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書評に関するnebokegaoのブックマーク (396)

  • 宮沢賢治さんのベジタリアンに対する複雑な思い - 知識連鎖

    宮沢賢治の短編小説に、ベジタリアンについて書かれたビジテリアン大祭というものがあるようです。 Wikipediaのビジテリアン大祭では、「菜主義につきまとう誤解や偏見を宗教になぞらえた作品」と紹介れており、内容も詳しく書かれています。(ただし、現在では「菜主義」の語はベジタリアニズムの訳としては、不適切とされています。ベジタリアニズムは菜を中心とした事を実践することであり、べられる動物由来の品はより細かく分類されたそれぞれの主義によって異なります) 要約して話を紹介すると、主人公はビジテリアン大祭に日の代表として参加しました。会場の入り口で菜主義を中傷するビラが撒かれていた他、大会が始まっても批判派と擁護派の議論が起こってしまいます。 しかし、批判者の論士は途中で考えを変え、擁護派になってしまいます。さらに議論の終わりになると、神学博士が悔い改めて反対者から擁護側にまわって

    nebokegao
    nebokegao 2014/01/24
    「賢治は主人公に「理論上この反対者の主張が勝っているように思われた」と言わせている。文明社会の中にいながら文明を非難する矛盾/単純な擁護ではありません」
  • 『日本の男を喰い尽くすタガメ女の正体』を読んで - ohnosakiko’s blog

    話題の新書。amazonでの評価は分かれている。「評価が高い有用性のあるレビュー」(星4つ)が内容を手際良くまとめてあるので、どんなことが書いてあるか知りたい人にはおすすめ。 日の男を喰い尽くすタガメ女の正体 (講談社+α新書) 作者: 深尾葉子出版社/メーカー: 講談社発売日: 2013/04/23メディア: 新書 クリック: 1回この商品を含むブログ (14件) を見る 筆者の主張を簡単に言えば、「高度経済成長期以降に増えてきた男性の自殺、離婚、DV、ネグレクト、晩婚化・非婚化の要因は、結婚が専業主婦やそれを志向する女性にとって、生存競争を生き抜くために「幸福の擬装工作」までして男性を”搾取”するシステムとなってしまっているからだ。物質的・経済的な条件に左右される「幸福の指標」は『箍』となって、男性だけでなく女性自身をも呪縛し、今日の日社会の閉塞状況を引き起こしている。これは、戦後

    『日本の男を喰い尽くすタガメ女の正体』を読んで - ohnosakiko’s blog
    nebokegao
    nebokegao 2014/01/23
    「「ひとりひとりが自分の頭で考えて‥‥」と小学校の先生みたいな説教を垂れても、誰一人耳を貸さないのではないか/「魂の脱植民地化」=自己を安全地帯に置いた上で客観的知識だけを実在とする学問観への批判」
  • I'm Standing on the Shoulders of Giants. 10%神話

    「ふつうの人は,脳の潜在能力を10パーセントしか使っていない」この項目には,回答者の72パーセントがイエスと答えた。広告や自己啓発書の喜劇のネタに使われやすいこの不思議な説は,かなり前から信じられており,その出所を探る有名な研究をおこなった心理学者もいる。ここには,可能性の錯覚がもっとも純粋な形で示されている。私たちが,脳を10パーセントしか使っていないとしたら。使い方を知らないだけで,90パーセントの能力がまだ眠っていることになる。だがこの信仰には,問題が多すぎる。第1に,人の「脳の潜在能力」を計測する方法も,その能力のうち個人がどれくらい使っているかを計測する方法も,知られていない。第2に,どんなたぐいの活動であれ,長いあいだ働いていないと脳組織は死んでしまう。そこで,もし私たちが脳の10パーセントしか使っていない場合,奇跡の蘇生や脳移植がない限り,その割合を増やせる可能性はない。最後

