カフェと日本人 (講談社現代新書) 作者: 高井尚之出版社/メーカー: 講談社発売日: 2014/10/17メディア: 新書この商品を含むブログ (3件) を見る Kindle版もあります。 カフェと日本人 (講談社現代新書) 作者: 高井尚之出版社/メーカー: 講談社発売日: 2014/11/28メディア: Kindle版この商品を含むブログを見る 内容(「BOOK」データベースより) “日本初”の喫茶店から、欲望に応えてきた「特殊喫茶」、スタバ、いま話題の「サードウェーブ」までの変遷をたどった、日本のカフェ文化論。 昔ながらの「喫茶店」から、ドトール、スターバックスの隆盛、コンビニコーヒーが大ヒットしている現在まで。 「カフェ」の歴史がコンパクトにまとめられた、「新書らしい新書」という感じです。 街中のあちらこちらに「カフェ」があり、繁華街では飽和状態のようにもみえるのですが、いま、日
かなり変わったタイトルだ。わかりにくいといえば、わかりにくい。仮に意味の見当がついたとして、アメリカに「無意識の意思」なんて言葉があてはまるのか、訝る読者も多かったろう。 著者が言いたいことは、こうである。勝手に要約する。 アメリカの経済が強大だからといって、資本主義の中心がアメリカにあると思わないほうがいい。歴史的にみると、アメリカが心底で自由主義市場を辛抱しているかどうかは疑わしい。たとえば大恐慌のあとの超保護関税法であるスムート・ホーレイ法をとっても、アメリカは本来はモンロー主義の国なのだ。 これをいいかえれば、アメリカは骨の髄からアウタルキーの国なのである。自立経済型なのだ。それを自由市場に与したのは、イギリスが経済破綻から自由主義を放棄してカナダをアメリカから切り離し、帝国特恵関税システムの中にくみこんだときからである。けれどもそこへ、遅れたイギリスがまたまた市場経済に入ってきた
キリスト教社会には中世このかた「コルプス・クリスチアヌム」が覆ってきた。「キリスト教的社会有機体」といった意味だ。各個人に先行し、社会にアプリオリに存在する全体性めいたものがあるという見方だ。キリスト教社会にいる者はこの有機的全体性を破れない。そういう意味ではキリスト教の理性はまさに全体主義なのだ。エルンスト・トレルチの指摘である。 中世以来のこの「コルプス・クリスチアヌム」はやがて教会と国家の分離によって切断される。それがキリスト教西欧社会における「近代化」である。近代社会はそれまでの神との契約とはべつに、国家や会社との契約を発進させた。これによって個々の人間像がキリストの体や教会の壁にくっついた「浮彫的人間」から、社会の囲いのなかに立ち往生する「立像的人間」へと転換されることになった。 結果的にこの転換は強行されたのではあるが、当然ながらそこには容易に埋めがたい溝や矛盾があった。説教詩
ホーム > 書評:アウグステウィヌス『告白』 この記事の最終更新日:2006年4月23日 (以下の書評は2005年10月に別サイトで発表済みの文章をもとに作成しています) 中央公論社「世界の名著14 アウグスティヌス」山田晶責任編集。昭和43年初版発行。アウグスティヌス著「告白」を収めている。以前古本屋で買ったのだが、ほとんど読まないまま古本屋に売り返していた。何故これを図書館で借りたかというと、時間論が気になったからである。 もとはといえば、トルストイの結婚についての考察のつながりで、アウグスティヌスの結婚観に行き当たった。結婚が唯一性欲を善にすると考えたアウグスティヌスは、過度の禁欲を避け、結婚を秘跡として神聖なものと尊ぶ教会神学の基礎を作った。 ここ最近トーマス・マン「魔の山」を読んでいたのだが、「魔の山」には時間についての考察がたくさん出てくる。そこでまた、時間論を書いているアウグ
