例えばポケモンGOとかの話とかでさ。運転中にポケモンGOやって死亡事故起こしたとかあるわけですよ。
そしたらNianticは対策しろとかゲーム起動できないようにしろという反応が大勢になるわけです。それは当然と言えば当然です。
そこに、いや他のゲームだって運転中にやっちゃいかんだろとか、多少筋違いかもしれんけど「こういうことも考えられるんじゃないの」みたいなこと言う人いますよね。
それもあって当然だと思うんです。だってみんな考えてること違うんだから。
でもそこに「また擁護派が湧いてきた」みたいな反応する人がいる。それ擁護って言うのかな?みたいな。ただの異論でしょみたいな。
そう言う反応の根っこにある論理(と言えるかどうかわからんけど)て「俺の側につくかあいつらの側につくか」の二分法なんじゃないのかな。この手の論理を振りかざした世界一有名な人はジョージ・ブッシュなのはみんな知ってると思うけど、彼が何をアメリカと世界に残したのかな。
論理で戦い、論理を構築するんではなく 赤白に分かれて戦ってるって意識なんだろう