【P-2】(ぴーつー)
Lockheed P-2"Neptune(ネプチューン)"
ロッキード社が1940年代に開発した対潜哨戒機。
第二次世界大戦時に使用されていたPV-1「ハープーン」/PV-2「ベンチュラ」哨戒爆撃機の後継として1943年から開発され、1945年に試作機が初飛行。1947年からアメリカ海軍で運用が開始された。
機体はライト社製のR-3350エンジンを搭載する中型クラスの双発機であったが、補助推進機関としてターボジェットエンジン2基を搭載している。
乗員は7名で、武装には魚雷2発または爆雷12発のほか、防御用に12.7mm機銃を装備した。
その後完成した生産型では主翼下にロケット弾を搭載できるハードポイントが追加されている。
第二次大戦中の就役には間に合わなかったが、朝鮮戦争やベトナム戦争など1950年代以降のアジア地域での争乱では当機の能力を存分に発揮し、米海軍だけでなく西側諸国の対潜哨戒機として多数が配備されることになった。
日本でもP2V-7が川崎航空機によってノックダウン生産およびライセンス生産されたほか、改良型であるP-2Jも生産され1994年まで運用された。
後継機であるP-3の導入により、1980年代には各国軍から順次退役したが、払い下げられた機体の一部は現在も少数機が消防機として使用されている。
スペックデータ
乗員 | 7名/12名(P-2J) |
全長 | 27.94m/29.30m(P-2J) |
全高 | 8.94m |
全幅 | 31.65m/30.90m(P-2J) |
主翼面積 | 92.9㎡ |
自重 | 22,600kg/19,400kg(P-2J) |
離陸重量 (標準/最大) | 34,000kg/36,240kg |
エンジン | P-2: ライト R-3350-32W 空冷式複列星形18気筒×2基 ウエスティングハウス J34-WE-36 ターボジェット×2基(補助用) P-2J: GE T64-IHI-10ターボプロップ(出力3,060shp)×2基 IHI J3-IHI-7D ターボジェット(推力1,550kg)×2基(補助用) |
速度 (最大/巡航) | 586km/h / 333km/h 594km/h / 360km/h(P-2J) |
実用上昇限度 | 6,827m/9,144m(P-2J) |
航続距離 | 4,070km/5,000km(P-2J) |
兵装 | 背面銃座に12.7mm機銃×2挺 胴体爆弾倉に最大3,600kgまでの兵装を搭載可能。 航空対潜魚雷×2発または対潜爆雷×12発 主翼下に無誘導ロケット弾×8発 P-2J: 爆弾倉にMk.44ホーミング魚雷×4発または対潜爆雷×16発 主翼下に127mm無誘導ロケット弾×8発 |
派生型(カッコ内は生産機数および改称後名称)
- XP2V-1(2機):
試作原型機。
エンジンはライトR3350-8(出力2,300hp)を搭載。
- P2V-1(14機):
XP2V-1に翼下ハードポイントを追加した前量産型(初期量産型)。
- XP2V-2(1機):
1型のエンジンをライトR3350-24W(出力2,800hp)に換装した改良型試作原型機。
- P2V-2(81機):
ソノブイの搭載能力を付与された改良量産型。
エンジンはR-3350-24Wを搭載。
- P2V-2N「ポーラベアー」(2機):
極地探検用にスキー脚を装備した型。
- P2V-2S(1機):
捜索レーダーを搭載した早期警戒機型原型機。
- P2V-3(53機):
エンジンをライトR-3350-26W(出力3,200hp)に換装した量産型。
- P2V-3B(16機):
近接支援評価用に対地爆撃レーダー装備した型。
- P2V-3C(12機):
核兵器搭載能力を持つ空母搭載改修型。
- P2V-3W(30機):
APS-20捜索レーダーを搭載する早期警戒機型。
- P2V-3Z(2機):
座席を6席追加したVIP輸送機型。
- P2V-4(P-2D)(52機):
早期警戒機改良型。
エンジンをR-3350-30Wに換装し、翼端燃料タンクを設置した。
- P2V-5(424機):
改良型。
エンジンはライト R3350-30W(3,250hp)を搭載し、翼端タンクや機首捜索員席、MADを追加装備した。
- P2V-5F(P-2E):
5型に補助用のJ-34ターボジェットエンジン2基を追加装備した型。
- P2V-5FD(DP-2E):
5F型の無人標的機管制機型。
- P2V-5FE(EP-2F):
5F型の電子偵察機型。
- P2V-5FS(SP-2E):
5F型に音響捜索装置を搭載した型。
- ネプチューンMR.1(52機):
P2V-5に準ずる英国向け機体の英軍呼称。
- P2V-6(P-2F)(83機):
機雷投下および偵察機型。エンジンはR3350-32W(3,500hp)を搭載。
爆弾倉は拡大され、翼端タンクを装備している。
- P2V-6M(16機):
対艦ミサイル搭載型。P2V-6Bより改称。
- P2V-6F(P-2G):
6型にJ-34ターボジェットエンジン2基を追加した型。
- P2V-6T(TP-2F):
機上作業練習機型。
- P2V-7(P-2H)(311機):
最終モデル。-6F型の改良型。
- C-122:
P2V-7に準ずるカナダ向け機体の呼称。
- P2V-7B(15機):
機首捜索員席を撤去し20mm機関砲×4基を装備したオランダ向け機体。
- P2V-7S(SP-2H):
対潜器材を改良し、音響捜索装置を搭載した型。
- P2V-7LP(LP-2J)(4機):
スキー脚を装備する極地探検用機。
- DP-2H:
7型の無人標的機管制機改修型。
- EP-2H(1機):
7型改造の特殊偵察機型。
- NP-2H(1機):
7型の特殊試験機改修型。
- P2V-7U(RB-69A)(5機+2機改修):
CIAが海軍から購入し、アメリカ空軍に運用を委託した電子偵察機型。
実際の運用は台湾(中華民国)空軍に再委託され、中華人民共和国や北朝鮮に対する隠密偵察飛行に投入されていた。
- AP-2H(4機):
対地レーダーを装備するガンシップ型。
- RP-2E(AP-2E):
ベトナム戦争中アメリカ陸軍で使われた電子偵察機型。
川崎航空機でのライセンス生産型
1,2-ジホスファエチン
ビス(3‐アミノプロピル)アミン
分子式: | C6H17N3 |
その他の名称: | カルジン、P2【硬化剤】、イミノビスプロピルアミン、Caldine、P-2【hardener】、Iminobispropylamine、ノルスペルミジン、sym-ノルスペルミジン、Norspermidine、sym-Norspermidine、Bis(3-aminopropyl)amine、N-(3-Aminopropyl)-1,3-propanediamine、3,3'-Iminobis(1-propanamine)、N,N-Bis(3-aminopropyl)amine、3,3'-Iminodi(propane-1-amine)、1,7-Diamino-4-azaheptane、3,3'-Iminodi(1-propanamine)、ジプロピレントリアミン、Dipropylenetriamine、N-(3-Aminopropyl)propane-1,3-diamine、DPTA、3,3'-ジアミノジプロピルアミン、3,3'-Diaminodipropylamine、4-Azaheptane-1,7-diamine |
体系名: | 3,3'-イミノビス(プロパン-1-アミン)、4-アザヘプタン-1,7-ジアミン、3,3'-イミノビス(1-アミノプロパン)、ビス(3-アミノプロピル)アミン、N-(3-アミノプロピル)-1,3-プロパンジアミン、3,3'-イミノビス(1-プロパンアミン)、N,N-ビス(3-アミノプロピル)アミン、3,3'-イミノジ(プロパン-1-アミン)、1,7-ジアミノ-4-アザヘプタン、3,3'-イミノジ(1-プロパンアミン)、N-(3-アミノプロピル)プロパン-1,3-ジアミン |
P-2 (航空機)
P2V / P-2 ネプチューン
P-2は、アメリカ合衆国のロッキード社が製作した対潜哨戒機。アメリカ軍における愛称はネプチューン(Neptune:ローマ神話に登場する海神ネプトゥヌス)。
アメリカ軍では1947年から1978年まで哨戒爆撃機と対潜哨戒機(ASW)として使用された他、各国軍隊に採用されたベストセラー機でもあった。
概要