    nebokegao
    nebokegao 2014/01/20
    「可能性の錯覚/脳を「これまで以上に」使っても,もちろん日常的な錯覚を避けることはできない」
  • 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    松岡正剛の千夜千冊
    nebokegao
    nebokegao 2014/01/19
    「人々は相対的価値観のゆらぎのなかにいて、合理的な判断に向かおうとしていながらも、自分が最初に価値をアンカーリングしたことに引きずられて不合理な意思決定をしているということ」
  • http://book.asahi.com/ebook/master/2013101000001.html

    nebokegao
    nebokegao 2014/01/13
    「現代は、「今は壊れている報復=互酬の関係が、将来のいずれかの時点には回復されるに違いない」という期待をもつことが、著しく困難/「半沢直樹」の社会的成功=不可能な理想への猛烈な希求」
  • http://book.asahi.com/ebook/master/2014010900003.html

    http://book.asahi.com/ebook/master/2014010900003.html
    nebokegao
    nebokegao 2014/01/11
    「誰もがマルクスを読むべきだ。マルクスの遺したテクストを読みとくことは、世界の現在を解きあかすこと/宗教批判は継続している/資本主義という経済現象そのものが、実は、宗教現象なのだ」
  • ぶんかぶんか付録

    ぶんかぶんか付録 「ぶんかぶんか」および「文系受験生の邪魔をする棚」と連携しています。ついった使用中。

    ぶんかぶんか付録
    nebokegao
    nebokegao 2014/01/10
    上野千鶴子『女ぎらい――ニッポンのミソジニー』書評「マクロな社会構造からミクロな目の前のやり取りに至るまで、何でも説明できるようなタイプの認識を生かすために」
  • '11読書日記42冊目 『ナチュラル・ウーマン』松浦理英子 - Hello, How Low?

    ナチュラル・ウーマン (河出文庫) 作者: 松浦理英子出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2007/05/01メディア: 文庫購入: 4人 クリック: 23回この商品を含むブログ (24件) を見る227p 総計13477p 松浦理英子の小説が好きだと言う人を愛したことがある。そのおかげで極めて奇妙で面白い小説『親指Pの修行時代』を、数年前に読んだ。なにしろ親指がペニスになってしまう女の子が主人公だというだけで、相当に面白いだろう。だが、主題が与えてくれる興奮感とは別に、読みおえた時に感じたのは、作者は愛について勘違いしているんじゃなかろうかということだった。僕は『ナチュラル・ウーマン』のほうが『親指P』よりも好きだ。どことなく『親指P』はクィア理論を小説化しようとしているところがあった。作は初期の作品だけれど、繰り返し描かれる性描写(性的快楽の描写?)の裏側に、痛切な愛の問題が潜

    '11読書日記42冊目 『ナチュラル・ウーマン』松浦理英子 - Hello, How Low?
    nebokegao
    nebokegao 2013/12/31
    「「どうして私はこの人を好きになってしまっているのだろう」という不安は、…愛している自分は何者なのかという主体の問にさいなまれる/性愛=快楽は、愛から決定的に遠ざけられる」
  • 『日本人はなぜ謝りつづけるのか』 - H-Yamaguchi.net

    中尾知代著『日人はなぜ謝りつづけるのか―日英〈戦後和解〉の失敗に学ぶ』(NHK出版、2008年) ひとことでいうと、かなり読みにくいだ。文章が、ではなく、内容が。難しいことが書いてあるからではなく、なかなか受け入れにくい内容だから。ある意味、非常に感情を逆撫でされるだといえる。つい感情的に反発したくなる。たぶん、同様に感じる人は多いだろう。だが、というか、だからこそ、このは読まれるべきだ。そうだそうだと膝を打つ人だけではなく、なんだこれはと腹を立てる人にも。 実際、私もうんうん苦しみながら読んだ。内容てんこ盛りで消化しにくいのもさることながら、納得のいかない部分が多々あってつっこみを入れたくなる。読み終わって「あーすっきり」というではない。でも読み終わってつらつら考えているうちに「ああそういうことか」という感じになってくる。そういうだ。以下、感想文。 著者は、第二次大戦時の捕虜

