タグ

倫理に関するholyagammonのブックマーク (33)

  • 関テレの参院選報道、BPOが「倫理違反」指摘 : ニュース : 関西発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    holyagammon
    holyagammon 2014/01/09
    "同番組は、昨年6月10日、インターネットを利用する選挙活動を特集。比例選の立候補予定者3人を取材したが、内容に大きな違いがなく、自民党の太田房江氏の取り組みだけを紹介した"
  • BPO | 放送倫理・番組向上機構 | Broadcasting Ethics & Program Improvement Organization

    2025年5月9日 <議事概要> 第206回議事概要~TBSテレビ『熱狂マニアさん!』について審議~ 2025年4月24日 <委員会決定など> 毎日放送『ゼニガメ』 偽の買取現場への「密着コーナー」に関する意見及び、通知と公表の内容 2025年4月11日 <議事概要> 第205回議事概要~日テレビ『月曜から夜ふかし 』審議入り~ 2025年4月14日 <トピックス> 日テレビ『月曜から夜ふかし』が審議入り 2025年4月14日 <委員会決定など> 放送倫理検証委員会決定第46号の修正について 2025年3月14日 <議事概要> 第204回議事概要~毎日放送『ゼニガメ』委員会決定を通知・公表へ~ 2025年2月14日 <議事概要> 第203回議事概要~テレビ東京『激録・警察密着24時!!』委員会決定の通知・公表について報告~ 2025年1月17日 <委員会決定など> テレビ東京『激録・警

  • 弔いと生政治 - 過ぎ去ろうとしない過去

    関西で行われている反原発デモのひとつに、「葬送デモ」なるものがあるらしい。福島において被曝による被害が近い将来多発するであろうことを、「葬送」という形で可視化し、問題提起を行うというコンセプトのデモのようだ。 このデモについては、ネットを中心に賛否両論が巻き起こっている。批判の中心は、やはりそれが「不謹慎」であるということだ。福島に住んでいる人たちをあたかも棺桶にいれるかのようなデモは、当地の人々を傷つけるのではないか? このような批判に対して、主催の一人であるS氏が応答を行っている。 http://nonuke-savelife.tumblr.com/post/12855881354 この文章でS氏は、葬送デモが不謹慎である可能性、誰かを傷つける可能性があるかといえばあると認めている。しかし、だからといってこの表現はなされるべきではなかったということにはならない。わたしたちは放射能に対し

    弔いと生政治 - 過ぎ去ろうとしない過去
    holyagammon
    holyagammon 2011/11/17
    "わたしたちは福島に(あるいは日本全国でもいい)何を訴えるかを考える前に、まずわたしたちに対して訴えられていることについて応答できていない、ということを考えるべきだ"
  • 出生前診断で異常発見し中絶、10年間に倍増 : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

  • 自分が殺した男の娘に会った米帰還兵 - Apeman’s diary

    アメリカの軍事史家デーヴ・グロスマンは人間が他の人間を殺すことに対して持つ抵抗感、特に近距離で殺すことへの抵抗感の強さを例証するものとして、次のようなケースを紹介している。 (……)アメリカ軍の中隊指揮官ウィリス大尉は、部隊を率いてベトナムの川床を歩いていたとき、だしぬけに北ベトナムの一兵士と遭遇した。 ウィリスは兵士に並び、M16で相手の胸を狙った。五フィートと離れていなかった。兵士のAK47もまっすぐウィリスに向けられている。 大尉は激しく首をふった。 北ベトナム軍の兵士も同じように激しく首をふった。 休戦協定、停戦命令、紳士協定、それとも取引か……兵士はそろそろとあとじさって闇に消えてゆき、ウィリスはそのまま進み続けた。 (『戦争における「人殺し」の心理学、ちくま学芸文庫、210ページ) もちろん、すべての兵士が殺人を選択せずにすむわけではない。 (……)あるベトナム帰還兵は、若い北

    自分が殺した男の娘に会った米帰還兵 - Apeman’s diary
  • 自覚的な反原発教と、無自覚な原発狂信と - 法華狼の日記

    twitterで[twitter:@noiehoie]氏が反原発の立場から「闘争」をしかけていた。 反原発という宗教 - Togetter 批判する側がまとめたTogetterを見たが、noiehoie氏の相手は大別して2つの欺瞞をかかえている。そして欺瞞に無自覚なように見受けられる。ちょうど個人的に感じていたことと重なるので、指摘しておこう。 まずnoiehoie氏は「反左翼」「反岸信介体制」のような個人的で政治的な価値観にしたがって反原発の立場にあるかのようにふるまっている。つまり最初から科学的な思考のみで結論づけたわけではないことを明かしている。 最終的に政治的で価値観にしたがって立場を選ぶ態度が、このTogetterにおける「宗教」の意味だとしよう。 それでは、noiehoie氏の相手はどうなのだろうか。科学的な思考のみにしたがって立場を選んでいるといえるだろうか*1。もちろん違う