第二次世界大戦中に開発が開始された。1943年2月にアメリカ海軍がベガ社にPVベンチュラ/ハープーンを置き換えるための陸上対潜哨戒機の開発要求を出した。この要求に応えて、ベガ社は1941年頃から研究を行っていたV146案を提出した。なお、1943年11月30日にベガ社はロッキード社に吸収されている。
V146案は1944年4月4日にXP2V-1として試作機・2機の発注が行われた。対潜哨戒機の重要な要求点は製造と維持の容易さであった。試作機は1945年に初飛行、1946年から量産され、1947年に海軍での運用が開始された。なお、1962年からは名称整理に伴い、P-2に改称された。
1946年9月9日、「タートル」と名付けられたP2V-1初号機がパース - コロンバス間18,227kmの無着陸飛行に出発し、55時間17分かけて達成した。この無着陸飛行記録は、1962年1月10日 - 11日にB-52が嘉手納 - トレホン間20,177kmを達成するまで破られなかった。
ベトナム戦争以降は潜水艦の進化に対応した機材の搭載が難しく、アメリカ海軍はじめオーストラリア、カナダ、オランダではP-3「オライオン」が導入されるようになった。アメリカ軍では1970年代まで第一線で運用していたが、1978年に引退した。他の国でも1980年代には後継機を導入するようになって順次引退した。払い下げられた機体は空中消火機や貨物機などに転用され、2000年代でも一部で運用が続いている。
艦上機としての運用

P2Vは大型陸上機であり、基本的には空母からの離着艦は行わないが、少数機が暫定的な艦上機として運用されていたことがある。
アメリカ海軍は空軍の戦略爆撃機に頼らない独自の核兵器運搬手段として核爆弾を搭載できる艦上攻撃機を求めていたが、1940年代後半の核爆弾は技術的限界から小型化が難しく、当時存在した艦載機に搭載でなかったため、A-3やAJサヴェージなどを開発していたが、それまでのつなぎとして12機のP2V-3が暫定的な艦上核爆撃機P2V-3Cに改造されることになった。
P2V-3CはJATOにより離艦するが着艦は不可能なため、陸上基地に着陸するか海上に不時着水することになっていた。1949年から任務についたが、同年からAJサヴェージが配備されたため短期間で運用を終了した。一方で同年には大型航空母艦のユナイテッド・ステーツの建造が中止されたことを受け、空母に頼らない核兵器運搬手段として核爆撃機として運用できる飛行艇P6Mの開発を進めていたが、潜水艦発射弾道ミサイルの実用化にめどが立ち計画は中止された。
日本での運用

1954年(昭和29年)7月1日に保安庁警備隊が改編し発足した海上自衛隊は、MSA協定に基づきアメリカ海軍から航空機の供与を受けたが、そのほとんどが第二次世界大戦中に使用され、アメリカで第一線を退いた中古機であり、哨戒機も例外ではなかった。
同年12月にTBMが10機、1955年(昭和30年)に4機、1956年(昭和31年)に6機の計20機が供与され、PV-2も1955年(昭和30年)1月に17機が供与されたが、何れも性能は陳腐化しているうえ、米軍機を知らない隊員には扱いにくく、整備にも大変な労力を費やし、飛行させるのが手一杯という状況であった。もっとも、米軍側も日本が哨戒能力を高めることを望んでおり、いわば教材として与えられたに近かった。
1955年(昭和30年)9月、MSA協定により当時最新鋭のP2V-7が16機供与されることになり、これを7回に分けて米本国で受領し、訓練を受けた後、日本に空輸することになった。同年10月にP2V-7要員の第一陣が渡米し訓練を受けたのち、翌1956年(昭和31年)3月にP2V-7を受領、アラメダ~バーバースポイント~クェゼリン~グアム~日本のコースでフェリーを行い、3月7日に羽田空港に到着した。この機体が海上自衛隊にとって事実上初の実用対潜哨戒機となった。当時岩国基地に所在していた駐日米海軍哨戒航空隊の使用機でさえP2V-5を使用しており、そのため米海軍のVP搭乗員が見学に来たというエピソードが残されている。海自はP2V-7の愛称として、『おおわし』と名づけた。P2V-7の16機のフェリーは6次にわたって行われ、最終号機は1958年(昭和33年)8月に日本に到着している。1957年(昭和32年)には米軍の供与(現地調達)と言う形式で、川崎航空機(現川崎重工業航空宇宙システムカンパニー)でのライセンス生産が決定し、1965年(昭和40年)まで48機がノックダウン生産及びライセンス生産され[1]、供与機と合わせ計64機を取得した。
以後、固定翼対潜部隊(VP)の主力として、同時期に米軍からMAP(軍事無償援助)により供与されたグラマンS2F-1等と共に哨戒の任務についた。本機の登場によって海自はようやく近代的ASW作戦を展開しうる能力を獲得できたが、対潜機材の陳腐化とともに逐次第一線を離れ、1980年(昭和55年)2月に引退した。
海上自衛隊はP2V-7の後継として、1966年(昭和41年)にP2V-7 4637号機を改造してP-2Jの開発を行い、P-2J試作第1号機(4701号機)として各種試験を行い、量産型P-2Jの母体となった。P-2JはP2V-7をベースに主エンジンをGEのT64ターボプロップエンジンに、補助エンジンをIHIのJ3エンジンに換装した他、機体を拡張して搭載システムを更新したものであり、1969年(昭和44年)から量産が開始され、1979年(昭和54年)までに83機[注 1]が製造され[2]、1994年(平成6年)まで運用された。
配備部隊
- 第1航空群:第1航空隊(鹿屋航空基地)
- 第2航空群:第2航空隊・第4航空隊(八戸航空基地)
- 第4航空群:第3航空隊(下総航空基地)
- 第51航空隊(下総航空基地)
- 鹿屋教育航空群:第203教育航空隊(鹿屋航空基地)
事故
年月日 | 所 属 | 機番号 | 事故内容 |
---|---|---|---|
1962.2.6 | 第2航空隊 | 4621 | 青森県八戸沖で対潜訓練中に墜落。10名殉職[3]。 |
1962.9.3 | 第1航空隊 | 4628 | 鹿児島県名瀬市(奄美大島)の急患への輸血用血液を空輸中、奄美実業高校のマツに左翼が接触。付近の住宅地に墜落した。12名殉職。民間人死亡1名、重軽傷12名、全焼31棟[4]。 |
1965.6.1 | 第3航空隊 | 4657 | 下総基地で離着陸訓練中に着陸装置を出さずに着陸し炎上。 |
1965.7.17 | 第51航空隊 | 4614 | 銚子沖で新型照明弾を横壁の窓もしくはソナー用の穴から投下する試験中、同弾が発火して出火して墜落。11名殉職。機体はアメリカから供与を受けたもの[5][6]。 |
1971.7.16 | 第3航空隊 | 4651 | 下総基地に着陸のため進入中、立木と接触。着陸復行後、浜松に向けて飛行中に銚子沖で消息不明。11名殉職。 |
1972.7.26 | 第203教育航空隊 | 4650 | 台風退避の下総から鹿屋基地に帰投中、鹿屋から東約6マイルの高隈山に激突。7名殉職。 |
1973.4.27 | 第3航空隊 | 4662 | 硫黄島に着陸のため進入中に同島の東方約4海里で消息不明。8名殉職。 |
1975.6.20 | 第4航空隊 | 4664 | 八戸基地に帰投のため、鹿屋を離陸後右エンジンが故障し、鹿屋飛行場に緊急着陸すべく進入中に不時着、炎上。 |
機体

中型クラスのレシプロエンジン双発プロペラ機であったが、補助推進機関としてターボジェットエンジン2基を搭載している。機内には対潜機器が並べられ、ノーズからコックピットの足元までガラス張りで、優良な視界が確保されている。
機首側に重量が偏っているためパイロットが降下率の変化に対応しきれず、滑走路手前の草地に接触する事故が度々発生しているが、強度の高い降着装置と高圧タイヤにより故障は少なかった[7]。
スペック

(P-2H)
- 全長:27.94m
- 全幅:31.65m
- 全高:8.94m
- 翼面積:92.9m2
- 自重:22,600kg
- 離陸重量:34,000kg(標準)/36,240kg(最大)
- エンジン:ライト R-3350-32W レシプロ(空冷式複列星形18気筒)×2、ウエスティングハウス J34-WE-36 ターボジェット×2
- 出力:R-3350-3,750馬力、J34-1,542kg
- 最高速度:574km/h=M0.47
- 巡航速度:333km/h=M0.27
- 航続距離:5,920km
- 実用哨戒距離:3,520km
- 実用上昇限度:6,700m
- 武装:3,630kgまで搭載可能、2.75インチ(70 mm)FFAR[注 2]や127mmロケット弾、自由落下爆弾、爆雷、魚雷など
各型および派生型
- XP2V-1