    『日本人はなぜ謝りつづけるのか』 - H-Yamaguchi.net
    nebokegao
    nebokegao 2013/12/31
    「8月15日が、英国では盛大にお祝いされる日、「VJデー」(対日戦争勝利記念日)/日本人は謝ることのできない民族であると言われ続けることが国辱以外の何であろうか」
  • 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    松岡正剛の千夜千冊
    nebokegao
    nebokegao 2013/12/27
    「リスクを少なくしようとする試みは、それ自体がリスキーなのである。現代におけるリスクのパラドックスは、「安全が危険の函数になっている」ということにある」
  • 1346 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    書でリスクの正体が 証されているのではない。 リスクについての新しい見方を 感覚的に提供している。 No Risk,No Life! ヒントは柔軟性、視点の変化、予測市場、 そしてリアルオプションにある。 No Risk,No Life! 果報は練って待て、 さわれる神から祟りを貰え。 ブログが書籍になった例がだんだんふえている。池田信夫のようなベテランカリスマ・ブロガーもいる。書もそうしたひとつで、ベテランではないが、2004年から2年間ほどのブログをもとにして構成執筆した。 著者は適当に投資を愉しんでいるらしい大学の若手センセーだ。リアルオプションを専門にしている。リアルオプションは企業や経営者が投資計画をたて、意思決定をするときの柔軟な分析理論をいう。 ブログは当たり外れが激しいが(どんなもそうだけれど、ブログだからおもしろいなんてことはほとんどない)、書にはときおり痛快

    1346 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
    nebokegao
    nebokegao 2013/12/26
    「意思決定に関する柔軟性がリアルオプション/リアルオプションを確保するには、ひとつには偶発性を充実させておくための「場」、もうひとつにはその持ち主や才能性をどこかで提示しておく必要がある」
  • 1062 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    男と女について。「美しいのは男で、色っぽいのが女だ」というのがそのころの松浦理英子の持論だった。美しさというのは「線の鋭さ、堅さ、緊張感」がほとんど奇跡的に現世での「超越=永遠」を感じさせるようなものを、色っぽさは「線の優しさ、柔らかさ、甘さ」から生じていて、不安定で可動的な「はかなさ=危うさ」に達しているものをいう。1983年の25歳のときの文章。 犬について。松浦理英子は「自分で仔犬が産めないのが残念なくらい」に、犬が好きだと告白していた。たとえデート中でも犬を見かければ近寄ってしまう。昭和33年、戌年生まれ。一番好きな犬をめぐる作品はフリッパ・ピアスの『まぼろしの小さな犬』。 中学生について。保健の性の話を聞いたときの感想。「だいたいメンスのある女と射精のできる男が、なぜまた餌を待ち受けて嘴を開いた雛鳥のように知識をあてがわれるのを待っていなければならないのか。馬鹿にした話だ」。そう

    1062 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
    nebokegao
    nebokegao 2013/12/24
    「松浦は『ナチュラル・ウーマン』においても『親指Pの修業時代』においても、つねに非性器的であり、非男根的なのである」
  • 0433夜 『ペニスの文化史』 マルク・ボナール&ミシェル・シューマン − 松岡正剛の千夜千冊

    先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、

    0433夜 『ペニスの文化史』 マルク・ボナール&ミシェル・シューマン − 松岡正剛の千夜千冊
  • 0875 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    さっき、そうか人にどのをとりあげたらいいか尋ねてからにすればよかったと悔やみつつ、一冊で10年ぶんの上野千鶴子高速遍歴が読める『差異の政治学』(岩波書店)にしようかと迷った。これなら「失われた日の十年」を越えた加筆もあるので、紹介するにふさわしい。 が、これはやや堅すぎるし、ぼくの紹介では妙味がつかないと気づき、ここはもっと煽情的に、たとえば『スカートの下の劇場』(河出書房新社)のほうがいいか、いやいや、きっとあまり知られていないだろう京大俳句会時代の句集『黄金郷』(深夜叢書社)が意外だからいいかとも思ったのだが(この「あとがき」は秀逸だ)、これはフェアプレーじゃないと諦めた。そこでうんと原点回帰して、想い出すだに懐かしい『セクシィ・ギャルの大研究』(カッパ・サイエンス)をぼく自身が久しぶりに読み返す機会にもなるのでそうしようかと、まあこんなふうに右往左往したすえに、書『女は世界を

