2016 - 11 - 11 ピコ太郎、台湾上陸。空港で多くのファンにもみくちゃにされる。CM起用もされ、台湾で人気爆発の理由とは。 台湾 台湾でも超人気のピコ太郎が台湾に来て、松山空港でファンから熱いエールと喝采を受けました。 私の友達も台北松山空港へ行って出待ちをしていて、その模様をFBにアップしていて驚きました。 ピコ太郎、台湾を訪問 空港にファン殺到 報道陣からもみくちゃに | 芸能スポーツ | 中央社フォーカス台湾 さすが話題の人物だけあって、 まるでジャニーズのタレントが来たときのような歓待ぶり です。ピコ太郎来台の理由は クラブでのイベントに呼ばれたから とのこと。いろいろなメディアの取材も受けると思われるので、またニュースになってたらブログに書こうと思います。 日本ブレイク前に台湾で流行していたピコ太郎 私がピコ太郎を始めて知ったのは、 台湾人が面白いよと教えてくれたか
2016 - 09 - 17 蓮舫「台湾人にも応援して欲しい」→中国よりで台湾独立反対の台湾・親民党議員から「活躍を期待」とエール。蓮舫「国籍は日本だがアイデンティティは台湾」 台湾 「台湾は国ではない」 と言いはなち、台湾の国民及び国会議員からも反発を受けている 蓮舫 が民進党代表選出後、台湾の中央通信社の取材に「台湾は父親の故郷なので、 台湾の皆様もぜひ応援してほしい 」と言っています。 なかなかすごい神経ですね。こうでなくては政治家とか務まらないのでしょうか。 一番じゃなきゃダメですか?[Kindle版] posted with ヨメレバ 蓮舫 PHP研究所 2010-06-16 Kindle Amazon[書籍版] 民進党代表選、台湾メディアが速報!蓮舫氏「応援してほしい」 - 芸能社会 - SANSPO.COM(サンスポ) 中国よりの台湾の党「親民党」から蓮舫にエール 台湾の
本書「浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか」(参照)の表題の問いについて関心がある人なら、それは「おわりに」の数ページが扱っているだけなので、さっとそこだけ立ち読みすれば終わる。ただ、さっと読んでわかる回答は書かれていない。筆者の用意した回答としては「庶民の宗教だから」というのが筆頭に来るが、それが明瞭に支持された解説に拠らずややわかりづらい印象を受ける。しかし、そこは本書の欠点ではない。 むしろ本書全体を読めば、明瞭な答えに導かれる。つまり、浄土真宗は妻帯から家系による寺の相続が可能になったこと(本来寺はそういうものではない)と、妻帯に伴う縁組みで閨閥が形成できることだ。 浄土真宗を宗教としてみるとわかりづらいが、諸侯や商店の特異とも見ればよいとも言えるだろう。浄土真宗藩や浄土真宗店とでもいうようなものである。さらに江戸時代に幕府から特別に保護されたことの要因も大きい。 ただし、それらの
男性を信じられない(30代女性) 【相談】 私は男性を信じることができません。怖いというより、嫌い。話をしてもつまらない、頼りにならない、といった感情です。 東日本大震災の影響で不安が募り、若い男女に結婚志願者が増えているといいます。私はそれを聞き、「なぜ?」と思いました。知識を得ていけば、男性に求めなければいけないことなどそれほどないのではないかと思ってしまいました。 昔の日本男児だらけの日本であればそうは思わないと思いますが、現代男性のように打てば崩れる人たちに何かを求めようとは思えなくなってしまいました。現在お付き合いしてくれる方がいますが、全くと言っていいほど普通のコミュニケーションを取ることを自分で制御してしまいます。 頼りにできない人間と結婚という形を取るのか、尼さんになることも手なのかもしれない。この状況を打開できる方法を教えてください。(静岡県 30代女性) 【回答】 男性
格差と若者の非活動性について (内田樹の研究室) Q1.現在、世界では、経済格差(世代間格差ではなく、金持ちとそうではない人との格差)や社会への不満に対して、多くの若者たちが声を上げ、デモを起こし、自分たちの意見を社会に訴えようと行動しています。翻って日本ではここ数十年、目に見える形での若者の社会的行動はほとんど見られません。これだけ若者たちにしわ寄せが行く社会になっているのに、そして政策的にも若年層に不利な方向で進んでいるのに、若者たちはなぜ、社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのでしょうか? それは特に不満を感じていないからなのか、それともそうした行動に対して冷めているのか。あるいは社会的に連帯するという行為ができないのか。ネットにはけ口が向かっているだけなのか。内田さんはどのようにお考えでしょうか? なぜ若者が何も言わないのか? 答えは単純。「言っても無駄だと思っているから」。
小説家というのは、昔は戯作者としてバカにされるアウトローだった、という。それが変わったのが、石原新太郎が芥川賞をとった昭和30年ころだという通説がある。 しかしどうもこの説は胡散臭い。だいいち、「太陽の季節」や「太陽族映画」は良識派の顰蹙をかったもので、それで作家の地位が上がるというのはおかしい。 むろん、昭和30年ころに社会構造の変化があったので、たまたま「太陽の季節」と重なったのだというなら、分かる。 だが、実際は、もっと複雑だったのではないか。明治期にも、尊敬される作家というのはいたし、現代でも、軽蔑される作家というのはいる。前者は漱石や鴎外、露伴などで、後者はポルノ作家である。あるいは、村上龍や山田詠美のように、登場した時は不良扱いされていたのが、がんばって書き続けて評価されて地位が上がるとか、大江健三郎だって、当初は不健全で性的なことを描く作家とされていたのが、ノーベル賞とか光と
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