0 翻訳について 1 知識社会学、科学社会学の既存の立場に対するリンチの評価 (1) マンハイムについて、(2) マートンとその仲間たちについて、(3) 科学知識社会学におけるストロングプログラムについて、(4) 経験的相対主義(コリンズ)、(5) 構築主義的なラボラトリースタディーズ(ラトゥール、ウールガー、クノール=セティナほか)、(6) ポスト構築主義 2 リンチ自身の対案 3 リンチの評価 3-1 実験室の占める位置、3-2 科学的合理性との距離をめぐって、3-3 なぜ「通常科学」なのか 4 まとめ 付録 翻訳に疑問をもったところ エスノメソドロジーそのものに関する議論は今回は荷が重いので、主に科学社会学をめぐるリンチの分析、批判と、それに対するリンチの対案というあたり(つまり第二章、第三章プラス第七章の一部)を中心に検討したい。 0 翻訳について 原文もなかなかの難物だが、翻訳も
1 この発表のスタンス 2 実験室の中へのアプローチ 3 制度的/歴史比較的分析は不要(不可能)なのか? 4 実験室の中を研究する際、EMは最善のアプローチか? 5 「環境問題における批判的科学」研究への貢献は可能か? ref 今回の報告にあたって読んだ文献 図表 表1 リンチによる科学社会学の諸理論に対する批判のまとめ(2~3章) 図 知識概念の位置づけ 表2 科学知の生産局面と利用局面の関係についてのアプローチ比較 参考: コリンズによるGLL批判(Collins 1983) 1 この発表のスタンス 1.1 手短な自己紹介 専門:科学技術の社会学、環境社会学、科学技術社会論(STS) 長良川河口堰、化学物質過敏症、地球温暖化、環境アセスメントなどの事例分析 1.2 この発表の流れ 本書に対する全般的評価、私から見た重要ポイント(2節) 実験室研究の意義は認めるが、制度分析とは共存可能で
本書に対する3つの質問: Q1. 本書で マイケル・リンチが 取り組んだのはどのような課題ですか。 まだ本を読んでいない方を念頭に、「何について書かれた本なのか」を教えてください。 Q2. それぞれの課題に対して、リンチが与えた回答はどのようなものですか。 すでに本を読んだ方にとっての再読のガイドとなることを狙って、この本のポイントがどこにあるかを教えてください。 Q3. こうした課題に取り組むことにはどのような意義がありますか。 アカデミックな文書の中にはふつう記されないが 知っておくと理解に資するような背景的な状況・文脈などを伝え、読者が、より広いコンテクストのなかで本書の評価を行えるよう手助けをしてください。 Q1. 本書で マイケル・リンチが 取り組んだのはどのような課題ですか。 本書でマイケル・リンチが取り組んだ課題は、エスノメソドロジーと科学社会学を認識論の伝統的なトピックへの
2 会話分析について(続々) 3.会話分析への疑問 リンチが会話分析に対して言いたいのは、「固有妥当性要請を無視して、‘科学的活動の'日常的基礎を記述できるはずはなかろう」ということなのだと思う。 リンチの語る固有妥当性要求の主張は、会話分析のオーソドキシーから外れている。会話分析は、基本的に読み手の直観的理解を論文作成の資源として利用するから。そもそも会話分析におけるトランスクリプトの意義は、論文の書き手と読み手が共通して利用できる資源の呈示という点にある。例えば、トランスクリプトによって書き手も読み手も反復的にデータを検討できるとは、会話分析が延々と繰り返して主張してきたことだろう。 会話分析が単純に日常的活動の日常性を記述している分には何も問題は生じない。でも、会話分析が専門的知識/科学的知識の領域に踏み込もうとするとき、会話分析のオーソドキシーは通用しない。「ワークのEM」が、会話
1 シュッツ、あるいはプロトEMについて(続々) 3;認知主義 では、シュッツはいかに間違えたのか?(いかにその教えは覆されたのか?) リンチが見るところ、それは、彼がカウフマンに由来する認知主義的な(表象主義的な、解釈主義的な)科学観を持っていたから。カウフマン-シュッツにおける科学観は以下に書いてある。 p161 さらに,シュッツにとっては,科学の統一は知識のコーパスと1組の手続き的規則とを参照することによって特徴づけられる,ということが事実であるだけではない.日常的社会的世界「一般」もまた,「手持ちの知識のストック」と,そうした知識を実践的行為や社会的相互行為の諸状況に応じて用いていくための1組の認知的規範とを参照することによって特徴づけられる つまり図式化すれば; 知識ストック→→(認知的規範によって状況へ適用)→→理解/実践 シュッツの場合、この科学観は日常生活世界の理解/行為の