- 試作型。固定武装は機首/尾部/背面に12.7mm連装銃塔を搭載している。ライトR-3350-8エンジン(2,300馬力(1,700kW)を搭載。1+1機製造。
- P2V-1
- 前量産型。XP2V-1にロケット弾搭載能力を追加。14機製造。15機製造予定のうち1機はXP2V-2に改造された。
- XP2V-2
- エンジンをR-3350-24Wに換装した-1型のエンジン換装試作機。P2V-1 5番機より改造され1機を製作。制式採用されP2V-2となる。
- P2V-2
- 初期量産型。機首銃塔を固定式20mm機関砲6門に変更している。エンジンはR-3350-24W(2,800馬力(2,100kW)を搭載。初期生産機8機は尾部銃座に12.7mm連装機関銃塔を搭載しているが、以後の生産機はエマーソン社製連装20mm機関銃塔に変更している。81機製造。
- P2V-2N "Polar Bear"
- "Project Ski Jump"計画で改修された極地探検型。武装を廃止、着陸脚に全長4.9mのアルミ製スキーを装着し、離陸補助ロケット(JATO)と磁気探査装置を装備している。2機製作。
- P2V-2S
- 機体下面にAN/APS-20捜索レーダーを搭載した試作型。1機製造。
- P2V-3
- エンジンをR-3350-26W(3,200馬力(2,400kW)に換装した型。53機製造。
- P2V-4
- エンジンを換装、ソノブイ装置を搭載、主翼端には増設燃料タンク(チップタンク)を追加(右舷タンクの前端にはサーチライトが装備されている)、機体下面にはAN/APS-20レーダーを増設した機能強化型。
- 初期生産分の25機はR-3350-26WA(3,200馬力(2,400kW)を搭載し、後期生産分の27機はライトR-3350-30Wターボコンパウンドエンジン(3,250馬力(2,420kW)を搭載している。52機製造。
- P2V-5
- 機首固定武装を廃止してエマーソン社製20mm連装銃塔を搭載し、主翼端燃料タンクを拡大、右舷タンク前端のサーチライトはリモコン操作による角度可変が可能となり、左舷タンク前端にはAN/APS-8レーダーを増設した機能強化型。機内レイアウトが見直されて居住性も向上している。
- 後期生産型では銃塔は背面の1基以外は撤去され、機首は観測員席を配置した風防に、尾部は磁気探知装置(MAD)に変更され、既存の-5型も順次改修された。424機製造。
- P-2E
- -5型にJ-34ターボジェットエンジン(出力14.5kN)2基を追加した型。旧称はP2V-5F。
- DP-2E
- ドローンの空中発射母機型。武装は全廃されている。旧称P2V-5FD。
- EP-2E
- 電子機器を追加した電子偵察機型。旧称P2V-5FE。
- SP-2E
- AQA-3 長距離音響捜索装置とJulie 音響深度探査装置で構成されるジュリー/ジェぜベル(Julie/Jezebel)対潜作戦装置を搭載した対潜能力強化試験型。旧称P2V-5FS。
- P-2F
- 爆弾倉を拡張した機雷投下および偵察機型で83機製造。生産後にJ-34ターボジェットエンジンが装備された。旧称P2V-6。
- P-2H
- エンジンをR-3350-32Wに変更し、J-34エンジンを当初から搭載した性能向上型。チップタンクとAN/APS-20レーダーのレドームの形状が空力的に見直され、キャノピーは視界の広いバブル型に変更されている。第1次生産分では背面銃塔を搭載しているが、以後の生産分では省略され、既存機も順次非搭載に改修された。311機製造(うち川崎重工製造分48機)。旧称P2V-7
- P2V-7B
- 機首観測員席を撤去し密閉型機首として20mm機関砲4基を装備したオランダ軍向け仕様機。15機製造。
- 後に機関砲は撤去されて機首は観測員席を配置した風防のある形に戻され、機体の仕様もP2V-7S (SP-2H)規格に改修され、更にフランスよりP2V-7S (SP-2H)4機が追加購入された。
- SP-2H
- 対潜器材を改良、音響捜索装置を搭載した改修型。旧称P2V-7S。
- LP-2J
- 脚をスキー方式に変更した不整地/極地離着陸能力向上型。4機改修。旧称P2V-7LP。
- AP-2E
- ベトナム戦争中アメリカ陸軍で運用された電子偵察機型。電波/信号傍受装置を増設し、機体総重量は最大で80,000ポンド(約36,000kg)に達している。旧名称 RP-2E。
- AP-2H
- P2V-7(SP-2H)の対潜装備を全廃して対地攻撃機としての改装を行ったガンシップ型。4機製造。
- NP-2E
- 永久試験機型。1機改造。
- OP-2E
- イグルー・ホワイト作戦のために改造されたセンサー散布機型。機首に地形回避レーダーを装備し、チャフディスペンサー、主翼下ガンポッド、機体下面銃座といった自衛装備を備えている。12機改造。
- RB-69A(P2V-7U)
- アメリカ空軍の保有機扱いとされた隠密電子偵察機型。CIAが海軍から購入して所定の改造を施し、便宜上アメリカ空軍所有機の形としたもので、実際の運用はCIAを通じて中華民国空軍に再委託されており、中華人民共和国や北朝鮮に対する越境隠密偵察飛行に投入された。7機製造。
- 1950年代後半から運用され、1959年には中華民国空軍に正式に移管されている。1964年の運用停止までに任務中に迎撃されて4機が撃墜され、1機を事故で喪失した。
- P2V-7 改 VSA
- 防衛庁技術研究本部がP2V-7を改造した可変特性研究機(Variable Stability Aircraft, VSA)[8]。
- 改装は1976年(昭和51年)に川崎によって行われた。アナログ式のフライ・バイ・ワイヤにより直接揚力制御と直接横力制御を可能とした[9]。これにより機体姿勢(迎え角、機首の上げ下げ)を変化することなく機体の上下運動、バンク角(機体の傾き)をとらなくても左右に横ばいの動きをすることができる。
- 運用終了後、P-2Jに可変特性機能が移された。
採用国
登場作品
- 『宇宙大怪獣ドゴラ』
- 音を立てて飛ぶ物体(正体はミツバチの大群)の正体を確認するため出動する。
- 『駆逐艦雪風』
- 坊ノ岬沖海戦のシーンで米軍機として登場。映像は、自衛隊の演習映像から流用。
- 『大怪獣バラン』
- 銚子沖に出現したバランをロケット弾で攻撃したが、1機が接近しすぎて叩き落された。実写とミニチュアのほか、機首部分の実物大セットも用いられている。
- 『零戦黒雲一家』
- 冒頭部分(海上自衛隊機として)と、攻撃機(米軍機として)として登場する。
- 『タイムスリップ大戦争』
- 国防軍の哨戒機として登場。19××年(昭和5×年)の日本列島が約30年前の1941年にタイムスリップした中、東京湾に接近する重巡洋艦「足柄」を発見する。後に勃発した戦争では、満州や台湾に向かう船団の上空から対潜警戒を行う。
- 『時間砲計画』
- 終盤の電子工学研究所攻撃の際に自衛隊機が登場。オメガ粒子発生器(時間砲)を懸吊している。
- 『遙かなる星』
- 海上自衛隊のP2V7が登場。第三次世界大戦の勃発直前、ソ連海軍の潜水艦と交戦するうみたか型駆潜艇「うみたか」「おおたか」を上空から支援する。
- 『紺碧の艦隊2 ADVANCE』
- アメリカの対潜哨戒機として登場。
参考文献
- 世界の傑作機 No.50「ロッキードP2V/川崎P-2J」文林堂 ISBN 4-89319-047-4
脚注
注釈
出典
- ^ “川崎重工業(株)航空機事業本部『川崎重工岐阜工場50年の歩み』(1987.11)”. shashi.shibusawa.or.jp. 渋沢栄一記念財団情報資源センター. 2021年12月13日閲覧。
- ^ “川崎重工業(株)航空機事業本部『川崎重工岐阜工場50年の歩み』(1987.11)”. shashi.shibusawa.or.jp. 渋沢栄一記念財団情報資源センター. 2021年12月13日閲覧。
- ^ 世相風俗観察会『現代世相風俗史年表:1945-2008』河出書房新社、2009年3月、108頁。ISBN 9784309225043。
- ^ 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、164頁。ISBN 9784816922749。
- ^ 「自衛隊機が墜落 銚子沖 乗員11人絶望」『日本経済新聞』昭和40年7月17日夕刊 1面
- ^ 「照明弾投下操作誤る?新型の実験中」『日本経済新聞』昭和40年7月18日 15面
- ^ P2V‐7 (2) | チャンネルNippon
