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るおへぎ @Ruwohegi まどマギに関して日常系の回路とバトロワ系の回路を複合させたハイブリッドな作品だ、とは僕は全然思っていない。少なくとも3話で日常系の回路は断絶されていた。「蒼樹うめ」絵の「魔法少女」を殺すことは、死なない身体を殺すというリアリティで日常系の不可能性を明らかにする行為だからだ。 2011-09-10 11:45:28 るおへぎ @Ruwohegi 記号としてのキャラクターが身体性を獲得して成立したのが戦後まんがだとするとその身体性は 「萌える」という消費形態によって再度記号化されてしまった。即ちデータベース消費の体現者こそが魔法少女だった。さらにキャラデザに空気系のコンテクストを導入することで萌える消費を徹底化している。 2011-09-10 11:56:17
ラジオJUNKリスナーなんですけど、前に爆笑問題の太田さんとかおぎやはぎの矢作さんとかがこぞって「このアニメはやべぇぞ」なんて話をしてましてずっと未視聴だったのでめっちゃ気になってまして、でも齢27の男がレンタルビデオ屋で『魔法少女まどか☆マギカ』なんつう名前の萌絵アニメを夜な夜な借りに行くのも気が引けるし、いきなりブルーレイで購入するっていうのも金銭的にキツいものがあるので観られる機会が全然なかったんですけど、フルハウスの続編観たさにたまたま加入していたNetflixで全話観られるという事実に気付きまして、いま全裸でバケツに氷水頭からかぶって土下座してます。ほんとすいませんでした。めちゃめちゃ面白かった。 元々アニメ観る習慣があんまりないんでよくわからないんですけど、2010年代のアニメってこんな面白いんですか。いや、面白いって単純に言っていいのか、これは。『魔法少女』って冠してたら「お
『魔法少女まどか☆マギカ』における「ループ」の理論的意味 東浩紀は『魔法少女まどか☆マギカ』のダメな点について、次のようにTweetしている。 キャラクター/プレイヤーの存在論的循環で、そこを抜け出るにはぼくの哲学では郵便的/生殖的/現実界的経験をもってしありえないので、要は性差がなければセカイ系的なループは脱出できず、したがってまどまぎは女の子しかいないのでだめなんじゃないかとか、そんな話をいつかできたらいいですな。— 東浩紀 (@hazuma) 2013, 10月 31 東浩紀の『まどマギ』disは今に始まった事ではない。彼は『まどマギ』に対して、当初から一貫して否定的な態度を維持してきた。しかし、彼が同作を叩くのは、よく言われるように、彼が原案を担当した『フラクタル』が商業的に失敗に終わったのと対照的に、同時期に放送された『まどマギ』が大成功を収めて、単なる「アキバ系狙い撃ち」にとど
恋人といる時の雪って特別な気分に浸れてあたしは好きです。で、杏さや~。友人がやってたトレスが可愛すぎたので。 http://t.co/DNhbPQycc4
From 藤井聡@京都大学大学院教授 ————————————————————– ●いよいよ1/7開講! 三橋経済塾2014、塾生募集 99%を不幸にする経済学の正体について学びます。 http://members.mitsuhashi-keizaijuku.jp/ ※会員サイトの閲覧は1/7からですが、会員資格は1/1から発効します。 ※月刊三橋会員は、三橋経済塾に大幅な割引価格で入会できます。 http://keieikagakupub.com/lp/mitsuhashi/38NEWS_video.php?ts=sidebar ※月刊三橋特別価格のお問い合わせは、こちらまで http://takaaki-mitsuhashi.com/economic-school/ ————————————————————– 何の因果か、この週末、 「魔法少女まどかマギカ」 の劇場版をDVD(今、映画
―女は聖母になる。そして同時に魔女にも。 ―カール・シュミット 魔法少女の運命、すなわち罪と罰のエコノミーに対して、純粋なる暴力がふるわれた。罪はまどかによって引き受けられた(annehmen)。それによってあらゆる罪は贖われた。つまり、あらゆる時間の魔法少女は、常にすでに救済されることになったのである――しかし、ほむらは自身のソウル・ジェムを自ら砕き、魔女となる。彼女は救済を拒む。「円環の理」の救済を。 なぜ?我々は今や新たな考察をくわえる必要に迫られている。ほむらの「叛逆」とは何か。そのためには、「叛逆」の対象、「円環の理」とは何かを明らかにしなければならない。過去と未来を超越する”Jetztzeit”の概念も、時間(Zeit)の概念、すなわち過去と未来の概念を、その語の内に指示している。だが、今や時間は消失した。なんとなれば、時間の両端が結ばれてしまったのである。つまり、「円環」とし
まどかまぎか見てきたよ。どう語ってもネタバレになる映画だった。というわけで、以下はネタバレしているはずです。未見の方はごらんにならないでください。ぜったいにね! エヴァ破のときは、あまりに展開が悲しくて、じたばたしてしまったわたしだけれど、今回はじたばたはしなかった。そりゃあ、とんでもない展開であったことは確かだし、このストーリーが、異常とも言える数の人間に観られていることがなによりも変な感じがした。ほむらちゃんは結局、あの草原でまどかが語った本音、「本当はそんなことしたくなかった」という言葉のために、ああいうことをしたのだろう。そしてそのときが、彼女の完全な絶望の始まりだったのだと思う。自分の「まどかを助けたい」という願いが、まどかを実際には不幸にしてしまったということ、その確信がもたらされた瞬間だった。魔法少女は自らの願いをのろい、魔女になる。孵化の途中であったほむらの、魔女化が、決定
つらつらと思ったことを書いていくので見難いです。 読者に向けて言葉を発している文体ですが読者=私自身を想定しています。 新編は、私の解釈として 「暁美ほむらと鹿目まどかのすれ違いが浮き彫りになり、新たな神話的関係性を築くにまで至る物語」 という形で一先ず決着をつけました。 『すれ違い』とは何か? 第一のすれ違いは、まどかがほむらに抱いていた印象です。 『私の最高の友達』とは、自分のために何度も何度も傷だらけになりながら泣いて苦しんで頑張ってくれたほむらに対するまどかの印象です。 確かに、素晴らしい友情と献身だと思います。 「誰かのために在る」ことを美しく思うまどかにとって、ほむらの存在はまさに理想(≒『最高』)でした。まどかだけではなく、多くの視聴者が「暁美ほむらはなんて気高い友情を持つものなのだろうか」と印象付けられたのではないでしょうか。かくいう私もその一人です。 ですがそれが間違いで
観てきました。面白かったですねー! 僕が行ってきた新宿バルトナインではメインキャストのサイン入りポスターが展示されてました。 過去何度か書いてると思いますが、僕は熱心な『まどか』ファンではありません。同時期に放送されていた『フラクタル』や『放浪息子』、『スタドラ』なんかの方がずっと思い入れもある。しかし『まどか』が超面白い作品であることは明らかだし、超面白い作品を観ないわけにいかないのは自然の摂理。なのでバルトナインの0時上映会に行って……くるつもりでしたが、気がついたらその回のチケットは既に売り切れていて、仕方なく午前4時40分の回を観てきました。午前4時って……。帰ってきたら精魂尽き果ててたので、その日放送された『キルラキル』も観ずにそのまま寝たよ! 上映開始前はロビーで0時の最速上映に入退場するお客さんを眺めたり、近くのお店で時間を潰したり。 それにしても最速上映前後、付近のマクドナ
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