1 シュッツ、あるいはプロトEMについて(続) 2;シュッツとプロトEM 本書中盤の構成は;4章でプロトEM論(=シュッツ論)を、デリダのディコンストラクションの発想をベースに展開。で、ディコンストラクション以後どうするか?という問題に、5章でウィトゲンシュタインの拡張、「分析後」としての「治療」をもって答える――という感じだろうか。 4章の議論、プロトEMを理解するには「結論」内の以下の部分をまず読むのがいいと思う。 p363 ポスト分析的エスノメソドロジーは,分析への要請と,科学的理論化の態度に対する「無反省的な」メンバーの自然的態度というシュッツ的対照をアイロニー的に認識することから始まった. このアイロニーというのは,前科学的な生活世界における秩序の内生的産出を探求しようとする「ラディカルな」試みが,いかにして,社会科学の特権を主張するもう1つの試みになったのかを認識することを指し
(娘5歳0ヶ月)こっこ、パパのためにお弁当を作る もちろんこっこからのお手紙はデスクに飾ったそうな 先日こっこが夫のお弁当作りに挑戦しました! 献立を決めて、買い物をして、せっせと下ごしらえから調理、最後はお弁当箱に詰めるまでやり遂げました。 「全部自分でやる!」とうるさいのでほっといたがんばりました…
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AC Bordeaux, France, 12.5%, 750ml, アルカン, \1300 Me, CS, CF ランシュ・バージュが作るジェネリック。 色はまだ枯れていない。きれいなガーネットで香りは弱い。優しい味わいで、尖ったところがないが、少し苦みが出ている。先日のムートン・カデほどではないが、もうピークは過ぎているようだ。(☆☆☆) ここのところ、外で飲むことが多く、久しぶりのおうちワイン。今晩のメインは、揚げ出しチキン。穏やかなワインなので、天つゆとの相性はよい。苦みがなければもっと良いだろう。
◆Travis, US ・Charles Travis, The Uses of Sense: Wittgenstein's Philosophy of Language (OUP, 1989) 第3章の終盤まで。 意味の担い手である意味論的な事象(文であれ発話であれ命題であれ思考内容であれ)は一般に、文脈に応じた意味論的特性の変動を原理的に免れることができないとする、きわめてラディカルな形の文脈主義を擁護しようとする試みとして私的言語をめぐるウィトゲンシュタインの議論を捉えようという内容。 冒頭から抽象度の高い議論が続いて読み進めるのが中々しんどいものの、かなり面白い。 少々抜書き:Wittgenstein's view of rules, and so of semantics in general, is a radical one ---- so much so that i
哲学者P・M・S・ハッカーが序文をよせている、社会学者ジェフ・クルターとウェス・シャロックの著書『現代認知科学における脳、心、人間行動』は心の哲学者には読まれないんだろうか? という@friendsrootsさんのツイートに始まった一連の流れをまとめました。 ツイートを採録させていただいた方々(登場順/敬称略) @friendsroots :社会学(ジェンダー論、法社会学、理論社会学) @contractio :会社員 続きを読む
Would you like us to keep you signed in on this computer ? BOOK REVIEWKnow-HowMichael LynchRethinking Expertise. Harry Collins and Robert Evans. xii + 159 pp. University of Chicago Press, 2007. $37.50. This slim book by Harry Collins and Robert Evans offers a conceptual typology of "expertises." The authors invent a plural form of the word to suggest that more than one type exists. They also iden
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