- ^ 日本の航空宇宙工業50年の歩み. 社団法人日本航空宇宙工業会.. (2003年5月). p. 120
- ^ フライ・バイ・ワイヤの技術動向
関連項目
P2
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/19 05:35 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動P2(ピーツー)とは"Professional Plug-In"の略称でパナソニックが推進する半導体メモリーを利用したプロ市場向けビデオ用記憶媒体である。2013年現在、22万台以上が世界各国の放送局を中心に提供されている。
概要
2004年に発売された。本質的には松下が販売するSDメモリーカードをダイキャスト成型のPCカード形のケースにRAIDで4枚内蔵させた構成で、DVCPROフォーマットシリーズとDVのデータに対応し、P2対応ビデオカメラ、ノンリニア編集機を使うことでデジタイズという煩わしさを解消している。あらかじめ専用のソフトウェアが入っているパソコンであればP2カードはPCカードのスロットに直接挿入できる。
P2カードの容量は競合するテープメディアに比べて少ない。(miniDVテープが標準で13GBでHDCAMテープが50GBである)そのため、P2を使用するカムコーダーやデッキは使用中に交換できるように複数のカードスロットを備える。複数のスロットにP2カードを挿して使用する場合、片方のカードの容量が満杯になるとアクセスしていないスロットのカードを交互に交換する事が可能である。(取り外し可能かどうかは発光ダイオードで表示される)ビデオテープとは異なり間違って上書きされないようになっている。古い映像は手動で消去しなければならない。カードの容量は現在最大64GBである。P2カードはPCMCIAカードで現在入手できるフォーマットで最も転送速度が速い。カードはファイルの管理と保護の為にプロセッサを備え、新たに開発された筐体は(パナソニックによると)タフで信頼性が高く作られたP2カードは"軍用"仕様であるとされている。
最初にP2フォーマットを使用した機種の一つにAJ-SPX800 (撮像素子が2/3"で放送用のカムコーダーで用途はENGとEFPである)、スタジオレコーダーAJ-SPD850、読み取り機AJ-PCD10 (基本的には5スロットのPCカード読み取り機でUSBインターフェース接続で5-1/4" IT システムベイに内蔵できるように設計されている)がある。メモリーカードはAJ-P2C004 (4 GB)とAJ-P2C002 (2 GB)である。現在はAG-HVX200 HD 携帯型カムコーダーやハイエンドや放送用の肩持ち式のAG-HPX300, AG-HPX500, AJ-HPX2000,とAJ-HPX3000カムコーダーを含む多くのP2フォーマット対応のカムコーダーを出荷している。P2を基にしたAG-HPX170携帯型HD カムコーダーも発表された。HPX170はHVX200とHVX200Aによく似ている。主要な差異は170にはテープドライブがないことである。
P2カードは現在(2010年9月時点)、4GB、8GB、16GB、32GB、64GBがある。DVCPRO25で記録した場合は、それぞれ最大16分、32分、62分、128分、256分となるがDVCPRO HDになると4倍のデータが必要なため、4分、8分、16分、32分、64分となる。また、1枚あたりの価格もテープに比べ遥かに高いのでメーカーでも撮影現場などで一杯になってしまったP2カードのデータを転送する為のポータブルHDDを販売している。現在は、廉価版のEシリーズの登場で価格は64GBで約10万円とされる。
P2用ビデオカメラ、ビデオデッキに関してパナソニックが製作販売しているもののノンリニア編集機は、カノープスやアップル、アビッドなど外部メーカーに託している。
「P2-HD」が、2008年に開催された北京オリンピックの公式放送機器に採用された。[1]。
データ転送に向いたコーデックであるAVC-Intraを開発している。
2013年4月16日、P2カードをSDメモリーカード型にダウンサイジング化し、UHS-IIおよびUSB3.0に対応した「microP2カード」(32GB/64GB)およびメモリーカードアダプターおよびメモリーカードドライブを発売[2]。
仕様
P2カードの記録時間
モデル # | 容量 | DVCPro | DVCProHD 720pN24 | DVCPro50 又は
DVCProHD 720p30 |
DVCProHD
1080i60 又は 720p60 |
AVC-Intra50 | AVC-Intra100 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
AJ-P2C004H | 4GB | 16 分 | 10 分 | 8 分 | 4 分 | 8 分 | 4 分 |
AJ-P2C008H | 8GB | 32 分 | 20 分 | 16 分 | 8 分 | 16 分 | 8 分 |
AJ-P2E016XG | 16GB | 1時間 4 分 | 40 分 | 32 分 | 16 分 | 32 分 | 16 分 |
AJ-P2E032XG | 32GB | 2時間 8 分 | 1時間20 分 | 1時間4 分 | 32 分 | 1時間4 分 | 32 分 |
AJ-P2E064XG | 64GB | 4時間 16 分 | 2時間40 分 | 2時間8 分 | 64 分 | 2時間8 分 | 64 分 |
2 GB P2 カードはDVCProHDの用途はサポート対象外である。[3]
脚注
外部リンク
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- P2シリーズ(パナソニックビジネスサイト)
- HPX-171 in the field by Rick Young
- HPX-171 in-depth review with video footage
- HPX-301E in-depth review video with sample footage with links to HD footage
- MXF Aware drives for P2 post-production from Craystone of Bolton
- P2 AG-HVX-202 review
- Panasonic's DVCPRO P2 product overview
- P2 Overview at dvxuser.com
- Panasonic Announces Upgrades To P2 Solid-State Memory Drive. February 26, 2006.
- Specifications of P2 cards at the Panasonic Broadcast Europe Site. December 2, 2008
- P2 Camera in the field
- Overview of the new P2 Varicam
- P2 AG-HMC151 Review
- P2 AG-HPX500 review
- P2 product under test
- The P2 HPX3000 reviewed
- P2 media and Avid Workflow
- P2 media and Avid Workflow
- More P2 media and Avid workflow information
- A P2 tutorial from Creative Cow
- A Video tutorial showing an end to end workflow
- Wikipedia's Varicam page
- Shorts taken on HPX 171 demonstrating picture quality
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P2! - let's Play Pingpong! -
P2! - let's Play Pingpong! - | |
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ジャンル | 卓球スポーツ漫画 |
漫画 | |
作者 | 江尻立真 |
出版社 | 集英社 |
掲載誌 | 週刊少年ジャンプ |
レーベル | ジャンプ・コミックス |