    0875 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
    nebokegao
    nebokegao 2013/12/23
    「ともかくも上野千鶴子は、文意の構造が論理的でいて、また論理官能的/《フェミニズムはもはや「女の思想」であることを超えている。》」
  • 1127 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    性的差異のエチカ リュス・イリガライ 産業図書 1986 Luce Irigaray Éthique de la Différence Sexuelle 1984 [訳]浜名優美 フェミニズムがこんなにも多様で、こんなにもラディカルで、こんなにも痛快なものになるとは、70年代には予想できなかった。痛快というのは、たとえば男根哲学をフィロソフィならぬ「ファロソフィ」と名付けたり、アナログを肛門(アナル)とひっかけて肛門主義者(アナロジスト)と言ったりするウィットも含んでいる。ぼくはこういうセンスが好きなのだ。 1973年のことだったか、日の最初のウーマンリブの活動に18歳ほどで身を投じていた木村久美子が桑沢デザイン研究所をやめて工作舎にやってきた。言葉の端々にリブ、リブという響きが入る。マッチョな男主義のつまらなさを早くも実感しているようでもあったし、理論的戦闘性に憧れてもいるようだったが

    1127 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
  • 0281 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    七つの資主義 ハムデンターナー&トロンペナールス 日経済新聞社 1997 Charles Hampden-Turner & Alfons Trompenaars The Seven Cultures of Capitalism 1993 [訳]上原一男・若田部昌澄 こういうをどう読むかというのは、どの国の経済のシステムにたって何をしたいのかによって、大きく異なってくる。 このが書かれたのは1993年だが、このころアメリカは日に腹をたてていたか、恨んでいた。ところがこのあと、アメリカは低迷を脱出し、逆に日がひどい低迷を続ける。このはそういう転換点で書かれたものなので、おそらくはいま読むと、当時のアメリカが何をもって“敵”の成功を見破り、何をもって自身の停滞を読み替え、どのように危機を脱出したのか、きっとそういうことも読めてくる。 ちなみにぼくはどう読んだかということは、いまとな

    0281 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
    nebokegao
    nebokegao 2013/12/23
    「日本=協力しながら競争するという世界中が理解できないシステム原理で進んでいる資本主義/オランダ=高度に組織化された行動を自分がとれるということが自由」
  • 0271 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    10年ほど前にホンダの久米社長から一年ほど話に付きあってほしいと言われた。意外にも生物物理学者の清水博さんによる紹介である。当時、ホンダは海外でもアコードで圧勝しつつあったのに、突如としてジャパン・バッシングの矢面に立ち、アメリカ市場で苦境に追いこまれていた。アコードの全米売り上げも急落した。 ホンダはF1からの撤退を決意し、「地球にやさしいクルマ」などというホンダらしくないメッセージを選択させられることになるのだが、当時のホンダ・ファンはこの選択を苦々しく見ていた。ホンダとしては日米経済戦争という大きなシナリオに巻きこまれてやむなく苦渋の決断をしたというのである。 ぼくが呼ばれたのはそのころで、久米さんはかなり腹をたてていた。しかし、アメリカが突きつけてくる「日人は何を考えているのか」という質問にうまく答えきれない。なんとか「日とはこういうものだ」という回答をぶつけたい、ついては松岡

