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大峰山遭難事故 その後

【大峰山遭難事故】 死にたい。救出されたのに・・・2016年9月救助隊長と再会へ

10日にも及ぶ遭難の末、奇跡の救出をはたした4人の高校生。しかし彼らを待っていたのは、マスコミ各社の追求、無期限停学、家族への多額な請求など想像もしえなかったことが次々と起こります。今回は遭難実話の第二弾、そして2016年9月に数十年ぶりに当時の救助隊長との再会の模様をお伝えします。

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アイキャッチ画像出典:ヤマレコ by jyunntarou(写真は、2016年8月比良山での山行の様子)

貴重な体験第二弾を語ってくれるのはjyunntarouさん

jyunntarouさん
出典:ヤマレコ by jyunntarou

数十年前、複雑な地形で知られる大峰山脈で10日にも及ぶ遭難事故に遭ってしまったjyunntarouさん。その原因は、地図や自身の技量への過信が招いたものでした。

今回は第二弾、救出された後に待ち受けていた厳しい現実と、そして数十年ぶりに救助隊長と”偶然の再会”を果たした模様をお届けします。最後まで目が離せません。

その後、日本人初の無酸素エヴェレスト登頂に成功した 禿博信氏にも指導を受けた

エヴェレスト
出典:PIXTA

事故当時は高校生だったjyunntarouさん。一度は山、そして人生を辞めようとよぎったにも関わらず、大学では山岳部に入部し、ますます山に夢中になります。日本で初めてエヴェレスト無酸素登頂を果たし、下山途中に帰らぬ人となった禿博信氏に、同じ大学だったことから登山技術を直接指導を受けたこともあったそうです。

ピッケルの手入れ
提供:jyuuntarouさん(写真は、ピッケルの手入れ風景。道具の使い方から登り方まで、山岳部で学んだことは多い)

入部して間もないころでした。部長から、「今日は偉大?なOBさんが来るから、お前らちゃんとしろよー・・・」と。実はその方が禿博信氏だったと知ったのは恥ずかしいことに、随分あとになってからでした。

とにかく山を登りたくて、岩を登りたくてしょうがなかった。禿博信氏が「君、おもしろいなぁ。岩を全く怖がっていないし、楽しんでるなぁ。これからも山続けよー。」と言ってくれたのは今ではとても貴重でありがたい言葉。

by jyunntarouさん

その時は突然やってきた。2016年9月、救助隊長と ”偶然の再会”

偶然の再会
出典:PIXTA(写真はイメージです)

大峰山脈のモジキ谷周辺から下山し、夜の洞川の街を歩いていていると「どこから登ったの?」と声をかけてくれたのはお月見で集まっていた住民の方でした。モジキ谷と答えると、「夜も深いから駐車場まで送るよ」とわざわざお酒を飲んでいない住民を探しに動いてくれたそうです。運転手を探してくれている間、何を思ったのか、jyunntarouさんは遭難事故の体験を住民の方に話し始めます。

あの遭難、みんな知ってるよ!まずいな・・・今日送ってくれるのは、当時の救助隊長なんだよ

ビール お菓子
提供:jyunntarouさん(写真は、声をかけてくれた洞川の住民の方から頂いた、ビールやお菓子)

こんな偶然あるでしょうか?なんと、駐車場まで送ってくれるのは当時の救助隊長だと言うのです。遭難の話を聞いた住民の顔色は変わり皆、「あの時の話は絶対にしちゃいけないよ……」と。

その時、走馬灯のように当時を思い出す

大峰付近の沢
出典:ヤマレコ by jyunntarou(写真は、2016年9月17日当時の救助隊長と再会を果たした日に、登った大峰付近の沢)

当時高校4人グループで遭った10日にもわたる遭難。捜索打ち切りの日に奇跡的に救出され、一件落着かと思いきや、その後、マスコミや学校の取り調べが続き精神的に追い込まれていく日々が続き、その一部始終をjyunntarouさんは思い出したと言います。

マタギの方が鉈で道を作り、機動隊や教師も捜してくれていた

ナタ
出典:PIXTA(写真はイメージ)

遭難をすると、どれだけの人が動いてくれるのか身をもって体感します。救助隊だけでなく、教師や機動隊、そしてマタギの方も協力し救出してくれたのです。

下山した村には「検死医」も・・・。共同記者会見場へ連れて行かれる

救助風景
出典:PIXTA(写真はイメージ)

下山した村には、パトカーや消防車だけでなく検死医も待機。つまり、“もう命はないだろう”と最悪の事態を想定されていた状況だったことが伺えます。救出された4人は、まずは健康状態を調べてもらいそのまま村の旅館に急きょ設けられた共同記者会見場へ連れて行かれます。

“夕方のニュース番組に間に合わせたい”。マスコミ各社の、責任追及が深夜まで続く

マスコミの追求
出典:PIXTA(写真はイメージ)

旅館に設けられた会見場。とにかく急がされました。記者会見が終わったら、警察の取り調べが始まり、学校の取り調べ、そしてリーダーの私だけ各社のマスコミの取材が個別に始まります。具体的なメディア名は控えますが、地元の新聞社、大手の新聞社、テレビ局など・・・ほぼ10日間も水しか口にしていないのに、コレは拷問でした。

by jyunntarouさん

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