    自覚的な反原発教と、無自覚な原発狂信と - 法華狼の日記
    holyagammon
    holyagammon 2011/04/12
    "生命維持を優先した電力の分配を頭から否定することは、すなわち原発を停止するしないにかかわらず、予想されるより電力が不足した未来には切り捨てるという宣言に他ならない。"
  • 義務と怠惰 - Arisanのノート

    前回の高嶺さんの個展の紹介記事のなかで書いた、雑誌「ビッグイシュー」の1月発売の号、135号だが、そこに掲載されている「世界の当事者」になるという連載コラムの中で、雨宮処凛さんが、こういうことを書いていた。 大阪で行われたホームレス会議のなかで、ある当事者が路上生活におちいった原因として「ギャンブル」というものを挙げたとき、会場から寄せられたアンケートの中に「自己責任では」という意味の言葉が書かれていたというのだ。 雨宮さんは、それに関して、『私は「ホームレスになった」原因を問うこと自体に意味がないと思う。』と、書く。 もちろん、私も取材の現場では当然聞いているのだが、たとえば真面目に働いていたけど失業してホームレスになった人と、ギャンブルやアルコールの問題からホームレスになった人を「分けて」考えるのは、突きつめて考えると、とても怖いことだと思う。 なぜならそれは「支援に値する人」と「支援

    義務と怠惰 - Arisanのノート
  • 「腐った枝」 - Living, Loving, Thinking, Again

    承前*1 『朝日』の記事; 阿久根市長「腐った枝、刈らないと」 障害者の記述巡り(1/2ページ) 2009年12月22日1時40分 自身のブログに「高度医療のおかげで機能障害を持ったのを生き残らせている」と記述し、障害者団体などから批判を浴びた鹿児島県阿久根市の竹原信一市長が21日、福岡市内での講演でこの話題に触れ、「木の枝の先が腐れば切り落とす。そうしないといけない」「表現として厳しいが刈り込む作業をしないと全体が死ぬ」などと発言した。 講演後の記者会見で竹原市長は「『腐った木』とは障害者を指したのか」と聞かれ、「違う」と否定。「どういう意味だったのか」と繰り返し質問を受けたが、「答えない」「新聞は言葉狩り」などと言って回答を拒んだ。 講演会は、福岡市内の民間信用調査会社が企画。集まった会社経営者ら約20人を前に、竹原市長は約40分間、マイクを握った。 講演では障害者に関する記述について

    「腐った枝」 - Living, Loving, Thinking, Again
  • プラネテスのポリティカ その3 - 猿虎日記

    先日の「プラネテスのポリティカ その2」というエントリーには、ブックマークやコメント欄で多くのコメントをいただきました。そのほとんどが「ロックスミス問題」についてのものでした。というわけで、いくつかのコメントについてもう少し答えたいこと、というよりは言いたいこと、があるのですが、少し長くなりそうなので、エントリーとして立てました。 ※あいかわらずネタバレあり。そして長いです。 英雄化と相対化 >大きな目的のためなら300人の犠牲がOKかと問われれば、二つ返事でうんと肯けるはずがないのですよね。(BWさん) ここはちょっと象徴的な表現だと思います。「二つ返事でうんと肯けない」というのは、324人もの人を殺すことが、「通常の」道徳では肯定できないからです。そして、ロックスミスは、その「通常の」道徳では肯定できない恐ろしいことを実際に行った。ところが、そのことによって、ロックスミスは、通常の道徳

    プラネテスのポリティカ その3 - 猿虎日記
  • 「脳死は人の死か」という以前に「脳死判定が本当に脳の死を意味しているのか」が問題 - 赤の女王とお茶を

    臓器移植法案に関して、「脳死は人の死か」、ということに関する意見表明がちらほら見られて、それはそれでいいことだと思うのですが、脳死についてはそれ以前に考えるべきことがあります。 脳死に関する問題は大きく三つに分類されて、 1.どのように『脳の死』を判定し定義するか 2.脳の死が個人の死であるのか 3.個人の臓器をどう扱うべきか と考えることができるわけですが、臓器移植法関連では2以降がよく議論されて1がスルーされがちです。 しかしまず考えるべき、重大なことは1の問題です。 皆さんは脳の死、と言ったとき脳のどのような状態をイメージするでしょうか。 脳波がピーーー、とフラットになった時? それとも脳組織そのものが豆腐のように崩壊してしまった状態? 二つはイコールではありません。 前者のイメージ、脳の機能が外部から測定不能になったときを脳の「機能死」といいます。 後者の状態、脳組織自体が修復不能

