昨年末、東京・あきる野の自然に包まれたラグジュアリーヴィラ「風姿」が、建築アワード「ワールド・アーキテクチャー・フェスティバル(WAF)」スモール・プロジェクト部門の最高賞を受賞し、国内外で注目を集めている。
「風姿」の特徴は伝統技術と現代の建築構造を融合させたデザインと、自然と一体化するアウトドアリビングだ。窓や壁、柱をほぼ排した開放的な空間は、自然の中に溶け込むように設計され「内と外の境界が曖昧になる」感覚を生み出している。
地域文化を深く理解した里山料理や風土と革新が融合した体験を提供していることも魅力の1つで、物に頼らずに存在感を際立たせる空間デザインによって、「何も無いラグジュアリー」を五感で感じることができる。
髙水謙二「風姿」オーナーと建築家の手塚貴晴に建築デザインの背後にあるコンセプトと思想、ラグジュアリーやホスピタリティーの真髄について話を聞いた。
PROFILE: (右)髙水謙二/「風姿」オーナー (左)手塚貴晴
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――「風姿」を手掛けるにあたって、どのような対話を重ねていったのでしょうか?
髙水謙二(以下、髙水):長年飲食業にいる中で形や思想を歴史に残したいと考えるようになり、「あきるので何かできないか?」と漠然と思い始めました。最初から綿密な計画があったわけではなく、感覚的に構想を練りあげ手塚さんにご相談しました。
自然と共生して風が吹き抜け、時間とともに美しく変化していく建物。伝統的な和風建築をそのまま再現するのではなく、かといって洋風にも寄らない。奇をてらっていないデザインの新しいかたちを模索しました。
私が自然との調和を常に意識しているのは、そこに人が心地よさを感じるからです。京都や奈良の建築には、経年変化を楽しむことができる素材が使われていて、それが人の心を落ち着かせ、美しさを感じさせます。
手塚貴晴(以下、手塚):和でも洋でもなく、古くも新しくもなく、自然に溶け込む風のような空間。しかし、壊れては困るので、とても難しいプロジェクトでした。核となる考えは「消えること」です。
能の「うつせみ(空蝉)」という概念は人間の存在は現世でも仮の姿であり、死後もまた本質ではないことを示しています。建築もまた、ただ存在するものではなく、人が去りゆく場としての意味を持ちます。
「風姿」は、建物の中にいても外の風を感じられる空間です。人は「内」と「外」のどちらかに留まるのではなく、その間を行き来しながら自分の居場所を探します。
この場で人がどう感じ、どう過ごすかを考えた結果、何度でも訪れたくなる場所を目指しました。
――「表」と「裏」はどのように定義されるでしょうか?
髙水:旅館へ行くと「うちの裏にはきれいな川が流れています」などとよく聞きますが、川のような美しい景観がある側こそ「表」です。
美しい景観の一部である川が多くの旅館では「裏」として扱われ、コンクリートむき出しの壁や時にはビールケースが無造作に置かれていることもあります。
ただ、本来のあり方はどちらが「表」か「裏」かにとらわれず、どの方向から訪れても心地よい空間が広がっていることだと思っています。
手塚:日本には「室礼(しつらい)」という言葉があります。例えば、茶室のように、最小限の仕切りや屏風だけで空間を作る。これは単なるシェルターではなく、人が自然とどう向き合うかを考える場です。快適な空間の高級ホテルは世界中にありますが、本当のぜいたくは、自分の居場所を自然の中で見つけられる場所です。
――「何も無いデザイン」とは、どのようなものでしょうか?
手塚:例えば、軒先を少し下げることでその先の風景が自然と目に入ってくる。多くの人は軒先の存在を意識せず、ある瞬間に気付くかもしれない。それが何も無いデザインの仕掛けの1つです。建築が主役になるのではなく、本来は「そこに存在しないように感じられること」が理想です。人や自然と調和し、場の魅力を引き立てることが大切です。
髙水:でき上がってみると、思いもよらないことが起こる場合があります。手塚さんの頭の中にはあったと思いますが、雨が降ると28mの軒先から一斉に水が滴り落ち、“雨のカーテン“がかかる。
軒先の高さは床面から1.5mなので、人の目線の高さで秋川渓谷を屏風絵のように切り取ることができます。ですので、ここでは雨や雪も風情になります。
――一番困難だったことは何ですか?
手塚:先程お話ししたように、見えないものを作ることはとても難しかったですね。それに、普段は建築基準法や道路の規制などがありますが、そういったことが一切ない。制限がないからこそ生まれる美しさを考えた時、まるで砂漠の真ん中に放り出されて、「さあ、何とかしろ」と言われるような難しさを感じました。
髙水:もし手塚さんが砂漠の真ん中に建物を作るとしたら、きっと砂漠そのものを見せるのではなく、一番美しく夕日が見える場所を切り取って、意図的に制約を作るでしょう。制約のない場所でも、あえて制約を設けてその中に美を作り出すことが大切です。
――ラグジュアリーをどのように定義されますか?