    0271 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
    nebokegao
    nebokegao 2013/12/23
    「だいたい大人というのは過去を背負っている。過去に頼ってよしあしを判断するから、180度転換したときには非常に危ないイデオロギーで現在を見つめる。私はこれが一番危険であるとみた」
  • 1277 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    いまさらだが、金融資主義がおかしくなっている。 世の中、やっとそのことに気がついた。 では、それだけかといえば、そんなことはない。 民主主義もかなり変質しているはずだ。 いや、それだけではない。 自由主義もおかしくなっている。 いやいや、むしろ資主義と民主主義と自由主義とが 互いに境界を失って溶け出しているというべきだ。 いったい、何がおこっていて、 それをどのようにみればいいのか。 書には、そのヒントが丹念に語られていた。 ぼくには、人前でのタバコの喫いすぎから生活能力の欠如まで、自慢できるほどいっぱいの欠陥があるのだが、それを仮に“思想方面”に絞っても(そういうことが仮りに可能だとして)、まだまだいろいろの欠陥がある。誰かがぼくを詰(なじ)ろうとすれば、その点をこそ問題にして批判したくなるような欠陥だ。ある領域、ある概念、ある傾向に対して、いちじるしい浅慮、脱落、歪曲、無知、逸脱

    1277 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
    nebokegao
    nebokegao 2013/12/22
    「民主主義と自由主義はともに「大きな市場」にくみこまれてしまった/多数決に同意するということは、多数の決定をあたかも自己の決定であるかのように受け入れるフィクションを承認するということ」
  • 1345 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    プログラミングとハッキング、信仰とテロ、 環境保全と割り箸批判、親愛とセクハラ、予報と誤報、 地震と設計、母乳とダイオキシン、喫煙と癌、 ネオフィリアとネオフォリア、基地と安全保障、 地球温暖化と排出権取引、関心と無知、 肥満と整形、白鳥保護と鳥インフルエンザ、 指導と叱咤と肩叩き、不倫とウソと隠しごと、 喋りすぎ、笑いすぎ、黙りすぎ、書きすぎ。 あれっ、これらのどちらがリスク、どちらが安全? どうしたことか。今日の社会はいつのまにか「安全と安心を求めるリスク社会」になっている。えっ、安全や安心を求めてそれでどこが悪いのですかと訝る諸君もいるだろうけれど、それはそうとうにおめでたい。 いまや安全と安心は、古代ギリシアのアタラクシアでも、古代仏教のニルヴァーナでもなくて、身のまわりに及ぶかもしれないリスクと、めったに身のまわりには及ばないであろうリスクを、同時に除去することからしか得られなく

    1345 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
    nebokegao
    nebokegao 2013/12/22
    「信頼のコストは類似性の連鎖にどれだけコストを払うかということ/似たような価値観を共有しているように感じられると、その相手に対する信頼も共有される」
  • 1344 夜 | 松岡正剛の千夜千冊

    合理的な愚か者 経済学=倫理学探求 アマルティア・セン 勁草書房 1989 Amartya Sen Rational Fools ☆ Choice, Welfare and Measurement [訳]大庭健・川隆史 装幀:寺山祐策 社会は市場ではない。意識も市場ではない。 けれども社会にも個人の意識にも、「効用」と「厚生」が必ずつきまとう。 これらは価値社会には欠かせないと考えられてきた。 そのため多くの者が合理的な成果を求めてきた。 しかし、社会と意識と市場が そんなに合理的にできてきたのかといえば、 これははなはだあやしかった。 それどころか、そこには「合理的な愚か者」が 溢れかえっていたのかもしれない。 「合理的な愚か者」とは誰なのか。何なのか。 今夜は、アマルティア・センの社会学の刃が 社会の常識に向けて切り返してみせた ケイパビリティによる概念工事を紹介したい。 社会は市場

    1344 夜 | 松岡正剛の千夜千冊
    nebokegao
    nebokegao 2013/12/22
    「多数決の原理と市場の原理。この二つのしくみには、複数の個人の価値判断を単一の社会的な価値判断に仕向けるしくみができていそうなのである」