    「脳死は人の死か」という以前に「脳死判定が本当に脳の死を意味しているのか」が問題 - 赤の女王とお茶を
  • はてなハイク サービス終了のお知らせ

  • 4月11日在特会デモという暴力について - lmnopqrstuの日記

    雑感 | 13:11 あんにょんはしおいだー。 はやく「あっち」に帰れという皆様のご声援に応え、今日もせっせと(帰国のための)荷づくりに励むlmnopqrstuですー。 蕨であった例のデモですがなんなんでしょーねー。 のり子さんもまた日語で好きな人に「好きです」とかいわなきゃいけなくて、それはとても大切なことなんだけど、この人たちも同じ日語をつかってるんですねー。 デリダ先生がこんなこといってましたー。正当化された母語というものがなかったからには、いったいどの言語で回想録を書けばよいのか? いったいどうやってしかるべき「私は想起する」を口にすればよかろう――みずからの言語とみずからの<私>とを発明しなければならないというのに…略…。*1 カルデロンのり子さんの4月11日を、これから何度もやってくる4月11日を、この人たちは一体なんだと思ってるんでしょーねー。のり子さんが(いずれ)日

  • 集団について - Arisanのノート

    このところ、集団と個人ということをめぐって書いているが、それについて忘れがたい思い出がある。 あるとき、旅をしていて、国内のどの空港だったか忘れたが、誰も居ない広々とした待合室の椅子に座って、疲労からうとうとしてかけていた。そのとき、はじめは気配しか分からなかったが、物静かな10数人の集団がやって来て、自分の周囲をすーっと囲んだのだった。 このとき、ぼくは言いようのない安心感、暖かさを感じた。 周囲を見回してよく見ると、この集団は、初老ぐらいの年齢のすべて黒人の10数人の男女なのであった。この人達が、どこから来たのかは分からない。分厚いコートに身を包んでいるいでたちから想像すると、アメリカの南部の田舎町の、老人会か何かの旅行かも知れないなどと思ったが、この人たちはあまり口を開いている様子もなかったので、英語圏の人なのかどうかさえ、定かでないのだった。 この集団のなかに、自分が包まれている一

    集団について - Arisanのノート
  • 前回の記事のブクマコメントに答えて - Arisanのノート

    前回のエントリーに寄せられたブクマコメントに、いま答えられる範囲で答えます。 http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20090330/p1 まず、mujigeさん。 植民地主義が清算されない限り、すべての日人は植民地システム(朝鮮人を否定する集団の論理)から抜け出すことはできない。とすれば、“善意の介入”であれ、それは朝鮮人の自己決定権を否定するものでしかない。 「善意の介入」であっても、たしかに暴力です。それは否定しません。 しかし、植民地主義が清算され、日人が「朝鮮人を否定する集団の論理」から抜け出せなければ、朝鮮人の「集団の論理」の悪い効果を批判することが出来ないとは、ぼくは考えません。 その理由は、エントリーの中に書いたと思います。 この「介入」が具体的に、どういうものであるか、ぼくには言うことはできま

    前回の記事のブクマコメントに答えて - Arisanのノート
  • 反論・左翼と倫理性 - Arisanのノート

    lmnopqrstuさんから、明快な整理と批判の文章が寄せられましたので、これに答えて反論します。 http://d.hatena.ne.jp/lmnopqrstu/20090329/1238350534 3部構成になっているうち、「2」の部分を全文引いてみます。 氏が「誤読」を経て現在の立場に至った過程から、「誤読」の立場と、「誤読」を否定して(朝鮮人にも)基的人権を保障する原則的立場が、それぞれ想定できる。二つの立場は次のようになるだろう。 A : 自己決定権を唱える朝鮮人は、個人に対して集団の論理の優位を主張する朝鮮人である。 B : そのような主張は危険であり、集団の論理の優位性は見逃すべきでない。 A’: 自己決定権を唱える朝鮮人は、個人に対して集団の論理の優位を主張する朝鮮人ではない。 B’: 朝鮮人にも日人と同じ基的人権を保障すべきである。 つまり氏の解釈は A⇒B か

    反論・左翼と倫理性 - Arisanのノート
  • 倫理の鏡 - パラム、ドル、ヨジャ〜済州島に多いものみっつ〜

    わたしは、いつも、何ものでもなく、ただ「わたし」でありたいと願っているのですが、でも、わたしが何ものでもなく「わたし」だと思っているものは、当に何ものでもない「わたし」であるのか、いつもわからなくなります。  わたしは、今、朝鮮舞踊とチャンゴを習っています。舞踊のほうは、今年で四年目で、チャンゴの方は、習い始めてまだ一年しか経っていません。どちらも難しいですが、でも、習い始めてよかったと思っています。踊りを習い始めたきっかけは、オモニたちのように「オッケチュム」を踊れるようになりたいな、そして、わたしも、オモニたちと一緒にほがらかな顔で楽しく「オッケチュム」を踊りたいな、そう思ったことでした。「オッケチュム」は、オッケ(肩)をつかって自由に踊る踊りで、もともとは、どこかに習いに行くというような、形式ばったものではないように思います。むしろ、そういう形式性とはもっともほど遠い、ひとりひとり

