まどかまぎか見てきたよ。どう語ってもネタバレになる映画だった。というわけで、以下はネタバレしているはずです。未見の方はごらんにならないでください。ぜったいにね!
エヴァ破のときは、あまりに展開が悲しくて、じたばたしてしまったわたしだけれど、今回はじたばたはしなかった。そりゃあ、とんでもない展開であったことは確かだし、このストーリーが、異常とも言える数の人間に観られていることがなによりも変な感じがした。ほむらちゃんは結局、あの草原でまどかが語った本音、「本当はそんなことしたくなかった」という言葉のために、ああいうことをしたのだろう。そしてそのときが、彼女の完全な絶望の始まりだったのだと思う。自分の「まどかを助けたい」という願いが、まどかを実際には不幸にしてしまったということ、その確信がもたらされた瞬間だった。魔法少女は自らの願いをのろい、魔女になる。孵化の途中であったほむらの、魔女化が、決定的に進んだのはきっとあのしゅんかんだったのだろう。(じっさいなんか紫のものがぶわって出てたし)だから彼女を手放しで、自分勝手だとか非難する気にはなれないけれど、だからといって、エゴが少しも混ざっていない、とは決して言えない。
まどかが抱いたのは、博愛だった。みんなを愛することだった。すばらしいことだね。だれもが否定できない。でも、じゃあ、みんな、そうできるのかな? そうできない人間はのろわれるべきなのかな? 大切な人たちを、当たり前の顔でみんな、特別扱いしている。誕生日を全人類の分、祝っている訳ではないよね。お金に困っている人を全員、助ける訳ではないよね。みんながそうしてしまっているから、それは悪とはいえないけれど、結局、全員が全員、神を除いてすべてが、人をえこひいきしているのだ。
そしてそれが愛だって、いうのが人類だろ。
ほむらはなんて人間らしいんだろう。人間は簡単に、平和だとか全人類兄弟だとか、言うけれど、人間が祈れる幸せなんて、ちっぽけな規模でしかない。そばにいる数人のしあわせを精一杯祈っている。(そして、それを全人類がすることができれば、結果的にみんなが幸せになるのかもしれない。)わたしたちにできるのは、結局、選び抜いてしまったわずかなひとを、大切にすることだけなのだ。
ほむらにとってはその、わずかなひとが、まどかなだけだった。
やったことの規模が大きすぎる。巻き添えが多すぎる。世界中を巻き込んでまで、やることじゃない。それはそのとおりだけれど、かといって、全人類の運命を背負っているまどかを、他の人を巻き添えにすることなく救うことは不可能だった。まどかを助けるには、まどかが背負ったすべてを、巻き込むしかなかったのだ。ほむらにとって選択肢は、まどかを特別扱いしてでも助けるか、それともまどかの苦しみを、見て見ぬ振りするしかない。「ありがとう」と、まどかが背負ったすべて業を、受け流すことなんて彼女にはできないのだろう。だって、それが、「いやだ」とまどかの本音は語ったのだから。
でももちろんそこに、ほむらの「まどかと一緒にいたい」という欲望はある。だって、何よりも最初の、「大切にしたい、そして大切にできる、唯一のひと」が、まどかである、というそのえこひいきが、その欲望によって、成り立っているものなのだから。もしほむらを否定するならば、人は、個人に対して抱く愛情の存在から、エゴであると切って捨てていかなければいけない。それか、もはやだれも巻き込まずに助けることができなくなってしまった、まどかの「博愛」、「すべてを背負ってしまったこと」を否定すべきなのかもしれない。
まどかは神になった。つまりそれは、人が、個人的な愛情を抱いてはいけない対象になってしまったということだ。愛せば、えこひいきをすれば、他のすべての人類を巻き込んだ最悪の結末を生み出してしまう。でも、神になる前から、彼女が人である頃から、彼女を愛していたほむらの気持ちはどこにいくのだろう? 愛するべきではない存在に成り果て、それでいて「大切な友達」と彼女に言ってしまったまどかは、ほむらに呪いをかけてしまったようなものだ。博愛を選んだ時点で、彼女は、ほむらが抱いている愛情を、無理矢理でも忘れさせるべきだったし、自分を覚えているということが、彼女にどれほどの苦しみを生むのか知っておくべきだった。すべての人を愛するなら、だれにも、自分を愛させてはいけない。(けれどそれはまどかの孤独を意味するし、ほむらが望んでいることでは決してない。)
未熟な博愛と、置き去りにされた個人的愛情が、交差して、起きてしまった終末。まどかは怒るかもしれない。そして結局は許すのかもしれない。どちらを優先すべきなのか、それはわからないし、どちらも、間違ってはいないのだから。ただ、相容れないだろうとおもう。まどかは、博愛を選び、ほむらの記憶すら完全に消し去って、そのことで、ほむらをまどかという呪いから救うしかないのかもしれない。それで、まどかはもっと、孤独になるけれど。でもそれしかないんじゃないかなあ…。何となく思ったのは、博愛というのは人間が負うにはあまりにも無茶で、でも、まどかはそれを実現する為に、自らに重い業を背負わせ、神になり、みんなの記憶から消えるという選択までした。ほむらに覚えてもらえたら嬉しいな、とおもっている、それだけが彼女の間違い(でも仕方ないよね)だったけれど、まどかは「博愛」という絵空事を、望む権利がちゃんとあったと思うんだよなあ。それ相応の責任はせおったよね。そして、それこそがTVシリーズで描かれた、「いつも泣き虫で、衝突を恐れ、みんながなかよくしていてほしいと願う日和見」でしかなかったまどかの、「博愛」への成長であったのだし。でも人類(つまりほむら)はそれについていけないよね。好きな子が神様になっちゃったら、本当辛いね。
追記
まどかが背負ったのは全人類の運命ではない、というコメントがありましたが、たしかにまどかが救いたいと思ったのは「魔法少女」なのかもしれませんが、魔女が生まれなければ死ななかったひとも、魔法少女以外にたくさんいますので、あえて、全人類の運命を背負う、と書きました。まどかの意思ではなく、結果として背負った、という意味です。でも、まあ10分で書いた感想日記なので、厳密に書けていないことは自覚しています。