■ 『とーりまかし』の記事 先日、第4回ジオメディアサミットで、(株)リクルート旅行カンパニー じゃらんリサーチセンターの加藤さんのプレゼンがすばらしかったと書いたのだが、その時に資料としていただいた、『とーりまかし』という雑誌が、なかなか面白い。しかも、最近私があらためて読み始めている、多摩大学教授の中沢新一氏のインタビュー記事があって、あらためて『じゃらん』の編集に関わる人のレベルの高さと着眼点の良さを感じた。先日のプレゼンターの加藤さんのような素晴らしい取組みは、けして1回かぎりの偶然の産物ではないようだ。 ■中沢新一氏の『アースダイバー』 この記事は、中沢氏の著書、『アースダイバー』*1をベースとしたものだが、これは知る人ぞ知る大変な名著で、一読すると東京という都市のヴェールがはがれて、驚くべき相貌に愕然とすることになる。同時に、自分自身の足で歩いて体全体で東京という街を感じてみた
本書は、昨年のディスカッションペーパー(Reinhart-Rogoff)をさらに800年にわたるデータで拡張したもので、いわばキンドルバーガーの有名な本の数量経済史版という感じだ。金融関係者には必携の包括的なデータベースだが、一般向きではない(ビジネスマンには上の論文で十分だろう)。 本書の問題提起は、なぜバブルはこうも繰り返されるのかということだ。結論はタイトルにもあらわれているように、人々が歴史に学ばず、「今回は相場が上がり続ける」と信じることだ。日本のバブルのときも、「ストック経済」というキャッチフレーズで「パラダイム転換」を説いた経済学者がいた。ITバブルのときは、Businessweekが「ニューエコノミー」という言葉をはやらせた。サブプライムのときは「金融工学ですべてのリスクはヘッジできる」という神話が過剰投資をもたらした。 したがって著者は、こうしたバブルから「卒業」でき
アルトゥール・ショーペンハウアー(独: Arthur Schopenhauer,1788年2月22日 - 1860年9月21日)は、ドイツの哲学者[1]。主著は『意志と表象としての世界』(Die Welt als Wille und Vorstellung 1819年)[1]。舞台発音ではショーペンハウエル、ショウペンハウエルとも[2]。 少年時代のショーペンハウアー。 アルトゥール・ショーペンハウアーは1788年、富裕な商人であった父ハインリヒと、名門トロジーネル家の出身であった母ヨハンナ・ショーペンハウアーの長男としてダンツィヒに生まれる[3]。 1793年(アルトゥール5歳)、ダンツィヒがプロイセンに併合された際に一家はハンブルクへ移住、妹アデーレが生まれた1797年(9歳)には当時の国際語であったフランス語習得のためルアーヴルの貿易商グレゴアール・ド・ブレジメール家に二年間預けられ
これで学歴社会なの? 最近、電車の中で中学生がこんな会話を交わしていました。 「頑張って東大に入れたとしても、親が土地を持っている奴らにはどうせかなわない」 「そうだ。人生ってばからしいよな。」 中央公論編集部編「論争・中流崩壊」の冒頭で紹介されるエピソードですにゃ。 論争・中流崩壊 (中公新書ラクレ) 作者: 「中央公論」編集部出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 2001/03メディア: 新書 クリック: 16回この商品を含むブログ (14件) を見る 日本は学歴社会だとか言われることも多いけれど、ビンボー人のガキが東大でて官僚になるとか大企業に入社してそこそこ出世しても、都内に一軒家を構えることができるかどうかという社会が、本当に学歴社会といえるとは思えにゃー。 学歴社会ってのはさ、一発受かってしまえば、一族郎党どころか出身地まで潤ってしまうという科挙のような制度が広く採用されて