発表期間 | 2006年43号 - 2007年52号 |
巻数 | 全7巻 |
その他 | 『赤マルジャンプ』2008Winterに 完結編が掲載 |
テンプレート - ノート |
『P2! - let's Play Pingpong! -』(ピーツー レッツ プレイ ピンポン)は、江尻立真による日本の少年漫画作品。『週刊少年ジャンプ』(集英社)において2006年43号から2007年52号まで連載され、『赤マルジャンプ』2008Winterに完結編が掲載。
概要
卓球部を舞台にした漫画。連載話数単位は「STEP〜」。単行本数の単位は「stage〜」。作中では「Prime Player」を略してP2と呼ぶ描写もあった[1]。
江尻立真初の連載作品。江尻が「卓球をしていた学生時代を思い出しながら描きました」とコメントしており、ルール説明などがよく入る。
あらすじ
長年スポーツをすることにあこがれ、しかし運動オンチゆえにそれを諦めていた藍川ヒロムは、中学進学を機に運動部への入部を決意していた。だがその身体能力の低さのため、入部を希望した全ての部活の入部試験に不合格となってしまう。そんな時、最後にたどりついた卓球部で、川末の言葉をヒントに秘められていた心の強さと洞察力を発揮して入部試験に合格。県下で注目を集める新鋭久勢北中学卓球部で、一癖も二癖もある仲間達と一緒にヒロムは一生懸命な努力で成長していく。
登場人物
県立久勢北中学校
前年の中学卓球県大会で、県下で無類の強さを誇り『覇王』と呼ばれていた王華学園を、当時まだ2年生以下だったメンバーで破り、優勝を果たした学校。それ以来、優勝の立役者となった岩熊・遊部・川末の3人は『破王』と呼ばれている。しかし、去年は部長であった岩熊の腕の怪我を理由に全国大会出場を辞退。今年は万全の状態での全国大会進出を目指している。
- 藍川 ヒロム(あいかわ ヒロム)
- 右・シェークハンド前陣異質攻撃型
- 主人公。県立久勢北中学校の1年生。容姿は、本人は「渋い」と呼ばれたがるのだが、「かわいい」と皆に言われてしまうショタタイプ(「小さい」と言われるのはかまわないらしい)。肉食で歓迎会のときも肉ばっかり食べていたがその割には背は伸びておらず、この当時の身長は蒔絵の半分位しかない。髪の毛が常にはねており、野球帽を被っていても髪の毛がはねていた。卓球部に入る以前は乙女や前園と共に少年野球チーム「美凪ワルキューレ」に在籍していたが、6連続失策をするほどの実力不足でチームから外れる。50m走が12秒3、体力診断の結果がオールE、カナヅチで泳げない、野球で思い切りバットを振ってもピッチャーゴロになるなど、極度の運動オンチ(運痴)。運動が出来ない代わりに絵を描く才能はあり、スポーツの絵を描くのが好きであるが、後述のずば抜けた動体視力のせいか躍動感のある絵が描けないでいた。負けず嫌いだが諦めが早い性格と運動オンチのため、スポーツをすることは諦めかけていたが、幼馴染みの乙女の助言をきっかけに運動部入部を決意する。運動部入部試験を12連続で不合格になった後、たどりついた卓球場での川末の姿に憧れ、卓球部への入部を希望して認められる。いまだ卓球の才能はほとんど開花していないが、根性だけは誰にも負けない(そのため、倒れるまで皆と走り続けたこともあった)。そして岩熊が過剰な練習の末に選手生命を絶ってしまったにもかかわらず、岩熊の強さにあこがれ、進んで激しい練習を望む。その誠意に押される形で蒔絵は卓球部コーチ再任を決意する。また川末へのあこがれから、体格面のハンデにもかかわらずカットマンになりたがっていた。しかし、サシャとの実力差に愕然とし、晶のアドバイスもあって自分に合うと言われた前陣異質攻撃型となり、蒔絵の教えた戦術を利用して地区予選で前園を相手に初勝利を納める。
- シャワー室でアキラの裸を「見た」のに女の子と気付かないなどぼーっとしていることが多いが、実は相手がスマッシュする時のラケット面を正確に捉えられるほどの優れた動体視力の持ち主。また神経衰弱を早々に勝ち抜けたり、晶のブローチが少し前に見た写真に写っていた盾のリボンであると分かるほどの記憶力の持ち主でもある。表面がデコボコした卓球台でのレシーブ練習により、肩甲骨打法を習得し、岩熊のようなライジング打法ができるようになってきた。川末晶曰く兄(涼)より強くなるとのこと。ちなみに彼の持つ「スマッシュする時のラケット面を正確に捉えられる才能」に気づいているのはごく僅か(久勢北でも1人、王華でも晶だけ。150/hに達する柊のスマッシュも一度返したことがある)。また、この才能を持っていることをサシャに話したが、全ては判っていない様子。
- 最終回では日本屈指のプレイヤーとなっており、3年間の間に秀鳳の高槻、月代の藤山、元王華ドイツ校エース、ハインリヒ=フォンローゼンベルク(エリスの兄)を倒した。
- モデルとなった人物は特にいないらしい。作者はヒロム本人に関し「僕の夢と希望が詰まったキャラ…にしては弱いですね。」とコメントしている。
- 早乙女 乙女(さおとめ おとめ)
- ヒロイン。県立久勢北中学校の1年生。職業:いじめっ娘。水泳部に所属。ヒロムとは幼馴染でよき理解者であり、ヒロムを(表向きは)いつも守っている。ヒロムのスポーツをしたいという思い、そして負けず嫌いな本質を見抜いており、「負けず嫌いはスポーツに向いている」という彼女の言葉が、ヒロムに運動部への入部を決意させた。ヒロムと異なり運動神経はよく、小学生の頃に「美凪ワルキューレ」の4番ピッチャーでもあった。父親が来ていた試合で大敗しエラーを連発したヒロムを泣きながら責めたが、後に考えを改めてヒロムに付きまとうようになる。強気な性格だが、それが原因で墓穴を掘ることもある。ヒロムの行動を常に観察し、それをインターネットのブログ『週刊少年ヒロム(旧OTOMEブログ)』で公開する事でアフィリエイトにより小遣い稼ぎをしている。王華との試合にもギャラリーの中にこっそり潜入するなど観察行動は徹底している。新入生歓迎会では、遊部の口車に乗って12歳とは思えないスタイルのバニーガール姿を披露した。ヒロムにトキメキらしいが真相は不明。父親と高級レストランで食事するシーンが描かれている。また、父親は非常に厳格な人物である様子。
- 最終回では、ヒロムに黙って留学していたらしく、ヒロムの応援のため一時帰国していた。身長は高1で168cm。
- 彼女のモデルとなった女の子がいるらしいが、詳細は不明。
- 岩熊 鉄男(いわくま てつお)
- 右・シェークハンド前陣速攻型
- 県立久勢北中学校の3年生。久勢北中学卓球部主将。2年前まで弱小だったどころか廃部寸前だった久勢北中学卓球部を、一躍卓球の強豪校に変えた立役者。去年、覇王・王華を破った「破王」の1人。ヒロムの入部当時は負傷のため部活に出てきておらず、1年の歓迎会後に合流した。卓球部復帰のおりには、なぜか本物そっくりな熊の着ぐるみを着て登場し、1年生を驚かせた。人の話をあまり聞かないで勝手に物事を進めがち(そのため早乙女のことをマネージャーだと勘違いしている)。
- 生まれつき速筋の割合が多く、巨体とは裏腹に俊敏な動きで相手の球をライジングで打ち返すプレースタイル。卓球は『気合』というのが持論。また、卓球を始めた理由はリトルリーグの先輩からの誘いである。その後、手違いで組まれた練習試合で王華学園の相馬光樹に完敗し、他の部員も部を去ったが、当時1年生だった川末らを部に誘い、王華へのリベンジの為に蒔絵に教えられた3年分の練習カリキュラムを1年で終わらせるほどの猛練習をひたすら積んだ。しかしその過剰な練習が祟って肘に重大な故障をかかえ、選手生命を絶たれてしまう(だが、他の部員に対しては自分の怪我よりも新歓コンパを大事にしており、それより大事なことはないといった軽口もたたいていた)。その後ケガは回復した模様(高3までに肘を三度潰して三度復活した。そのため遊部は「本当に人間か?」と思っている)。
- ちなみに、頭のタオルは常に巻いているわけではなく、卓球を始める前および引退後は巻いていない。
- 川末 涼(かわずえ りょう)
- 右・シェークハンドカット主戦型
