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原爆の日に関するooaminosoraのブックマーク (5)

  • 東京新聞:「憲法踏みにじる暴挙」 長崎、集団的自衛権に怒り:社会(TOKYO Web)

    長崎は九日、被爆から六十九年の原爆の日を迎え、長崎市松山町の平和公園で市主催の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が営まれた。出席した安倍晋三首相の目の前で、被爆者代表の城台(じょうだい)美弥子さん(75)が「憲法を踏みにじる暴挙」と集団的自衛権の行使容認を痛烈に批判した。田上富久(たうえとみひさ)市長も平和宣言で「平和の原点がいま揺らいでいるのではないか、という不安と懸念が急ぐ議論の中で生まれている」と指摘。政府の姿勢に対する被爆地の懸念があらわになった。

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    ooaminosora 2014/08/09
    痛烈に批判されたにもかかわらず、安倍はやっぱりコピペで挨拶。こんな奴を首相にいただく日があとどれくらい続くのだろうか。
  • 東京新聞:長崎原爆の日 市長「被爆国の原点に返れ」 首相「核廃絶」答えず:政治(TOKYO Web)

    被爆から六十八年の原爆の日を迎えた長崎市の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典で、田上富久(たうえとみひさ)市長は「被爆国としての原点に返ることを求める」と、核廃絶へ積極的に動かない政府を厳しく批判した。同席した安倍晋三首相は、一瞬にして何万人もの命が奪われた被爆地の人々の思いに、直接、答えることはなかった。 (横山大輔、金杉貴雄)

    ooaminosora
    ooaminosora 2013/08/10
    日本は核兵器を持たない代わりに、他国が日本を核攻撃したら米国が核で報復するという「核の傘」に頼っている。「いかなる-」との表現はそれと矛盾する>被爆者の神経を逆なでする理屈。
  • 東京新聞:長崎 原爆投下68年 平和宣言で政府を批判:社会(TOKYO Web)

    長崎は九日、被爆から六十八年の原爆の日を迎えた。長崎市松山町の平和公園で市主催の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が営まれ、田上富久(たうえとみひさ)市長は平和宣言で「日政府に、被爆国としての原点に返ることを求める」と述べ、核兵器廃絶に積極的な姿勢を示さない政府を批判した。被爆地・長崎の明確なメッセージは安倍政権下で活発化する改憲などの議論にも影響を与えそうだ。宣言は一方で、若い世代への体験継承を訴えた。 田上市長は、四月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の準備委員会で、核兵器の非人道性に関する声明に政府が賛同しなかったことを「世界の期待を裏切った。核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢で原点に反する」と糾弾した。 インドとの原子力協定の交渉再開についても「NPTを形骸化することになる。核保有を目指す北朝鮮に正当化の口実を与え、朝鮮半島の非核化の妨げになる」と指摘した。式典にはインド政府

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    ooaminosora 2013/08/10
    安倍晋三首相は「確実に『核兵器のない世界』を実現していく責務がある。非核三原則を堅持しつつ、核兵器廃絶に力を惜しまぬことを誓う」>こいつ、年金問題のときも大言壮語していたよな。
  • 広島市長「原爆と原発は別」 平和宣言 区分け重要性盛る 産経インタビュー (産経新聞) - Yahoo!ニュース

    広島市の松井一実市長は「原爆の日」の8月6日に営まれる同市の平和記念式典で読み上げる「平和宣言」に、原爆と原発事故は別物との認識を明確にしたうえで、エネルギー政策に関する内容を盛り込むことが26日、分かった。産経新聞のインタビューに応じた松井市長は「核兵器反対がなかなかうまくいかないから、(原発の)放射能被害で参りましょうかという、駆け引きには使わないでほしい」と述べ、原爆と原発を同一視して論じることに不快感を示した。 松井市長はインタビューで、福島第1原発事故の被害者について「放射能被害に対しての心配は分かる」と理解を示したうえで、原爆と原発の違いに言及。「人殺しのための絶対悪の核兵器と、人間のエネルギー造成のために使う技術は、きちっとした区分けが重要。一緒にしないでくださいということ」と説明した。 また、原発について「問題があってもずっとやれということではない。国民の経済生活やエネ

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    ooaminosora 2013/07/27
    平和宣言に、原爆と原発事故は別物との認識を明確にしたうえで、エネルギー政策に関する内容を盛り込む>ヒロシマもフクシマも人々は放射能で苦しめられているというのに、区分けが必要とはね
  • 特集ワイド:早坂暁さんのみたヒロシマ 絶滅兵器の原爆 - 毎日jp(毎日新聞)

    ◇強烈な死臭 何千、何万もの火の玉 ◇がれきの中、消えた「妹」 原爆が落とされた直後の広島を見た早坂暁さん(79)は「夢千代日記」で胎内被爆をテーマにし、「夏少女」では被爆2世の母親が3世の息子を案じる苦悩を映画にした。64年目の原爆の日を迎え、「絶滅兵器としての原爆」を早坂さんに語ってもらった。【聞き手・広岩近広】 --山口県防府市にあった海軍兵学校の分校で終戦を迎えたそうですね。 早坂 愛媛県の松山中学で軍国教育を受けていたので、どうせ行くなら海軍だと志願したものです。15歳でした。ところが入校してまもなく、おまえたちの乗る軍艦はないと言われたのです。戦艦大和に乗りたくて海軍兵学校に入ったのに、不沈戦艦と信じていた大和が沈んだと聞き、ぼうぜんとしました。追い打ちをかけるように赤痢が流行して、僕ら2000人ほどが病院に収容されました。 病院で終戦を知ったとき、そろって「うわあー」と歓声を

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    ooaminosora 2009/08/07
    核兵器は未来をつぶす絶滅爆弾>あらためて、核廃絶を訴えていかねばならないと思った。
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