貴重な体験第二弾を語ってくれるのはjyunntarouさん
数十年前、複雑な地形で知られる大峰山脈で10日にも及ぶ遭難事故に遭ってしまったjyunntarouさん。その原因は、地図や自身の技量への過信が招いたものでした。
今回は第二弾、救出された後に待ち受けていた厳しい現実と、そして数十年ぶりに救助隊長と”偶然の再会”を果たした模様をお届けします。最後まで目が離せません。
その後、日本人初の無酸素エヴェレスト登頂に成功した 禿博信氏にも指導を受けた
事故当時は高校生だったjyunntarouさん。一度は山、そして人生を辞めようとよぎったにも関わらず、大学では山岳部に入部し、ますます山に夢中になります。日本で初めてエヴェレスト無酸素登頂を果たし、下山途中に帰らぬ人となった禿博信氏に、同じ大学だったことから登山技術を直接指導を受けたこともあったそうです。
入部して間もないころでした。部長から、「今日は偉大?なOBさんが来るから、お前らちゃんとしろよー・・・」と。実はその方が禿博信氏だったと知ったのは恥ずかしいことに、随分あとになってからでした。
とにかく山を登りたくて、岩を登りたくてしょうがなかった。禿博信氏が「君、おもしろいなぁ。岩を全く怖がっていないし、楽しんでるなぁ。これからも山続けよー。」と言ってくれたのは今ではとても貴重でありがたい言葉。by jyunntarouさん
その時は突然やってきた。2016年9月、救助隊長と ”偶然の再会”
大峰山脈のモジキ谷周辺から下山し、夜の洞川の街を歩いていていると「どこから登ったの?」と声をかけてくれたのはお月見で集まっていた住民の方でした。モジキ谷と答えると、「夜も深いから駐車場まで送るよ」とわざわざお酒を飲んでいない住民を探しに動いてくれたそうです。運転手を探してくれている間、何を思ったのか、jyunntarouさんは遭難事故の体験を住民の方に話し始めます。
あの遭難、みんな知ってるよ!まずいな・・・今日送ってくれるのは、当時の救助隊長なんだよ
こんな偶然あるでしょうか?なんと、駐車場まで送ってくれるのは当時の救助隊長だと言うのです。遭難の話を聞いた住民の顔色は変わり皆、「あの時の話は絶対にしちゃいけないよ……」と。
その時、走馬灯のように当時を思い出す
当時高校4人グループで遭った10日にもわたる遭難。捜索打ち切りの日に奇跡的に救出され、一件落着かと思いきや、その後、マスコミや学校の取り調べが続き精神的に追い込まれていく日々が続き、その一部始終をjyunntarouさんは思い出したと言います。
マタギの方が鉈で道を作り、機動隊や教師も捜してくれていた
遭難をすると、どれだけの人が動いてくれるのか身をもって体感します。救助隊だけでなく、教師や機動隊、そしてマタギの方も協力し救出してくれたのです。
下山した村には「検死医」も・・・。共同記者会見場へ連れて行かれる
下山した村には、パトカーや消防車だけでなく検死医も待機。つまり、“もう命はないだろう”と最悪の事態を想定されていた状況だったことが伺えます。救出された4人は、まずは健康状態を調べてもらいそのまま村の旅館に急きょ設けられた共同記者会見場へ連れて行かれます。
“夕方のニュース番組に間に合わせたい”。マスコミ各社の、責任追及が深夜まで続く
旅館に設けられた会見場。とにかく急がされました。記者会見が終わったら、警察の取り調べが始まり、学校の取り調べ、そしてリーダーの私だけ各社のマスコミの取材が個別に始まります。具体的なメディア名は控えますが、地元の新聞社、大手の新聞社、テレビ局など・・・ほぼ10日間も水しか口にしていないのに、コレは拷問でした。by jyunntarouさん
取材後、気を失い倒れてしまう。学校は無期限停学処分に
今回、認識の甘さから引き起こした道迷い遭難。学生にも関わらず、学校へ登山計画を未届だったと言います。当時、jyunntarouさんの通っていた学校には山岳部がなく、遭難した4人をはじめ署名活動をつづけ“山岳部発足”の条件を満たし顧問を探していたタイミング。登山計画が未届だったため、当然学校にも多くの心配と迷惑をかけ、jyunntarouさん達を待っていたのは、無期限停学処分という厳しいものでした。
「助からない方が良かった。死にたい」何度も“自殺”がよぎる。捜索費用は400万円超に・・・
マスコミからの追求や周りの目、そして無期限停学による自宅を一歩も出られない日々。jyunntarouさんは精神的に追い詰められ、沢山の人が必死に命を救ってくれたにも関わらず何度も、自らの命を絶つことを考えます。
今回捜索に関わってくれた人は、約200人。後日、家族の元に届いた請求は、捜索に関わる細かい雑費や交通費、食事代や旅館代なども含めると、軽く外車が1台変えてしまうような金額にまで膨れ上がっていたのです。