阿闍世コンプレックス(あじゃせコンプレックス、英: Ajase complex)は古澤平作が創唱し、小此木啓吾が広く流布させた精神分析の概念である。阿闍世とは、サンスクリット語で「アジャータシャトル」といい、未生怨すなわち出生以前に母親に抱く怨みの事を意味する。阿闍生コンプレックス、アジャセコンプレックスとも表記する。 母親は子供の出生に対して恐怖を持ち、子供はそれに対する怨みを持つとされ、日本ではエディプスコンプレックスと対比されることがある。フロイトのエディプスコンプレックスは父親と子供の間の葛藤を中心とし父性重視の傾向をもつが、阿闍世コンプレックスは母性重視の傾向を持つ。小此木は古澤の母親と子の間における葛藤が人格形成上現れるという阿闍世コンプレックス理論をオリジナルに再解釈し、理想的な母との一体感から、母によるその裏切りという段階を経て、怨みを超えた母子の許しの通じ合いに至るという
自分は「苦しんでいる自分」を直接感じることができる。自分は、自分の感覚の中で起こっていることと同じことが他人の中でも起こっているに違いないと「想像」しているだけです。(中略) この意味においては、いかなる他人の感情も、想像の産物=フィクションである可能性を否定できません。(中略) 他人の中でも、自分の中の感情反応と同じようなことが起こっているに違いないと、「私」に擬して理解しているからです。*1 もう一歩、極北側からマジレスすると、「自分の感情」が、そもそもフィクションである可能性がありますな。 自分の感情と認識されているものが『自分の感情』であることは、必ずしも自明ではない。 科学的にみてしまえば、「感情」と呼ばれるものの一部は、後天的に外部から学習するものだからだ。だとすると、「私の心」には、「他人の心理」を「他人の行動」から類推して学習して模倣しているシステムだという、逆のフィ
二分心(にぶんしん、英: Bicameral Mind)は、ジュリアン・ジェインズによる人間の心の仮説である。1976年の著作『神々の沈黙-意識の誕生と文明の興亡』[1](英: The Origin of Consciousness in the Breakdown of the Bicameral Mind[2])により提唱された古代人の意識についての仮説である。 ジュリアン・ジェインズは、人の意識の起源の研究を進めるにつれ、意識は言葉に深く根ざしているため、人が言語能力を持たない段階では意識はなかったことに気づいた。さらに、言語を会得した後の段階の考察を、西洋古典学・神話学・考古学・心理学を駆使して進め、意識の起原は意外に新しく、今から約3000年前に生成したと結論するに至った。それ以前の人間は、意識の代わりに二分心を持つことにより、社会生活を成り立たせていたという。 ジェインズは、古
本書を読んでいる姿を人に見られ「何を読んでいるの?」と聞かれ、手渡したところ表題を見て顔をしかめられた。内容を理解しようとしていて、うかつにも表題のことなど念頭になかったので、ふと表題を思い出してから、あたふたした。「いやそのそういう表題の本というわけじゃないんだけど……」とつい弁解が先に立ったが、私に向けられた疑念の表情は消えなかった。やっぱりこいつトンデモじゃん……ネットでご活躍中の19世紀的科学的社会主義者の諸賢にそう思われてもしかたないものばかり読んでいる。 表題だけじゃない。帯もこうだ。「身体症状に<宇宙の声>を聴く―癒しのプロセスワーク」(参照) “心ある道”を生きるための心理学。 私たちは複数の次元、パラレルワールドに同時に存在しており、病は、叡知に満ちた普遍的次元からのメッセージを知る手がかりとなる。量子論、シャーマニズム、東洋思想の考え方を援用しつつ、深々とした生のリアリ
フェロモンボディのボディソープを買いました。 スリミング・セルライト対策のソルト系のボディソープとしてクチコミでも割と評価... 「美白フリークの愛用する6つの日焼け止め」で触れたイプサのプロテクター・デイシェルター・ブライトビジョンをまた買いました。 ...
