は「天平時代の基壇が非常によく残っており、創建時の塔の状況が明らかになってきた」としている。東塔は高さ70メートルとも100メートルとも伝わる七重の塔。1180年、平重衡の南都焼き打ちで焼失した。重源
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東大寺(奈良市)の東塔跡の発掘で、8世紀の創建時の基壇(土台)が約24.2メートル四方だったことを確認したと4日、同寺の発掘調査団が発表した。基壇の外周を覆う凝灰岩の石材も良好な状態で残存。調査団は「天平時代の基壇が非常によく残っており、創建時の塔の状況が明らかになってきた」としている。東塔は高さ70メートルとも100メートルとも伝わる七重の塔。1180年、平重衡の南都焼き打ちで焼失した。重源
◇建設ラッシュ 古い職人活用か 奈良市の国宝・正倉院(8世紀中頃)の屋根に残っていた奈良時代の平瓦のうち8割近くが、当時としては旧式の技法で作られたことが分かったと、宮内庁正倉院事務所が21日発表した。創建当時は東大寺境内の建設ラッシュで、専門家は「古い職人グループも駆り出されたのでは」と推測する。(渡辺征庸) 2011年10月~14年10月、正倉院で約100年ぶりに行われた大修理に際して、九州大の岩永省三教授(考古学)が古い瓦を調査。正倉院の瓦が本格調査されたのは初めて。 岩永教授によると、創建当初のものとみられる平瓦775枚のうち、77%の595枚が、8世紀中頃としては時代遅れだった「 桶巻 ( おけまき ) 作り」と呼ばれる技法で作られていた。桶状の型に粘土板を巻き付けて円筒を作り、縦に4分割するやり方で、表面を整える際に付いた職人の指や手の跡が鮮明に残っていた。 同様の痕跡が、南約
○正倉院正倉整備工事第5回現場公開の見学(2014年2月9日) 年度末が近づいて、かなり仕事が厳しくなってきた。先週は、一晩だけど朝まで宿題の原稿を書いていて、何年ぶりかでほぼ徹夜してしまった。もういい歳なのに。 それでも週末は遊んできた。昨年12月に友人が「正倉院整備工事の現場公開に行かない?」と誘ってくれて、二つ返事でOKしたら、私の分も一緒に申し込んでくれた。「申込み多数の場合は抽選」だったらしいが、無事に当たって、2月9日(日)9時の回に参加することになった。 まず、受付所で身分証チェック。当選のお知らせには「9時から9時半に間に入場して、1時間程度で見学してください」という注意書きがあったが、グループを組まされるわけでもなく、行動はわりと自由である。 正倉とその東側に設置された仮設の倉庫(資材などが入れてある)を覆う「素屋根」の中に、東側から入る。まず1階の床下の様子。すり減った
宝冠の一部。アルカリガラスと見られる青いガラス玉が各所にちりばめられている=奈良市の東大寺ミュージアム 【編集委員・小滝ちひろ】奈良時代(8世紀)の工芸の最高傑作といわれる、奈良・東大寺の不空羂索(ふくうけんさく)観音立像(国宝、高さ3.62メートル)の宝冠(同、高さ88センチ)にちりばめられた青いガラス玉が、より時代をさかのぼる弥生〜古墳時代に輸入されたものである可能性が高いことが27日、東大寺であった講演会で明らかにされた。東大寺を開いた聖武(しょうむ)天皇(701〜756)が天皇家に伝わる宝物を仏に捧げたのではないかとの見方も出ている。 ガラスを分析したのは東京理科大の中井泉教授(分析化学)と日本ガラス工芸学会の井上暁子会長(ガラス工芸史)。古墳時代以前のガラスが遺跡の出土品以外に科学的に確認された例は、過去にないという。 宝冠は、唐草文様を透かし彫りした銀製の本体に高さ24セ
729~731年に伐採された木材が使用されていたことが分かった東大寺法華堂の内部=2010年2月、共同 奈良市の東大寺・法華堂(三月堂)で、本尊の不空羂索(ふくうけんさく)観音像が乗る基壇と法華堂に使われた木材が729~731年に伐採されたことが9日、東大寺と総合地球環境学研究所の光谷拓実客員教授の調査で分かった。 平安時代に編さんされた「東大寺要録」に法華堂は733(天平5)年創建と記されているが、瓦の研究などから740年以降の天平時代後半に建てられたとする説が有力だった。 今回の発見は、信ぴょう性が低いとされてきた東大寺要録の記録を裏付ける結果で、学説の再考が求められそうだ。 9日、東京国立博物館で東大寺の森本公誠長老が講演、年代を明らかにした。森本長老は「観音像も729年以前に造られたものだろう」と話し、法華堂や観音像は728年に幼くして亡くなった聖武天皇の皇子・基王のために造られた
記者会見で金銀荘大刀のX線写真を見せ、象眼を説明する元興寺文化財研究所の所員ら=奈良市水門町の東大寺金鐘会館 歴史的な大発見だ――。東大寺の大仏の足元から見つかっていた金銀荘大刀(きんぎんそうたち)が、正倉院から取り出されて行方不明になっていた宝物だったことがわかり、専門家や正倉院関係者から驚きの声があがった。同寺は今後、大仏の足元を再調査する予定といい、新たな発見にも期待がかかる。 調査にあたった元興寺文化財研究所によると、8月に大刀の修理をはじめ、X線撮影をしていた9月30日に刀身に象眼があるのを発見した。 肉眼では表面の様子が全くわからない中、突然浮かび上がった「陰劔」「陽劔」の文字に、同研究所の坪井清足所長は「文書記録と出土遺物が、これほど見事に一致するとは予想もしなかった。この調査に立ち会えたことに、非常に感激している」と興奮気味に話した。 宮内庁正倉院事務所の杉本一樹所長も「す
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