現代思想 2015年1月臨時増刊号◎ピケティ 『21世紀の資本』を読む -格差と貧困の新理論- 作者: トマ・ピケティ,ポール・クルーグマン,デヴィッド・ハーヴェイ,スラヴォイ・ジジェク,浜矩子,橘木俊詔,竹信三恵子,伊藤誠出版社/メーカー: 青土社発売日: 2014/12/12メディア: ムックこの商品を含むブログ (6件) を見る はじめてこの『現代思想』ピケティ特集のニュースを見たときにまっ先に眼に飛び込んできたのは、紫ばあさんがなんか書いているということで、それだけでこれがとうていまともなもんじゃないな、と思うのは人情でしょう。 ということで、正直いって買うのさえためらっていたんだよね。でも買って良かった。もちろん雑誌の常として玉石混交なんだけど、玉の比率が非常に高い。以下にざっと: ピケティのインタビューが二本 どちらも短いけれど、時事的なテーマも含め、聞くべき事(まともな人なら
開設:2004年12月01日/ 更新:2013年8月25日 エッセイ・評論篇 01『先師先人』竹之内静雄 02『ユルスナールの靴』須賀敦子 03『四百字のデッサン』野見山暁治 04『はじめもなく終りもない』宮脇愛子 05『光る源氏の物語』大野晋・丸谷才一 06『歌の王朝』竹西寛子 07『メモワール・ア・巴里』村上香住子 08『復興期の精神』花田清輝 09『胡桃の中の世界』澁澤龍彦 10『椿説泰西浪曼派文学談義』由良君美 11『異端審問』ボルヘス 12『鏡のテオーリア』多田智満子 13『あぢさゐ供養頌』村松定孝 思想・芸術篇 01『プラトンに関する十一章』アラン 02『第一書房 長谷川巳之吉』 03『千利休』唐木順三 04『天使のおそれ』G. ベイトソン 05『英国のプラトン・ルネサンス』 カッシーラー 06『ルネサンス 人と思想』清水純一 07『奇想の系譜』辻 惟雄 08『本の神話学』山口
今回の本は経産省の人が書いた、アイドルを経済との関係で読み解いた本です。かなり面倒くさいw こういうのがサービスなんでしょうかね? ですが、音楽的にも経済的にも首を傾げたくなる記述が沢山登場します。面倒くさい! アイドル国富論: 聖子・明菜の時代からAKB・ももクロ時代までを解く 作者: 境真良出版社/メーカー: 東洋経済新報社発売日: 2014/10/03メディア: 単行本この商品を含むブログ (7件) を見る 『(前略)社会主義とも、保護主義的とも言われた日本的資本主義をグローバル資本主義に接合していく、つまり日本経済が「大人」になっていく動きの中で、「アイドル」という「不完全なもの」の価値はどんどん落ちていき、「アーティスト」と呼ばれる実力派スターが再び評価される時代がやってきました。 それが、「自由市場主義の時代」、そして同時に「アイドル冬の時代」とも言われた90年代です。』P10
自閉症連続体の時代 作者: 立岩真也出版社/メーカー: みすず書房発売日: 2014/08/26メディア: 単行本この商品を含むブログ (6件) を見る 一読した後に「自分にとってはそれほどインパクトのある内容ではない」と思ったのだが、いくつかのニュースと世間の反応を見て、やはり意義がある本なのだと思いなおした。けっこう時間が経ってしまったのでタイムリーとは言えないけれど、書き留めておきたい。 もう数週間前のことになるだろうか。視覚障害をもつ高校生が白杖につまづいた中年男性に蹴られる事件が起きた。世間の反応は「なんてひどいことを」であった。少しして「蹴られる方にも非がある」という声があがりはじめた。すぐにそのような声に対する批判もまた巻き起こった。 そこに、どうやら犯人がわかった、という報道がなされる。知的障害の男性だったと言う。そして、その後の報道はあまりなされなくなったような印象もある
サブカルチャー、俗に「サブカル」と呼ばれている領域の広さ、とめどなさは教育現場でその周辺を教えなくてはならない人間にとっては変わらぬ悩みの種である。マンガ、アニメを自分の好む範囲でやっていればそれですむのか。サブカルに少し先行した感じの一九六〇年代のカウンターカルチャーとはどういう関係にあるのか。両者ともつきつめていくと「ヴィジュアル・カルチャー」という、ひょっとして新領域たりうる巨大分野の中の
