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沼津の名店は、あんかけスパゲッティ界の“シーラカンス”かもしれない

博覧強記の料理人、美味の迷宮を東奔西走す!
日本の「おいしさ」の地域差に迫る連載。

前回に続き、名古屋のローカルフード、あんかけスパゲッティについて考察します。

ローカルフード周圏論②

 名古屋で生まれた独特な洋食スパゲッティは、一時はやや廃れそうにもなりましたが、「あんかけスパゲッティ」という名称を得たことで新たにローカルグルメと認知され、ブームに乗って復活・大躍進を果たしました。そしてその躍進の陰で、主流とは異なるタイプのそれは、残念ながら淘汰されていった、というのが前回までの話です。
 淘汰された中には、主流のあんかけスパゲッティよりおそらく歴史自体は古いと推定される「ハーブ系」のあんかけスパゲッティがありました。僕がこれに初めて出会ったのは、愛知県ではなくお隣の岐阜県です。
 岐阜駅からほど近い場所にあったその店のあんかけスパゲッティは、少なくとも主流のものとは大きく異なりました。とろみのある滑らかなソースが太麺スパゲッティにかかっている点は同じですが、トマトの酸味はほぼ無く、胡椒でスパイシーなわけでもありませんでした。その代わりに、ちょっとびっくりするくらいはっきりとハーブが効いていました。ハーブはおそらく乾燥ハーブで、ローズマリー、オレガノ、タイム、バジルといったあたりのミックスハーブです。今になって思えばそれこそが典型的なハーブ系あんかけスパゲッティです。
 僕は面食らいつつも、この味はこの味でまるで硬派なビストロ系フレンチみたいでうまいなあとホクホクしていましたが、それにしても不思議なのは周りを埋め尽くす中高年男性中心のお客さんたちも、当たり前のように満足げにそれをモリモリ頬張っていたことでした。僕のこれまでの経験上、ハーブ、特に乾燥ローズマリーの風味は、とても好き嫌いが分かれます。そして、フランス料理を愛好するような一部のグルメ諸氏を別にすれば、男性には特に嫌われがちという経験則もあります。だからその店の光景は、とても不思議なものに思えました。少なくとも名古屋でこれはあり得ないだろう、とも。

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 岐阜と名古屋は、少なくとも外食に関しては、とてもよく似た食文化を持っています。しかし不思議なことに、当時あんかけスパゲッティの店は岐阜市中心部にはほとんどありませんでした。ある時名古屋のローカルチェーンが進出するも、1年も経たずに撤退、ということもありました。
 だから件の店は、極めて貴重な一軒でした。近隣の人々にとって洋食スパゲッティと言えばそれしかなかったわけで、時間をかけてその(最初はとっつきにくい)ハーブ風味に慣れ、そしてハマっていったのではないでしょうか。近くには繊維問屋街と呼ばれるアパレル系個人商店の集積地があり、そこのおしゃれな旦那衆は一般の人々より幾分ハイカラ志向だったというのも、もしかしたら支持を得やすかった理由のひとつかもしれません。
 いずれにせよ、そのあたりにもっと早くからヨコイ系のお店が進出していれば、人々はもう少しとっつきやすく、おいしさがはっきりとしていてわかりやすい、そちらの方に流れたかもしれませんし、その店も対抗上、味を変える必要に迫られたかもしれません。

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 その店は数年前、店主さんの引退と共に長い歴史に幕を閉じました。それは名古屋周辺におけるハーブ系あんかけスパゲッティという系譜の終焉をも意味しました。そこが最後の店だったのです。もう少し厳密に言うと、名古屋にはまだ僅かながらハーブ系の面影を微かにとどめている店や、それをリバイバル的に復活させようとチャレンジしているお店もあります。しかし、歴史を受け継いだ正統派と言えるお店は、ここが最後だったはずです。

 さて、皆さまは僕がここまで少し勿体をつけた書き方をしていることにお気付きでしょうか。ハーブ系あんかけスパゲッティは「名古屋周辺」では途絶えた、と書きました。ということは、それ以外の地域に残っているということ?と、勘のいい方は気付いたかもしれません。実はその通りなのです。

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稲田俊輔

イナダシュンスケ
料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。
和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店25店舗(海外はベトナムにも出店)の展開に尽力する。
2011年には、東京駅八重洲地下街にカウンター席主体の南インド料理店「エリックサウス」を開店。
Twitter @inadashunsukeなどで情報を発信し、「サイゼリヤ100%☆活用術」なども話題に。
著書に『おいしいもので できている』(リトルモア)、『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』『飲食店の本当にスゴい人々』(扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分!本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ!なのに本格インドカレー』(柴田書店)、『チキンカレーultimate21+の攻略法』(講談社)、『カレー、スープ、煮込み。うまさ格上げ おうちごはん革命 スパイス&ハーブだけで、プロの味に大変身!』(アスコム)、『キッチンが呼んでる!』(小学館)、『ミニマル料理』(柴田書店)、『個性を極めて使いこなす スパイス完全ガイド』(西東社)、『インドカレーのきほん、完全レシピ』(世界文化社)、『食いしん坊のお悩み相談』(リトルモア)など。
近刊は『異国の味』(集英社)、『料理人という仕事』(筑摩書房)、『現代調理道具論』(講談社)、『ミニマル料理「和」』(柴田書店)。

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