- 県立久勢北中学校の2年生。卓球部部長で新入部員たちの入部試験を引き受けていた。去年、覇王・王華を破った「破王」の1人。卓球にはかなりの情熱をもっており、それゆえに誰に対しても厳しい態度をとる。ヒロムのことは気にかけており、自分のラケットを与えたり、練習メニューの考慮に頭を悩ませたり(授業中にそれをしていたが、先生の質問にも答えることができていた)、試合の後ヒロムが自分の実力のなさを悔やみ落ち込んでいるところを励ましたりもしている。親は川末総合病院を経営している。乙女からは『川末っち』、蒔絵からは『川坊』と呼ばれている。卓球は『技術』というのが持論で、自らも技巧的なプレースタイル。しかしこのカット主戦型というスタイルは本来の自分に適したスタイルではない。その理由は、生まれつき筋繊維の数が人より少ないから(常人の約7割)。そのため非力であり、同じスタイルであるカットマンを相手にするとどうしても力負けし勝つことができない(王華の監督の城島もこのことを見抜いており、『身に合わぬ袈裟を着ている』と評し彼をスカウトしなかった)。小学生の頃、王華の城島監督が視察に来た試合で晶に負けた悔しさから感情的に晶を突き飛ばしてしまい、カットマンとしての才能に限界を感じ卓球を辞めるが、後に卓球を再びやり始め久勢北に入学してからは晶とすれ違うようになっていた。眼鏡をかけている(卓球をプレイ中は外している)描写があり、視力が悪い様子。
- 3年後は王華学園のユニフォームを着ていることから同校の高等部に入学した模様。しかし、キャラは変わってしまった。
- 作者が所属していた卓球部に彼のモデルがいたらしい。
- 遊部 遊(あそべ ゆう)
- 右・ペンホルダードライブ攻撃型(片面)
- 県立久勢北中学校の2年生。関西弁を話す卓球部主将代行。川末とは違って温和な性格で人あたりは柔らかく(上述のように乙女にバニーガールの扮装をさせたり、通りすがりの解説役と称するなど)妙な面もあるが、試合においては冷徹な一面も見せる。新歓コンパにおいては宴会部長の肩書きを自ら任じ、練習方法にも工夫を凝らす。去年、覇王・王華を破った「破王」の1人。本来のプレースタイルはドライブ攻撃型だが、普段は体力温存のため、ブロック主体の速攻型を取っている。県下No.1のドライブマンであり、バックハンドドライブを決め球とする。卓球は『感性(センス)』というのが持論。実は王華からスカウトされたのだがそれを断り、久勢北に来た。王華中との練習試合後、引退する岩熊から次代主将に任命されチームを牽引する。姉(運転免許取得者)がいる。眼鏡をかけているが、本人曰く、「素の目つきが悪い」から(視力は0.8らしい)。3年後は身長188cmで、眼鏡をかけていない。P2杯の時、相馬光樹とフルセットの末勝利をおさめた。
- 作者が所属していた卓球部に彼のモデルがいたらしい。
- 眞白 裕也(ましろ ゆうや)
- 左・ペンホルダードライブ攻撃型(両面)
- 県立久勢北中学校の1年生。去年の市大会のカデットの部(中学2年生以下の部)で小学生ながら準優勝し、天才と呼ばれている。色男を自認するなど少しナルシスト的面もある。小学生の時は地元の卓球場で練習をしていた。ヒロムの一生懸命努力する姿勢や、勝負への真剣さを認めており、卓球での世話役になっている。フェイントや裏面打法、常人より広い肘の可動範囲を生かした「サイドワインダー(横這う蛇)」と呼ばれる真横にバウンドするシュートドライブなど、多彩な技を持つ(だが、裏面打法とサイドワインダーは肘への負担から蒔絵に使用を止められている)。乙女から『ましろん』と呼ばれている。王華との練習試合に出場するため、レギュラーとして選ばれた山雀と練習試合を行い、圧倒的な実力を見せつけ勝利しレギュラー枠を奪取したため反感を買うが、試合中に山雀は思いなおし梟宇達とも後に和解した(練習試合では敗北)。
- 母親とは死別しており、その後は眞白家の養子に入った。幼い頃に離婚していなくなった父親は王華の卓球部監督の城島であり、かつて大会出場を優先して母親の葬儀にすら来なかったため、特に城島と王華(特に当時期待の新人だった相馬と鰐淵)にも強い憎しみを抱いている。そのためいつも他人と接するときは心に「仮面」をつけていたが、ヒロムに見透かされ、本気で人とむきあえるようになった。
- 3年後では父親と和解しており、千佳と付き合っている。また、そばかすは消えており、かなりのファンを持つ。
- 山雀 輔(やまがら たすく)
- 右・シェークハンドドライブ攻撃型
- 県立久勢北中学校の2年生。他人の背中を叩く癖を持っている。身長が低いが、それを馬鹿にした者を得意の運動神経で倒していた。新歓コンパの練習では体の捻りを大きく使った強力なパワードライブを見せて1年生を驚かせた。王華との練習試合において念願のレギュラーメンバーに選ばれるが、直後にレギュラー落ちしていた眞白に惨敗しレギュラー枠を奪われる。最初は眞白が負ければいいと本気で望んでいたが、思い直し先輩として鼓舞激励した。割と心が広い人間のようで、後に眞白が謝罪した際も不器用ながら受け入れており、地区大会の一回戦で梟宇と共にダブルスで出場した時も、緊張で負けていた所を眞白の発言で緊張が解け勝利した。
- 岩熊の引退後、岩熊の夢を継ぐつもりで頭にタオルを巻いてみたが周囲からは「変」「海賊の下っ端みたい」と不評だった。実家は銭湯を経営している。身長は161cm(高2)
- 梟宇 周二(きょう しゅうじ)
- 右・シェークハンドカット主戦型
- 県立久勢北中学校の2年生。新歓コンパの練習ではカットのキレで1年生を驚かせた。王華との練習試合では、眞白の強引なやり方に不満を抱き、レギュラーを奪われた山雀の分まで戦う決心をするが、王華の1年生・柊十吾に完敗。自信をなくし、一時は卓球部を辞めようとするが、結果的には部にとどまる(遊部曰く「詭弁で説得されて戻ってきた」そうだが、戻る切っ掛けが欲しかった、というのが真相の様子)。地区大会の一回戦では山雀と共にダブルスで出場し緊張しながらも辛勝する。彼が着用しているTシャツ及び自宅の部屋に貼ってあるポスターのデザインには、1980年前後にアメリカ西海岸で活動していたハードコアバンド"BLACK FLAG"のレコードジャケットが使われている。妹が一人いる。前髪で目が常に隠れているが、最終回で目が描かれているコマがある。
- 久遠寺 真悟(くおんじ しんご)
- 県立久勢北中学校の1年生。去年のホープス(小学5、6年生の部)3位の実績を持つ。お寺の住職の息子。カット主戦型と思われ、実力は眞白に「さすが」と言わせるほどであるが、合宿で疲労で倒れてしまい数日リタイアしていたことから他メンバーと差が開き、レギュラーから外されてしまった。
- 植芝(うえしば)
- 県立久勢北中学校の1年生。アトラスSCに所属していた。下の名前は不明で、登場時は眞白に『植芝 ナントカ』と地味な扱いで紹介されている。ベジタリアンである。最初の合宿では腓返りの怪我を負う。久遠寺とともにプールでの水中卓球の日に練習を休んでいたため、同じく大会前の合宿で数日リタイアしてしまう。
- 先輩(せんぱい)
- 右・シェークハンド
- 県立久勢北中学校の2年生。本名不詳。第一話から最終話まで登場しているが名前が明らかになっていない先輩。去年の県大会で梟宇とダブルスを組んでいた(県大会で正式な部員で無かった山雀が助っ人に呼ばれていた試合に居合わせていた)。ちなみに人気投票では「糸目の先輩」でエントリーされていた。
- 沖野(おきの)
- 久勢北卓球部顧問。しかし顧問と言っても形だけであって周囲からは「置物」沖野と呼ばれていた。実際、王華との練習試合にも来ていなかった。眞白の話では王華との練習試合の前後に食い倒れで倒れたらしい。
- 蒔絵 薫(まきえ かおる)
- 倒れた沖野の代理で来た女性教師。ポニーテールの美人。男性口調。いつも口に(針灸用の)針をくわえているのが特徴。長身で、ヒロム(中学1年当時)の倍ほども背がある。ヒロム同様、髪の毛が一部はねている。久勢北中学の卒業生であり、自身も卓球経験者。他の教師の話ではかつては優秀な選手であり、かなり強かったという。付いたあだ名は「サバンナの風」。かわいいものには目がなく、気に入った男子生徒にはセクハラまがいの行為をする(主にヒロム)。指導態勢はいい加減で生徒に任せきり。一見すれば顧問として不適格とも取れる言動が多いが、やる気のない素振りを見せながらも物事を的確に判断している。過去、彼女は岩熊が1年生のとき久勢北卓球部のコーチであった。しかし王華との練習試合で実力差に絶望した当時の部員達の離反によって、卓球部は定員割れを起こし休部となったため彼女はコーチを解任されることになった(このときに一騒動あって、教員の一人が丸ハゲにされた)。適当な指導もコーチ解任を恨んでいるわけではなく、自分がいなくなったために1人で過剰練習をし、肘を壊してしまった岩熊に負い目を感じているため。ヒロムの「諦めたくない」という強い思いに岩熊と同じものを感じコーチ再任を決意する。岩熊がいうにはツンデレらしい。また、信じられない怪力の持ち主(怒って、そこに立っていた木を叩き折り、倒してしまいそうになった程度)。マッサージが得意。
- 3年後には結婚し子供が一人いる。
王華学園中等部