学校の授業から長い間まじめに英語を勉強したが、いつまで経っても話せない人 英語教材を買い集めて勉強しても話せるようにならない「英語コンプレックス」保持者 辞書がないと会話ができないと思っている人 「◯◯って英語で何て言うんですか?」とつい聞いてしまう人 (「はじめに」より) 『ずるいえいご』(青木ゆか、ほしのゆみ著、日本経済新聞出版社)は、上記のような人に書かれた本だそうです。 ここで著者は、「話せるものが話せない理由」として、「単語がわからない」「フレーズを覚えてもすぐ忘れる」という2点を指摘しています。しかしこれらは、言い換え術で話せるのだとか。詰め込むのではなく、いまある英語を応用して使いこなす、つまり「捨てる」姿勢が大切だということです。Part 2「言い換えの原則『4大柱』を引き出してみましょう。 1.8割を捨てる 英語で話せるようになりたいなら、大切なのは「8割すてる」勇気を持
2014年の「新書大賞」に藻谷浩介とNHK広島取材班の『里山資本主義』が選ばれた。「日本経済は安心の原理で動く」と副題にあるが、里山の木質バイオマスを利用すると、安心な社会と経済が実現するのだろうか。藻谷は「マッチョな経済」との言葉で経済成長を否定し、里山資本主義を推しているようだが、その結果、実は安心が失われることに多くの読者は気づいていない。だから、新書大賞に選ばれたのだろう。 菅直人元首相と民主党のマニフェストを覚えておられるだろうか。「最小不幸社会の実現」だった。里山資本主義が目指しているのは、最小幸福社会とまでは言わないが、少なくとも「最大幸福社会」ではない。藻谷の『デフレの正体』と同様に、著者の主張には経済の観点からみると危うい点がいくつもある。「やくざな経済」から「かたぎの経済」へと言い、リフレ論などを「数字の裏付けや論理的分析を欠いたまま出てきている」と批判しているが、その
マックス・ウェーバーの日本 受容史の研究1905−1995 著者:ヴォルフガング・シュヴェントカー 出版社:みすず書房 ジャンル:社会・時事・政治・行政 マックス・ウェーバーの日本 [著]ヴォルフガング・シュヴェントカー 本書は、日本のウェーバー研究の内容を、大正時代から現在にいたるまで詳細に検討するものである。実は、ウェーバーは日本で、ドイツで以上によく読まれてきた。にもかかわらず、日本人のウェーバー研究はドイツでほとんど知られていなかった。したがって、本書がドイツの読者にとって役立つことは当然であるが、日本人にとっても、いろいろと考えさせる事柄を含んでいる。 日本は、非西洋圏で唯一、近代資本主義国家となった。その理由を問うために、日本人は特に、ウェーバーの理論を必要としたといえる。しかし、ウェーバーが広く読まれるようになったのは、1930年代、天皇制ファシズムが席巻し、マルクス主義運動
いま読むペロー「昔話」 [訳・解説]工藤庸子 グリムの童話「赤頭巾」では、少女がお婆(ばあ)さんに化けた狼(おおかみ)に食われたあと、猟師が狼を撃って腹から少女を助け出すことになっている。しかし、ペローの昔話では、少女はたんに食われてしまうだけである。坂口安吾は「文学のふるさと」(昭和16年)というエッセーで、この結末に衝撃を受けたことを記している。童話にあるようなモラルがここにはない。読む者は「突き放される」。しかし、このように突き放されるところに、「文学のふるさと」があるのだ、という。 以来、私はペローの昔話が気になりいつか調べてみようと思っていたが、その機会がなかった。新訳と詳細な解説が付された本書は、そのような疑問に答えてくれるものであった。グリム兄弟は19世紀初期ドイツのロマン主義者で、民話を児童文学として書きなおした。一方、ペローは17世紀フランス絶対王制の官僚であった。彼はこ