とにかく辛かった。お世話になった人へ頭を下げ続けてくれたのは、親だった
遭難から少し治まって日を置いてから、お世話になった方々への菓子折りをもってのお礼参り……。無期限停学を受けていた自分は動くことが許されず、母親をはじめ家族が動き回ってくれていました。
しかも通っていた高校は、この事故をきっかけにすべての部活を対象に、夏の対外試合を全て自粛させ、それまで必死に練習してきた部員のみんなに謝っても謝りきれない状況になってしまった。また、無期停学を喰らいますと、なかなか進路も難しくなります。申し訳なくて、本当に辛かった。by jyunntarouさん
これが遭難の実態。2016年9月、当時の救助隊長は、それを知らずに駐車場まで送ってくれることに
あれから数十年。当時、助けてもらったにも関わらず挨拶も出来ず、そして大人になっても自ら動くことが出来ずに月日がたってしまったjyunntarouさん。この奇跡と偶然は、きっと何か意味がある。住民の皆さんは気遣って「口に出しちゃいけないよ」と言ってくれたけれども、jyunntarouさんは言わずにはいられなかったのです。
「あの時の高校生の遭難事故のリーダーだったんです」車の中は、空気が張り詰めた・・・
しばらく間が開きました。車の中は空気が張りつめました。そして彼は話し始めました。「あの高校生4人の遭難事故……天気毎日悪かった。雷雨が激しくて皆、胸まで川に浸かって探しておりました。私は、下の神童子から探していました。その他の捜索隊の班は、小笹の右尾根から、上から攻めて、……確か、第2班が帰り際に発見し、私の所へ連絡が入ったのを覚えています。小笹の一の滝と二の谷の間に挟まれて、出られなかったのでしょう……」by jyunntarouさん
「前の尾根をごらんなさい」当時の隊長は、激怒するどころか、秘密の・・・素敵なルートを教えてくれた
僕の話を聞いて、激怒するどころか……満月に照らされた山を指さして「前の尾根をごらんなさい。あれが稲村に直接登る尾根です。カンスケ尾です。」と秘密のルートを教えてくださいました。元猟師さんでもありますので、大峰のこの辺りは何でも知っていらっしゃいます。小笹の谷の二ノ滝以上のゴルジュの様子も教えていただきましたし、小笹は右の尾根が使えることも丁寧に教えてくださいました。by jyunntarouさん
「神橋と申します。沢に行くなら、時間を考えて登りなさい」
4人を救ってくれた救助隊長の“神橋さん”。数十年ぶりに、お礼と謝罪が出来、事故の後も山を続け人生を続けてきてもずっと心の中にあった苦しい感情が、奇跡と偶然の出会いで救われたといいます。
車を置いている所に到着すると、笑顔を見せてくださいました。「神橋と申します。一つだけ言っておきますね……。」「沢に行くなら、時間を考えて登りなさい。」「はいっ!」私は、直立不動の姿勢で返事をしました。神橋さんの目が許してくれていました。そして、Uターンして洞川の村まで帰る車のテールランプが消えるまで見送りました。by jyunntarouさん
子供たちに伝えよう。今、jyunntarouさんは、教師として自身の体験を伝えている
月日が流れ、今、jyunntarouさんは教師をしているそうです。今回奇跡の出会いがあった温かい洞川の住民の皆さんや神橋さんのエピソードをはじめ山での様々な経験を、自分だけの記憶に留めず、子供たちにも語っています。
卒業した教え子には、手作りの卒業証書と、“先生の登山姿の写真入り(!)”のお守りカードもプレゼントしたとか。きっと子供はいつか、jyunntarouさんに聞いた話を理解し実感する日が来るのかもしれません。
お守りカードの役割は、彼の教え子でなければ知らない”秘密のカード”。とても辛い体験だったにも関わらず「自分のミスが起こした経験が少しでもみなさんの役ににたつのなら……」と快く取材にご協力してくださったjyunntarouさん、今回は本当に貴重なお話をありがとうございました。是非、これからも安全にはくれぐれも気を付けて山を愛し山や人の温かさ、厳しさを子供たちに語り続けてくださいね。
【道迷い対策・遭難の際に対応にあたって】
今回ご紹介した内容及び連載は、実話に基づく情報であり対応方法など推奨するものではありません。必ず、経験や体力にあったルートの作成、装備の準備など、事前準備を行いましょう。また、是非お近くの山岳連盟や登山用品店が開催している地図読み講座や安全登山対策講座に参加し知識と経験を積んで、万が一の時に対応できるように備えましょう。
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