中学卓球界で無類の強さを誇り、『覇王』と呼ばれている学校。しかし去年は『破王』久勢北中学校に敗れる。久勢北中学が全国大会出場を辞退したため、繰り上がりで全国大会に出場。その大会で覇者となるも当然納得いくわけもなく、今年の大会での雪辱を狙っている。しかし最終回で、六花学園にまけたとある。
- 城島 久也(じょうしま ひさや)
- 王華学園中等部の卓球部監督。現役の頃はシュートドライブ(サイドワインダー、横這う蛇)を武器に全国V6及び個人全国2連覇を達成し、監督としても全国優勝12回の一端を担う。現在は右目が不自由。
- 久勢北の眞白の実の父親であるが、眞白が幼い頃に離婚。眞白の母親は腫瘍で入院していたが見舞いには一度も行かず、更に葬儀も卓球の大会を優先して出席しなかったため、眞白から憎しみを抱かれている。眞白が自分の息子であることに気づいていなかったが、眞白がサイドワインダーを放つのを見て何かに気づいた様子で、試合後に打法が腕などに負担がかかるため、使用を控えるよう助言している。その後、同じく息子の康成が監督を務める六花学園の卓球部に破れ失脚した。
- 3年後では眞白と和解しているが千佳と付き合うことは反対しているらしい。
- 相馬 光樹(そうま みつき)
- 右・シェークハンド前陣速攻型
- 王華学園中等部の3年生。卓球部の主将。1年生の時点で、手違いから王華学園を訪れた岩熊と練習試合をし、圧勝している。だが、昨年の県大会決勝では岩熊に競り負けている。身長が低く(ヒロムと同じくらい)、他人を見下ろせる馬上を好んでおり、学校の寮内では愛馬ロシナンテに乗って闊歩している(全てを見下ろすため)。乗馬術は未熟なようで、ロシナンテを思う方向へと歩かせられない。卓球は『戦術』(パラダイム)というのが持論。その持論通り、サーブからフィニッシュまでのパターンを何千と記憶し、瞬時に適応するかなりの戦術家。晶曰く「予測できない攻撃はない」。また、「絶影」というリストスマッシュを打つ(中国『三国志』における曹操の愛馬の名前が由来。作者曰く、呂布の愛馬「赤兎」にするか、ナポレオンの愛馬「マレンゴ」にするか悩んだらしい)。女子からはかなりの人気があるようで応援団まである。「小さい」と言われることを気にしているが「可愛い」は構わないらしい。ちなみに遠くから「小さい」と言われても誰が言ったのか当てることができる。また、どの人物が何回「小さい」と言ったのかも記憶している。岩熊の代理で戦ったヒロムのことは最初は初心者だとあなどっていたが、油断したとはいえ自分から2点取り、予期せぬ自分の戦術を崩したヒロムの可能性を楽しみにしているようである。
- 3年後ではP2杯の準々決勝で遊部にフルセットの末惜敗した。
- 鰐淵 守(わにぶち まもる)
- 右・シェークハンドドライブ攻撃型
- 王華学園中等部の3年生。中学生とは思えぬ体躯を誇る。以前は県下No.1のドライブマンと呼ばれていたが、去年の県大会で遊部と戦って敗北し、その称号を明け渡してしまう。久勢北との練習試合ではシングルス2で眞白と対戦。中盤までは圧倒され敗北寸前まで追い詰められるも、自分のラケットで己に活を入れて流れを引き寄せ、見事な逆転勝利をおさめる。眉毛は剃っているらしい。
- 3年後ではP2杯の客席に座っており、黒髪が生えている。
- 川末 晶(かわずえ あきら)
- 右・シェークハンドオールラウンダー
- 王華学園中等部[2]の1年生女子で日本女子卓球界の顔。最年少オールラウンダー[3]。卓球に関してはかなりの実力と洞察力を持ち、ヒロムの素質をいち早く見抜いた。
- 実は川末涼の妹で幼い頃遊部を含めた3人で辻巻の湊卓球クラブという所で遊んでいた。彼女が卓球を始めたきっかけも兄の技巧的なプレーにあこがれたため。しかし、小学生時代に城島監督が視察に来た試合で涼に勝ってしまい一時期涼が卓球を辞めていた事や、予想に反して涼が久勢北に入学した寂しさから避けていたが、ヒロムとの会話から思い直す。卓球界では有名な存在らしいが、本人はそのイメージを良く思っていない。中性的な外見と、クールで男の子っぽい言動のため、ヒロムがシャワー室で晶の全裸を目撃したにもかかわらず、直後に女子制服を身に着けるまで彼女を女性だと認識していなかった(晶本人はその事にある程度ショックを受けている)。動物の耳を思わせる筒型の帽子を好んで被る。
- お嬢(エリス)と草次郎と知り合いであり、お嬢から「ブラコン娘」とも呼ばれている。
- 3年後では涼との仲はある程度戻りつつあり、ヒロムに気がある様子。
- 柊 十悟(ひいらぎ とうご)
- 右・シェークハンドドライブ攻撃型
- 王華学園中等部の1年生。練習嫌いでヒロムや眞白、川末のことを馬鹿にしているが、スマッシュのスピードが150km/hに達するなど実力は確か。監督達からも王華の次期主力として期待されている。
- ヒロムや眞白に出会った時は髪が長く、前髪で三つ編みをしていた。その上から帽子を被っていたため、何となく三つ編みはアクセサリーに見えたが地毛。久勢北が練習試合にやってきた時には髪を切っており、その違いからか髪が長かった時よりも幼く見える。その時に、ヒロムの想像でからかわれていることもあり、周りに振り回されることが多々ある。
- きつい口調や性格であるため、熱くなりやすい。
- 柳 青州(やなぎ せいしゅう)
- 王華学園中等部の2年生。王華学園北京校から来た日本人。久勢北との練習試合で準エースの鰐淵を差し置いてS3に入り、川末と対戦。相性がよかったせいか序盤は有利な試合運びでリードするも、最終的には川末の粘り強さの前に敗れる。
- 柳 紅州(やなぎ こうしゅう)
- 王華学園中等部の2年生。柳青洲と共に登場した。久勢北との練習試合ではS4。青洲と同じく王華学園北京校から来た日本人。久勢北との練習試合ではS4として遊部と対戦するも、圧倒的な実力差でなす術なく敗れる。
- サシャ=クリングバイル
- 王華学園ドイツ校の生徒。晶が短期留学していた頃の友人で、晶に内緒で来日していた。ヒロムがばら撒いた一ケース分のピンポン球を数秒で打ち返すほどの動体視力と反射神経を持つ。
- 木之下 雪絵(きのした ゆきえ)
- 王華学園中等部2年生。相馬の応援団の会員No.84。ショタコンで相馬を「小っちゃ可愛い」と言うたびに注意され(「小さい」のみ注意され「可愛い」は咎めない)ており、岩熊の代理で対戦したヒロムにも同様の発言をした挙句、鼻血を出しながら気絶するほどであった。単行本描き下ろしのオマケにも登場しており、ヒロムを見に久勢北の地区大会も見に来ていたらしい。尚、P2杯にも双眼鏡を持って観客席に座っている。
- ロシナンテ
- 相馬の愛馬。すぐ人を噛む癖を持っている上に、口臭がひどい。ヒロムをタマネギと間違えることとも合わせ、天然ボケのようである。
- 名前の由来はドン・キホーテの愛馬。
初代実業付属中学
- 前園 衛(まえぞの まさる)
- 初代実業附属中学の1年生。ヒロムや乙女の小学校の同級生で少年野球チーム「美凪ワルキューレ」のサードを務めていた。身長172cmの長身で大型新人と評されていたが地区予選の一回戦でヒロムに敗れた。ヒロムを馬鹿にしており眞白からも反感を持たれ、負けてすぐにその場を去る(この行動について、糸目の先輩は「最後まで失礼な奴だ」と吐き捨てていた)が、直後にヒロムと乙女の前に鉢合わせた際は悩みながらも握手を交わした。
- 乙女に気があるようで、地区大会の観覧席で初代側にいた乙女(ヒロムを正面から見るため)を「勝利の女神」と呼んだり、乙女の手作り弁当を条件に遊部のポスターのコピーと掲示を引き受けている。ただし、単行本の書下ろしでは通行人の子供に弁当を台無しにされる。それに対し謝っても許さず、さらに止めに入ったエリスにも絡んでいたところを乙女に殴り倒される。
- 猿渡 雄三(さるわたり ゆうぞう)
- 初代実業附属中学の卓球部監督。久勢北中学の総合力を甘く見て、遊部・川末との対戦前の前半3組に期待するが、3組とも負けたため一回戦で敗退が決定し、結局全戦全敗に終わる。
- 荻窪 昇(おぎくぼ のぼる)
- 初代実業付属中学の卓球部エース。地区予選の一回戦で眞白と対戦し敗北。
- 堀部(ほりべ)
- 初代実業付属中学の卓球部員。地区予選の一回戦で遊部と対戦し敗北。
- 丹波(たんば)
- 初代実業付属中学の卓球部員。地区予選の一回戦で畔野と共に、山雀・梟宇ペアと対戦し敗退。
- 畔野(はんの)
- 初代実業付属中学の卓球部員。地区予選の一回戦で丹波と共に、山雀・梟宇ペアと対戦し敗退。
- 横村(よこむら)
- 初代実業付属中学の1年生。ヒロムや乙女の同級生で小学生の頃は「美凪ワルキューレ」の5番ファーストで、前園らと共にヒロムをパシリにしていた。現在も前園らとつるんでいる。
秀鳳学園