ブータンの国民総幸福量(GNH)が時々話題になるが、それと似たアプローチで様々な政策を議論している本が「幸福の研究」だ。原題はThe Politics of Happinessで、邦題が内容と乖離しているが、幸福感からの政策議論の本になっている。理論的に手堅い話かと思ったが、意外に奔放に政策談義が展開されていく。 読みやすいかと言うと、読みづらい。書いている人は著名な法学者のせいか構成が堅く、だんだんと何を議論しているのか分からなくなる。第11章がまとめになっており、まずここを読むと全体像が分かりやすい。11、1、2、3・・・と読み込むのがいいようだ。 1. 幸福感の測定が必要な理由を丁寧に説明 第1章で幸福感を測った研究を紹介し、第2章で幸福感の測定値の信頼性を議論し、第3章で幸福感を政策評価に利用すべき理由を述べている。経験抽出調査や日常再現法、もしくは単純なアンケートで調査された幸福
人は誰でも死ぬ。それ故に古今東西、人は死について考え続け、死者を弔う儀式を生みだしてきたが、葬儀の仕方は場所によって異なり、時代によって変化し、今後も変るだろう。 ジャーナリストの著者は、自分の葬儀さえ無意味だとしていた父親が遺灰を墓地に散布するよう手紙をしたためていたことに驚き、それをきっかけに、かつて取材した土地を再訪し、それぞれの葬儀をルポしはじめる。 といって単なる各地の葬儀ルポではない。最初は一月のイラン。この時期は殉教者フサインを追悼する聖なる月であり、イラン全土で嘆きの儀式が行われる。対して著者の母国イギリスでは、死者への悲しみの感情は抑え込むのが美徳とされる。だが著者によれば、ダイアナ元妃の死によってイギリス人も思いっ切り泣くように変化したという。著者自身も音楽により父を思い出して泣いたこともある。しかし父は家族友人たちが涙に迫られる状況から、むしろ救いたいと考えていたので
【エン-ソフ】は、言論と、様々なオピニオンのためのウェブ・スペースです。「不均質な人的集合による、不均質な集合知の場」を目指して、2012年4月から活動を開始しています。≫詳細 ・『弱いつながり』は素晴らしい本 誤解を回避するために、最初にベタ褒めしておこう。東浩紀の新刊『弱いつながり――検索ワードを探す旅』(幻冬舎、2014・7)は素晴らしい本である。今年下半期の人文系書籍のなかで最大の一作であろうことは間違いない。いや、今年の人文知におけるひとつの事件だとさえいえる。東浩紀というと、博論=主著『存在論的、郵便的』の硬く難しい文章によって、小難しい人だと思っている読者などもいるかもしれないが、本書のリーダビリティはその凝り固まったイメージを一新させるだろう。そして、何より、単に読みやすいだけでなく、『弱いつながり』は著者自身が長年積み上げてきた理論(デリダ研究)と実践(株式会社ゲンロンで
自分のなかで、この夏はフィッツジェラルド&サリンジャーキャンペーンをやっておりまして、積ん読本がどんどん増えていきます。 フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』は、数年前に村上春樹の訳で読んだのですが、あまりピンとこなくて、そのまま放置していました。自他ともに認めるハルキストの私ですが、村上の翻訳は合わないのか、『ティファニーで朝食を (新潮文庫)』とかもあまり良さがわからないまま放置して本棚に眠っています。なので今回読んだ『グレート・ギャツビー』は、光文社文庫の小川高義訳。 グレート・ギャッツビー (光文社古典新訳文庫) 作者: F.スコットフィッツジェラルド,F.Scott Fitzgerald,小川高義出版社/メーカー: 光文社発売日: 2009/09/08メディア: 文庫 クリック: 26回この商品を含むブログ (22件) を見る 訳者を変えたのが良かったのか、それとも年齢と
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