  • 文学・宗教・政治 - Arisanのノート

    村上春樹氏への働きかけを批判する人って、たいていはイスラエルの行動に「苛立ち」だの「憂慮」だのを抱いているらしいが、その人なり(要は自分なり、ということであろう)のやり方というものがあったり、行動できない事情がある場合もあるのだから、その行動なり非行動の自由を束縛するのはおかしい、という言い分のようである(こっちは、束縛するつもりはないんだけど。)。 ところが、この人たちは、村上氏に働きかけることがこの問題の解決(改善)のための「有効な方法だ」と思ってる人たちの行動や発言の自由だけは認めたがらないようなのだ。 変なの。 何度も言うけど、こういう声があるということを知った上で村上氏に判断してもらおうということであって、束縛や強制の意図などないのだ。そんなこと、出来るわけないだろう。 それなのに、そういう声が上がること、世の中の表面にそういう動きが出てくること自体が気にわないらしい。 えらく

    文学・宗教・政治 - Arisanのノート
  • 私は鈍感さを肯定しない - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    id:mojimojiさんが、私が先に引用した西堂行人のピンター評を批判している。 mojimoji「政治的直接性からの逃走」 http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20090130/p1 西堂さんは、ピンターの直接的でない政治的意見の表明を評価する。 ここでも「何も起こりはしなかった」が繰り返されている。ピンターの対応は絶妙である。決して感情的にならず、あくまで劇の対話のように、ユーモアとアイロニーを手放さない。それがために、かえってBBCの愚挙が鮮明になってくるのだ。あくまで「表現」を通しているから、その研ぎ澄まされた言葉は読者のなかに通り一遍でない感情を巻きおこす。 (http://booklog.kinokuniya.co.jp/nisidou/archives/2007/05/post_22.html) しかし、これは(良く読んでみればわかるが)西堂さんは

    私は鈍感さを肯定しない - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
  • 「私は、貴方に、用がある」 - 地を這う難破船

    ⇒http://d.hatena.ne.jp/napsucks/20090112/1231746630 派遣村にはハートマン村長が必要だった。全員整列させて「その日まではウジ虫だ!地球上で最下等の生命体だ!」「両生動物のクソをかき集めた値打ちしかない!」「じっくりかわいがってやる!泣いたり笑ったり出来なくしてやる!」「スキンのまま生まれたクソバカか、デブ?それとも努力してこうなったのか?」「起きろ!起きろ!起きろ!マスかきやめ!パンツ上げ!」的なプレゼンテーションをTVカメラの放列の前で連日。訓練キャンプ化する派遣村、でだいたいあってるのだから正月真冬の日比谷公園で『シルミド』のごとく上半身裸で丸太渡ったり丸太担いだり丸太ボコッたり脱走者を丸太に縛り付けてボコッたりしているところを報道陣に示すべきだった。意味?「大道芸人と困窮者は汗をかかねばならない」。 それが無理なら、イニシエーションの

    「私は、貴方に、用がある」 - 地を這う難破船
    holyagammon
    holyagammon 2009/01/14
    ”人間の義務とは、労働や納税や兵役の以前に、その一切を包含する社会的行為として「私は、貴方に、用がある」と「用」の存在を指し示すこと”
  • 「強いリベラリズム」とマザーテレサ的人道主義、あるいは年越し派遣村 - 倫理学ノート

    「人は自分が直接知覚し得る事柄についてのみ権利を主張でき、政府による介入を要求できる」という「強いリベラリズム」の立場は、「マザーテレサ的人道主義」と親和性を持つ。 マザーテレサ的人道主義の思想は、「汝の目の前の人を助けよ」であるが、これは「人は自分が直接知覚し得る事柄についてのみ責任を負う」という立場に他ならず、強いリベラリズムのちょうど裏返しである。両者の背景にあるのは「直接知覚主義」とでも呼ぶべき立場である。 直接知覚主義からは、人は自己の直接知覚の外にある諸問題については、義務を負わない代わりに、権利も主張できない。私は、報道を通じてのみ知っているジンバブエ人民の困窮について、何の救済の義務も負わない。他方、中学生でも中学生の親でもない私は、中学校における歴史教育の在り方について、何の発言権も持たない。 マザーテレサ的人道主義は、ある意味で、差別主義である。目の前にいる人を、そうで

    「強いリベラリズム」とマザーテレサ的人道主義、あるいは年越し派遣村 - 倫理学ノート
    holyagammon
    holyagammon 2009/01/14
    直接知覚主義