前回は,システム開発時に発生する法律問題を概観しました。このうち,システム開発委託契約の締結をめぐる問題点としては,以下の2つが主要な争点となり得ます。
【システム開発委託契約の締結をめぐる問題で想定される争点】
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ここでは,1の契約の成否という点にフォーカスして検討してみます。
契約書の作成が合意内容を明確にする
契約とは,「当事者間における合意」と定義することができます。契約は,契約書がないと成立しないと考える方もいらっしゃるかもしれませんが,そのようなことはありません。契約書が存在せず,口頭で約束しただけの場合であっても契約は成立します。
しかし,口頭の約束のように文書にされていない場合,契約当事者間において何を合意したのかはっきりしません。システム開発委託契約のように,複雑な機能を実現するものであれば,なおさらです。
また,何を合意したのかが不明確だと,合意した内容について当事者間で争いが発生した場合,自らの権利や相手の義務を主張しても,認められない危険性が高くなります。例えば,開発するシステムの内容が不明確であるため,ベンダーは自らの義務を履行したことを立証できず,請負代金を支払ってもらえないというようなケースが考えられます。
従って通常,企業間で締結される契約においては契約書を作成して,合意した内容を明確にするという作業を実施するわけです。
では,具体的には,どのようなケースで,契約の成否が問題となるのでしょうか。以下,実際の裁判例を参考にしながら,検討してみましょう。今回は,ベンダーがメール等のやりとりや議事録等の記録からユーザーとの契約成立を立証しようと試みた東京地裁平成17年3月28日判決の事案を題材にします。この事件で,裁判所が認定したベンダーとユーザーのメールのやり取りは以下のとおりでした。
裁判所が認定したベンダーとユーザーとのメール等のやり取り
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この事件では,上記のメールのやりとりの後,キックオフミーティングが開催され以下のような記載内容(1~3)の議事録が作成されました。
裁判所が認定した議事録の記載等
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この事案では,上記(1~5)のような電子メールでのやり取りがなされ,その後の,キックオフミーティング等で議事録(1~3)が作成され,ベンダーはSA(システム分析)工程に着手していました。そうした前提を踏まえて,原告であるベンダーは以下のように主張しました(現実の裁判では,ここで紹介する主張以外の主張もなされていますが,裁判所が認定していない事実に基づくものも含むので一部省略しています)。
- ベンダーとユーザーとの間で,開発作業の開始を相互に確認することを意味する節目の会合としての「キックオフミーティング」が行われ,遅くともその日にはベンダーとユーザとの間で請負契約が成立した(原告主張1)。
- ベンダーが有料の作業である「SA工程」に入ったことや,ユーザーがこれを認識していたことなどから,有償の作業に入ることについてユーザーとの合意があった(原告主張2)。
しかし裁判所は,以下のような理由でベンダーの主張を認めませんでした。
裁判所の判断 (原告主張1について)
(原告主張2について) 被告の担当者において,相応の注意を払えば「SA工程」が有料の作業であることを認識し得たということはできても,原告がこの点を明確に説明していたと認めるまでの証拠はないし,実際に被告の担当者がこれを認識していたというには疑問が残るものといわざるを得ず,他にこの点を左右するまでの的確な証拠はない。そうである以上,原告と被告との間で,原告が有償の作業に入ることについて合意があったと認めることはできない。 |
この事例の原告主張1(請負契約の成立)が,「キックオフミーティング」という名称の打ち合わせがあったことだけを根拠にするものだったとすると,裁判所が契約の成立を認めなかったのはやむを得ないとも考えられます。しかし,原告主張2(有償作業についてのユーザーとの合意)については,かなり微妙な判断がなされているように思います。
ベンダーである原告は,SA工程に着手することについてユーザーの同意を議事録で確認したうえ,「SA工程」に着手していました。にもかかわらず,裁判所は,ユーザーが「SA工程が有料の作業であることを認識していたとはいえない」ということを根拠に,最終的にベンダーの主張を排斥しています。この判断は,ベンダーにとって酷な判断とも言えるでしょう。
このように判断された結果,ベンダーは開発のために購入したハードウエアの代金や,SE費用等をユーザーから全く支払ってもらえず,これらの損失を負担することになってしまいました。
今回取り扱った事案以外にも,契約の成否が問題となった事案は複数見受けられます(東京地裁平成19年3月24日判決,名古屋地裁平成16年1月28日判決等)。しかし,いずれも契約の成立自体は否定されています。東京地裁平成14年4月22日判決のように契約の成立自体は肯定された事例でも,契約書等の書類が不足していると,証人尋問など契約の成立を立証するために多大な労力を要することになってしまいます。
ベンダーはこれらの裁判例から,合意内容が書面化されていない段階で開発業務に着手することは,一定のリスクが伴うものであるということを教訓として学ぶべきではないでしょうか。
今回は,具体的な裁判例に基づいて,契約の成否が問題となった事案を分析し,契約書等で,契約の存在を明確に立証できない場合のベンダーのリスクについて検討しました。裁判所は,契約書が存在しないこと自体が契約の存在を否定する事情として考慮する等,一般に契約書が存在しない企業間の契約の成立には消極的です。
企業の場合,個人とは異なり,一定のプロセス(稟議等)を経て,最終的な意思表示がなされることに照らし,このような一定のプロセスを経たのであれば,その結果としての会社の意思表示も,書面で明らかにされるのが通常であるとの認識があるのではないかと思われます。
では,どのような状況であれば,契約が成立したと評価できるのでしょうか。次回はこの点について検討してみようと思います。