地区大会を10年連続で1位通過している強豪校。『破王』久勢北中学も秀鳳学園には一度も勝ったことがない。県下四強の1校で特有のフットワーク「天翔(あまがけ)」を戦術として使用している。通称『天軍』。
- 高槻 修二(たかつき しゅうじ)
- 秀鳳学園卓球部主将。禿頭にメガネが特徴。1年前の地区大会決勝で、マッチポイントを取った川末の球がエッジギリギリに落下したため、判定に納得しておらず(川末も勝利したことに納得していない様子)、翌年の地区大会で川末との再戦を希望している。基本的にはマジメでクールな性格だが、張の取り扱いにかなり困っている。
- 久勢北との試合ではS4でヒロムと対戦(ヒロムを川末の愛弟子と称している)する事になり、連載はここで終了している。この試合の詳細は描かれていないが、3年後の回想ではヒロムに敗北した模様。
- 大山崎 昇(おおやまざき のぼる)
- 秀鳳学園卓球部副主将。大柄な体格に力強いプレイで、スマッシュした球が観客席まで飛び、真っ二つに割れるほどの力を持つ。眞白や山雀達を挑発したり悪態をつくなど嫌味な性格。
- 昨年の市大会のカデットの部(中学2年生以下の部)で眞白を倒し優勝した。久勢北との試合ではS5で眞白と当たる。
- 張偉(チャン・ウェイ)
- シェークハンドドライブ攻撃型
- 秀鳳学園卓球部員の中国人留学生。相手にギリギリまでポイントを許し自分を追い詰めた状態で逆転する。その理由は、格下と打てばプレーが雑になり腕がさびるために、緊張感を保たせるため。また、その威圧感から2回戦では相手が有利な状態でも棄権した。戦法を含め棘のある発言や立ち回りなどから他の部員からはそのやり方に否定的な者が多いが、常に現状に甘んじず戦う信念を元チームメイトや高槻は理解している。
- 突然失明した目の治療のため来日し秀鳳に留学する。基本的に日本語ではなく中国語で話しているが日本語が出来ないわけではなく、遊部と日本語で言葉を交わしたり部員の自分に対する悪口を聞き取ったりしている。ちなみに高槻も中国語が多少話せる。
- ポール回しを利用した跳ねない打球「ゼロバウンド」を使うことができる。
- 水無瀬 脩哉(みなせ しゅうや)
- シェークカット主戦型
- 秀鳳学園の一年生卓球部員。初頭部時代は秀鳳学園でのカットマンの地位の低さゆえに、中等部では卓球をやめようと考えていた。しかし、1年前に川末が高槻を破った試合を見て以来、川末に憧れ川末のフォームを真似、本気でカット主戦で戦うようになり、1年生ながらレギュラーの座を射止めるほどになった。
- サンバイザーを被っているが外す時もある。秀鳳の選手の中では穏やかな性格の持主で、川末の姿を見ただけで卒倒するほどユニークなキャラである。久勢北との試合ではS2において川末と対戦し勝利するが、カットマンとしての実力差から勝利したことに困惑する。
- 太田(おおた)
- 秀鳳学園の卓球部員。張が来るまではSとして戦っていた。高槻の発言から、決して弱くはないようである。また、高槻とは仲がいい模様。
その他
- 大谷 千佳(おおたに ちか)
- 大谷卓球センターの店員で眞白の知り合い。大の酒好きでカウンター横には常に酒を用意している。大会の際は出発直前まで眞白と打ち合っていた。大楠とは知り合いのようで「お絹」と呼んでいた。
- 3年後では眞白と付き合っているような描写がある。
- 大楠 絹子(おおぐす きぬこ)
- 眞白を久勢北から引き抜きに来た六花学園のスカウト(しかし眞白に渡した名刺の肩書きには「秀鳳学園」とあった)。六花学園は久勢北よりも設備や環境が整っているらしい。眞白にこの話を断られるものの、眞白の何か大切な情報を知っているらしく『いずれ彼は来る』と呟いた(六花学園監督の城島康也に関係することかもしれないが、詳細は不明)。後に地区大会にも来ており眞白とも再び会っている。ちなみに、彼女の傘は日傘兼用。また肌が敏感なのか、夏でも長袖のスーツを着用している。
- 3年後には眞白の兄で六花の監督である城島康成と結婚していた。
- 城島 康也(じょうじま こうや)
- 六花学園の監督。城嶋久也の息子、眞白裕也の兄。完結編の3年前に六花学園の監督として王華に勝利。そのことが城嶋久也の失脚につながったらしい。久勢北と王華の練習試合に顔を出していたときの城嶋久也とのやりとりなどから、その当時は王華のコーチだったという見方が一般的である。だが、作中で「王華のコーチ」と明確に提示されていたわけではない(人気投票の紹介では王華のコーチとされていたが)ので、すでに当時から六花学園の監督として、両校の試合を観戦していた可能性もある。仮にそうだとすれば、練習試合中に城嶋久也に対して敬語で話していたのは、相手が上司だったからではなく、親だったからと解釈できる。
- エリス・舞姫・ローゼンベルク(エリス・まいひめ・ローゼンベルク)
- 草次郎と地区大会を観戦していた少女。間違えて男子シャワールームに入るが眼鏡をかけるまでヒロムを男だと気づかず、他の男子学生が来た際(ヒロムもろとも)ロッカールームに隠れた。これを理由にヒロムから痴女呼ばわりされている。直後に草次郎が謝罪するも「ほら私は悪くない」と発言し自己中心的な性格と思われる。川末晶と何らかの因縁があるらしく、そのことが書かれていると思われる「恨みノート」を持っている。
- 六花のエースであるハインリヒ・フォン・ローゼンベルクの妹で、IQ200以上・六花のスパイを自称している。実際には編入試験で名前を書き忘れたため久勢北に入った。
- 草次郎(そうじろう)
- 上述のエリスの付き人で、そのワガママぶりに困っている。長髪など風貌から初登場時は一部読者から女性と間違われていたが[要出典]男性である。頭は悪くなく、張のゼロバウンドの理論を、完全にではないものの、おおむね見抜いていた。遊部と同い年のようなので2年生である。
- ちなみに川末晶とも知り合いで、互いのメールアドレスも知っている仲。
- 李(リー)
- 張が中国で所属していたチームのチームメイト。失明前の張の傲慢さに腹を立てていたが、張がチームを離れた事で自分たちの精神の弱さに気づき、それをバネに優勝できるまでのチームになれた事を感謝した。
- 「皆、今でも張のことは嫌いだが、心の中では尊敬している」と告げる。張が来日するための費用を捻出したのも彼らである。
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書誌情報
- 江尻立真『P2! - let's Play Pingpong! -』集英社〈ジャンプ・コミックス〉
- 「P2!-let’s Play Pingpong? 」ISBN 978-4-08-874333-2
- 「王華学園」ISBN 978-4-08-874378-3
- 「YES,I will」ISBN 978-4-08-874387-5
- 「梅雨来たりなば」ISBN 978-4-08-874429-2
- 「Morning Butterfly」ISBN 978-4-08-874450-6
- 「前哨戦」ISBN 978-4-08-874479-7
- 「Sure」ISBN 978-4-08-874501-5
逸話
- 連載数話目の時点で、『週刊少年ジャンプ』本誌で行われたキャラクターランキング、路上アンケート巣鴨で聞く孫にしたいキャラクター部門で、本作の主役である藍川ヒロムが1位に選ばれた[4]。
- 連載開始前のタイトル候補として「P3! -Praying Pingpong Player-」があった[5]。
- 本誌上で、P2! 一周年記念とともに、卓球選手石川佳純のインタビュー企画があった[6]。
- 連載1周年突破記念の巻頭カラー・キャラクター人気投票の直後に連載が終了され、人気投票の結果は単行本7巻で発表された。
- 球の回転とラケットの向き、返球のコースが合っていない場面が時々見られる。
- 『赤マルジャンプ』2007SPRINGに『メゾン・ド・ペンギン』とのコラボ作品「メゾン・ド・P2!」が掲載された。
脚注
P-2
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/27 06:02 UTC 版)
世界一軽い?ロボット。細く長い手足と顔を持つ。あまりに軽量化しすぎて、ついに自分の部屋の自動ドアが開かなくなったらしい。ペットくんはライバル視。
※この「P-2」の解説は、「まかせてPETくん」の解説の一部です。
「P-2」を含む「まかせてPETくん」の記事については、「まかせてPETくん」の概要を参照ください。
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