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "ロラン・バルト" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2018年1月) バルトの仕事の中でも頻繁に議論されるのが、『物語の構造分析』に収録されている「作者の死」である。本稿でバルトは、現代においても、大きな支配的な概念となっている「作者」という概念に疑問を投げかける。私たちは、ある芸術作品を鑑賞するとき、その作品の説明をその作品を生み出した作者に求めがちである。これは、作品を鑑賞するということは、作者の意図を正確に理解することであるという発想である。このことから、たとえばボードレールの作品はボードレールという人間の挫折のことで
「アッコにおまかせ」の初音ミク特集があまりにもひどくて大騒ぎに - GIGAZINE 10月14日TBS「アッコにおまかせ!」で初音ミク紹介 : 【2ch】ニュー速クオリティ 陳腐なオタクのステロタイプをばらまいたTBS、受け取った視聴者 TBSの「アッコにおまかせ」における初音ミクの恣意的な放送内容をみて、ふざけんなと思った人は、本当に沢山いるんじゃないかと思う。あの番組で提示されたステロタイプは、マスメディアで引用される勘違いオタク虚像の典型的なものであり、台詞もネタも人物も、全ては「オタク文化圏にいない人からみてわかりやすいオタク像」を強調する為に選ばれたものでしかなかったわけだ。あの放送において重要視されていたのは、初音ミクブームでもなければ、オタクの実像についてでもなく、ましてやDTM愛好家の創意工夫についてでもない。ひとえに「オタク文化圏の外側の、オタクという単語にネガティブイ
会社の経営者は皆一様に軍人を主人公にした小説を好み、国民は自らをサムライなる軍事階級に擬える、日常表現として軍事用語を用いることを好み、何でも戦争に喩えたがる、大人も子供も軍隊ごっこが大好きな、まれに見る軍隊好きの日本国民ですがこれは何でしょうね、何か肯定的なものを象徴する存在として軍隊が位置づけられている気がします。だからこそ軍隊を模範とし、軍隊的な要素を身につけることを人格的な向上と考える、だから教育目的で人を軍隊に送る、そういう発想に繋がるのでしょう。 http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/38d56f007db0b2cd274f44744788b9ac そうそう。軍拡を進める大陸の国々、軍事行動を続ける大国のように、実際の軍事活動をしていないのが原因かもしれません。やっぱり、軍事費が少ないのがいけないのでしょうか。 サムライに喩えると、「価値
昨晩は寝つかれないタイプの夜かと思ったが、ビール飲みながら英文を読んでるうちに眠くなり、ITMSで買った歌を聴いていたらなんとなく寝た。朝も鬱起きなし。自分でもふーんという感じ。 いつもの朝飯を作って食って、マシンを起こして、つい昨晩のノリでtwitterしたけど、朝一番の思いはこちらに内省的に書くほうがいい。 twitterみたいなものの面白さというのはあるしそれはそれなんだけど、自分のような人間はどうしても所定の沈黙と、傍観とでもいうのか、黙って世界と人々を見ている時間が必要みたいだ。 明け方の夢はまた青春時代の蹉跌の繰り返しだった。劇の審査員役で会場に行ったところ、私がそこに戻ったことに驚いた人々ということ。私は身なりが恥ずかしいなと歳とって恥ずかしいなとか思っていた。起きてから青春の蹉跌みたいなものは、さすがに時を経て変質しているし、なんというのか、人生の失敗者というのもそう悪いも
§0 はじめに 『Fate/hollow ataraxia』発売が10月28日に決定したらしい。 掲示板の方にも少し書いたが、これの発売に前後して、途中で止まってしまっている『Fate/dragon's dream』を再開させ、ホロウの余熱で暖まっている間中に完結させる予定である。 そこで、再開に向けて少し助走するという意味合いを込めて、ここに『Fate/stay night』の解析文を掲載してみることにする。 この解析文に載せる内容は、そのまま『Fate/dragon's dream』(以下FateDD)の前提である。FateDDはこの解析を基にして組み立てられた。 したがって、この文章を読むと、完結編掲載前にFateDDがどういう終わり方をするのか見抜かれてしまう可能性がある。 が、正直ここまできたら見抜かれたところでどうということもないであろうと考え、久々に思考の流れを文
理想を語る人間が現実を見ないわけがありません。現実を見て現実の問題を把握しているからこそ、その現実を変化させる案として理想を提示するわけです。(もっとも、その案自体や案に近づく方法に問題があることが往々にしてあるわけですが) http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20070606/p1 行動目標と、到達目標、場合によっては究極目標、の設定をミスると面白くない話、と解釈しておきます。 究極目標として、全世界の平和、軍備放棄、留保の無い生の肯定、を掲げるのは素晴らしいと思います。 が、行動(目標)として、サリン製造とか、あさま山荘ピクニックとか、他人のBlogに対してネガティブな記述をすること、を採用することは、適切とは思いません。 あと、ある人間が到達目標を設定するときに、それが実行困難なゆえに、「理想」というPositiveな価値判断を伴う用語を使用すると、現実遊離競争
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