髙水:「ラグジュアリーとは何か?」をよく考えます。豪華なシャンデリアやインテリアのあるホテルは、確かにラグジュアリーかもしれませんが、私たちが目指すのは何百年、何千年前に作られた文化とは具体的になんでしょうか?と特注のベッドやソファを組み合わせ、特別な空間を生みだすこと。
便利さや効率ばかりを求める日常から少し離れ、風とともに歩き、自分のリズムを取り戻すことがラグジュアリーだと思っています。風は目に見えないけれど確かにそこに存在し、私たちの肌に触れ、木々を揺らし、空気を運んでいく。お金があれば何でも手に入る時代だからこそ「何もない」ことに価値がある。何もないからこそ、ここが自分に向き合える場所になるんです。
手塚:この建築は、関わったすべての人の心が込められた本当にぜいたくな場所です。普段の仕事では感じられない充実感から、完成した時に私のアシスタントが感動して涙を流したくらいです。私達のチームが書いた図面は3000枚にも及び、超高層ビルを設計するほど膨大なエネルギーを注ぎました。髙水社長の情熱が皆の心を動かして、誰もが夢中になって取り組んだ結果です。
――手塚さんが、多摩・あきる野に感じた魅力はなんでしょうか?
手塚:一番興味を持ったのは、髙水さんの存在です。何もないところに「黒茶屋」を作り、半世紀以上の歴史を築いてきた。髙水さんは文化を作ろうとしていますし、そういう「ゼロから何かを作る人」に惹かれます。私が仕事をしている「ふじようちえん」の園長先生、やホームレス支援をしている奥田知志さんにも共通するのは1人で始めたこと。そういう人たちは、何か特別な力を持っているんですよね。
私は、髙水さんを“多摩の魯山人“だと思っています。魯山人は、「黄金の茶碗は作ろうと思えば作れる。でも、それよりも土の風合いにこそ価値がある。どんなものにでも意味を持たせることができるかどうかが重要だ」と言っています。そういう視点を持つことが大事です。陶芸家であり、料理家でもあり、さまざまなことに関わった幅広い視野が、彼の作品の魅力につながったのではないかと思います。髙水さんと話していると、庭から建物、食の話まで、次から次へと話題が広がるので専門的に1つを突き詰めるだけではなく、広い視点で物事を見ていくことも重要です。
髙水:私は何の専門家でもありません。何もなかったから、デザインも建築も花もお茶も料理も自分でやるしかなかった。先生もいないから自然を見て学びました。なので、魯山人と呼ばれるのは恐れ多いですね。
いつも考えているのは、装飾を抑えた洗練された美です。お客さまがどんな服装で訪れるか、この空間でどう過ごすかなどを想像し、その上でおもてなしを考えること。例えば、料理では視覚的に余計な要素を取り除くことで、その存在がより引き立ちます。
手塚:あきる野の魅力は定番の観光ではなく、「人に会うこと」です。地元の人々とのつながりや温かさこそが価値であり、このそばにある古い神社も地元の人たちが大切にしてきたからこそ、場所そのものに意味が生まれるのです。
――ホスピタリティーに必要な心構えを次世代にどのように伝えますか?
髙水:ホスピタリティーというと「親切」「思いやり」といった言葉が浮かびますが、本当に大切なのは、もっと小さなこと。先日、風邪をひいてドラッグストアでトローチを買ったとき、店員さんが「喉が痛いんですか? 早く良くなるといいですね」と声をかけてくれて、外まで見送ってくれた。そんな小さな一言に人は感動するものです。
ホスピタリティの真髄は、大きな仕掛けや感動を生むものではなく、小さな心配り。私たちのお客様は一流のサービスを知っているので、さまざまな期待を持っています。その期待を超えて「ここは特別だ」と感じていただけるおもてなしを大切にしています。
――次世代に伝えるべき建築に欠かせない価値は何ですか?
手塚:私は大学教授でもあります。学生には建築をファッション誌を眺めるように見てはいけないと伝えています。なぜなら、建築は少なくとも完成する10年以上も前に建築家が考えたものであり、すでに“過去の姿“だからです。さらに、完成しても嫌なら壊されてしまう可能性もあります。本当の勝負は少なくとも50年後、100年後にどうなっているかです。それは、多くの人が「この建築は素晴らしい」と思い、大切に残されたものです。構造がしっかりしていても意味がなければ残りません。
ルイス・カーン(Louis Kahn)の建築は、今も住居として大切に使われています。彼の設計した家を訪れると、冷蔵庫にはベタベタとポストイットが貼られ、暮らしの気配が溢れている。それを見たとき、「こういう建築を作りたい」と思いました。自分が居なくなった後も、自分の作品が長く愛され続けるほど幸せなことはない。「風姿」は、そんな想いで作っています。建築は、お金をかければ残るものでもありません。それは、髙水さんの仰るホスピタリティーに通じるのかもしれませんね。