T613
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 01:44 UTC 版)
T603の後継モデルは1960年代初頭から検討が進められ、「T603 A」というシボレー・コルヴェアに似たT603リデザイン試作車などが数種作られたが、最終的には一からニューモデルを開発することになった。 メカニズムはT603に引き続いて空冷リアエンジンとしながらも、より合理的で洗練されたデザインが追求された。その結果、共産圏の自動車としては珍しく、イタリアのカロッツェリアであるヴィニャーレにデザインが外注された。 当時のイタリアは、共産圏諸国とは友好的で、フィアットの小型車がソ連や東欧で正式にライセンス生産される例も多かった。従ってヴィニヤーレへのデザイン依頼も「異常」とまでは言えない。 ニューモデル「T613」の原型は1968年に完成したが、それから生産に移るまでに、西側諸国では考えられないほどの長期に渡るタイムロスを生じ、生産開始は1973年、本格的な量産は翌1974年からとなった。 イタリアン・デザインのT613は、従来のタトラ車とはかけ離れた、直線的なモチーフのセミファストバック・セダンであった。4個のヘッドライトは切り立ったノーズの面に、彫刻したへこみのように配置され、中央にはタトラのエンブレムが配された。その外観は、共産圏のリアエンジン車とは想像しにくく、むしろドイツ車かスウェーデン車を思わせる端整さがある。グラスエリアも広く、また衝突対策も考慮されていた。 空冷V形8気筒エンジンは排気量3.5リッター、動弁方式はついにDOHCとなった。各バンクに2本ずつ、合計4本のカムシャフトをチェーン駆動している。最高出力は当初165HP/5,200rpmであった。燃料供給はキャブレター式である。 重量配分を考慮して、従来よりも前進したエンジン配置となり、半ば後輪上に乗りかかってミッドシップレイアウトに近付いた。その前方に4段式のマニュアルギアボックスが置かれ、デファレンシャルはエンジンのオイルパン下に位置することになった。燃料タンクはリアシート下に配置された。 ブレーキはサーボ付の強力な4輪ディスクブレーキ。フロントサスペンションはストラット式に、リアサスペンションは、ユニバーサルジョイントを備えた現代的なセミトレーリング式となった。重量配分変更も手伝い、かつてのスイングアクスルのような高速での不安定さは相当に改善された(この改良は、同時期のフォルクスワーゲンやメルセデス・ベンツと軌を一にしている)。 これらのスペックによってもたらされた最高速度は185km/h、あらゆる面で同時期の西側諸国各車に比肩する水準であった。ただし、空冷のリアエンジン車であることを除いては、である(このレイアウトの大排気量車は、他にスポーツカーのポルシェ・911があるのみ)。空冷エンジン車でしばしば指摘されるエンジンの騒音の大きさは、T613ではさほど問題にならない水準まで抑えられていた。 暖房は従来通り、ガソリン燃焼式の独立ヒーターを複数搭載している。 用途はT603と変わらず、東側諸国の官公庁や共産党幹部向けであった。北朝鮮にも輸出されている。西側への輸出はほとんど行われなかった。 変形モデルとしてはクーペモデルが計画されたが試作に終わった。またチェコ高官向けにホイールベースを延長したリムジンモデルや、パレード用のオープンモデルも少数作られている(ツインスパーク、燃料噴射仕様でチューニングされていたといわれ、自動変速機モデルもあったようである。ヘッドライトは角形だった)。 比較的多数作られた特殊仕様車は救急車仕様である。後部座席・エンジンルーム上に大きなキャビンが配置され、ここに患者・貨物搭載スペースが作られた。高速救急車として使用されたほか、公的業務の各種用途に活用された。
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