≪千葉県日吉村事件≫ (GHQ報告書3号、350号、624号、871号 再審記録25号、270号) 裁判の期間:1946年4月5日〜20日(境野鷹義は1948年1月7日〜21日) 1945年5月25〜26日の東京大空襲時の深夜、1機の29が千葉県長生郡日吉村(現・長柄町)に墜落し、搭乗員11人のうち4人は墜落死したが、5人は捕虜になり、残り2人は瀕死の重傷を負っていた。 夜明けとともに、捕虜5人は茂原憲兵隊員によって連行されたが、重傷の2人は日吉村の長栄寺に駐屯していた東部第426部隊第1大隊第1挺身中隊(隊長は満淵正明大尉)に預けられた。 中隊では手当を施す術もなく、2人の米兵は放置され、1人は間もなく死亡するに至り、もう1人のDarwin T.EMRY少尉も苦しみ続けていた。中隊長の満淵正明大尉は、命が助かる見込みはないとして処刑を決意し、集まって来た100人以上の村民が見守る中で衛