東日本大震災から6年となったのに合わせ、エジプトの首都カイロのオペラ劇場で12日、震災の犠牲者を追悼し、復興を応援する合唱大会が開かれた。在エジプト日本大使館が主催し、日本に縁のあるエジプト人や在留邦人ら200人以上が集まった。 犠牲者に黙禱(もくとう)を捧げた後、被災地からのビデオメッセージを上映。その後グループに分かれ、「愛は勝つ」「世界に一つだけの花」など10曲を歌い、最後にグループ代表らが「花は咲く」を大合唱した。 アインシャムス大学で日本語を学ぶリハム・ハナさん(20)は「震災で大好きな人、大切な人を亡くして本当に大変だったと思います。いまも思い出すと悲しくなりますが、一緒に頑張って乗り越えましょうと伝えたくて参加しました」と話した。(カイロ=翁長忠雄)
ブルーナさんはいつも、子どもたちの笑顔を心の中に思い浮かべていた。1955年に出版された絵本「ちいさなうさこちゃん」(第1版)は、幼かった長男に聞かせてあげた話がもとになって生まれた。69年の絵本「こいぬのくんくん」は、長女から「犬のお話もかいて」とせがまれてかいている。 わが子だけでなく世界中の子どもたちを包み込むような、あたたかで優しい絵本やイラストを描き続けた。その原点には、平和への強い願いがあった。 10代半ばで第2次大戦を体験し、祖国オランダはナチス・ドイツに侵攻された。戦時下の冬のある日、ユダヤ人が冷たい湖を泳いで逃げるのを見て、憤りと悲しみを覚えたという。この体験が「ぼくの人生を決定づけたのかもしれません」と振り返っていた。 戦争が終わると、ピカソやマティスらの自由な作風にあこがれ、出版社の後継ぎでありながら画家を志した。猛反対した父と妥協するかたちで、1951年に父の出版社
「舛添都知事辞任に際し改めて言いたい」と岩手県知事がツイートで再掲。「国民の良識やまじめな思いと共鳴しながら、好ましい「チェンジ」のビジョンを示し、陣立てを整えていく政治の動きが必要です」。 東北地方太平洋沖地震
岩手県知事・たっそ(達増)拓也ブログ岩手県知事、たっそ(達増)拓也です。 このブログは私の県政報告や過去のオピニオンなどの 個人的アーカイブズ(文書庫)として公開するものです。 「テーマ別記事一覧」から、読みたい情報を探してください。 (これは、FAXオピニオン用「変えられない政治」に加筆し、「日本一新の会」メルマガに投稿した文章です。一時はオピニオンサイト「阿修羅」の拍手ランキングで1位になりました。「阿修羅」にコメントを下さった皆さん、ありがとうございます) 都知事選―「変えられない政治」の時代 都知事選で当選した舛添要一新知事には、東京都政のかじ取りをしっかりやってくださることを念じながら、祝意を表したいと思います。 一方、今回の都知事選で私が感じるのは、今の日本は「変えられない政治」の時代になっている、ということです。国民の良識やまじめな思いが政治を変えられず、政治が世の中を国民に
東日本大震災の津波で被災した仙台市と宮城県石巻市を結ぶJR仙石線が全線復旧してから、30日で1年になる。新しい野蒜(のびる)、東名(とうな)両駅(同県東松島市)周辺で宅地の造成が続く中、28日に初めて85区画が引き渡された。待ちわびた被災者はさっそく地鎮祭を催し、祝詞(のりと)が響いた。 両駅は海に近かった場所から、北の高台の造成地へ約500メートル移った。造成地は約91・5ヘクタール(東京ドーム約20個分)で、山を崩して造った中では被災地で最大規模。来年秋には集団移転の住宅278戸と災害公営住宅170戸に、1300人余りが暮らす街になる。 津波で自宅を失った菊池はま子さん(86)は約100坪の宅地を受け取った。いまは東松島市の次女宅(59)で暮らし、年明けに新居に移る。さいたま市に避難している92歳の友人も近くに引っ越してくるという。「また手芸をしたり、仙石線で美術館に出かけたりしたい」
あまりにも多くを失ったマイナスからのスタート カタールの援助が灯となった復興をゆだねられたのは若者達 泣いた、怒った、そして笑った! 荒れ野に芽吹いた小さな草が蕾をつけ 今、花開こうとしている 女川は流されたんじゃない 海の見える景色を残したまま新しい女川が誕生する! 女川復興の軌跡に迫る 宮城県女川町は牡鹿半島の付け根にある水産業の町。サンマの水揚げで有名だ。 石巻線の終着駅で、古くから天然の良港として栄えた美しい港町だった。 「あの日」までは… この町の人々は、「あの日」2011年3月11日を何十年も何百年も語り継いでいくことになるだろう。住民の1割近くが犠牲となり、8割以上が住まいを失った。被災した全ての市町村の中でも、人口比では最も激烈な被害を蒙った町である。町の中心部は根こそぎ津波にのまれ、失うものは何もなくなった。 そんな絶望から、人はどうやって立ち上がるのだろう…。 最初の希
2013年3月に始まった同イベントは今回で5回目。会場となる同商店街では宮城県女川町から直送されたイカ1000杯を使い、「バターしょうゆ焼き」「イカ焼きそば」などを販売する。このほか、「女川おでん」「女川汁」「ホタテの浜焼き」も用意。 コンセプトは「下北沢から女川復幸応援」。これまで「復興」という言葉を使っていたが、今回から「復幸」に変更した。その背景について、イベント実行委員長の山崎千三さんは「震災後3回、女川町を視察したが、現地の方々はもう『助けてほしい』とは思っていない。みんな明るく、前を向いている。だからわれわれも支援という形ではなくパートナーとして、女川町がより良い街になるための応援をしようと考えた」と話す。 10月1日~6日は「女川ポスター展」も開催。北沢タウンホール(世田谷区北沢2)で河北新報社(仙台市)が制作したポスターを展示する。ポスターを集めた書籍「女川ポスター展全集」
4年前の記事。福島県郡山市の社員わずか4人の機械メーカーが開発した電気を使わない自動ドア。いかにもメカ屋さんの発想だなあと思う。素晴しい。ぜひ中東など電気の足りない(すぐ停電する)地域に利用してほしい。 開発 東北地方太平洋沖地震 技術
福島県郡山市の機械メーカーが開発した、電気を使わない自動ドアが注目されています。社員わずか4人の企業が、県内の住宅メーカーと共同開発したこの自動ドアは、てこの原理を利用し、体重をかけると静かに開く仕組みになっています。 現在は福祉施設等を中心に普及していますが、今後は東京渋谷に建設中の複合ビルなどにも、導入が予定されています。
多くの示唆と矛盾や未消化の部分。4年たってもあれが何だったのか明確にできる人は少ないかもしれない/「日本を見捨てるのか」と言う声は確かにあった。絶望感は蔓延していたが同調圧力はかけたらあかんと思った 東北地方太平洋沖地震
女川町は真っ先に支援を受けた。大型冷蔵庫「マスカー」。震災で製氷施設が壊れ、水揚げがあっても保管できず、あの時、漁港が一番ほしかったものの一つだった。「マスカー」は同国の伝統的漁法を意味するとのこと カタール 東北地方太平洋沖地震
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