PROTEUSとは? わかりやすく解説

プロテウス【Prōteus】

読み方:ぷろてうす

[一]ギリシャ神話で、海に住む老人海神ポセイドン従者で、予言変身の術に長じたといわれる

[二](Proteus)海王星の第8衛星1989年ボイジャー2号接近発見された。名は[一]由来海王星系で2番目に大きな衛星であるが、太陽光をほとんど反射しないため目立たない。非球形平均直径は約420キロ地球の0.03倍)。


Proteus

名前 プロチュース; プロテウス; プロテュース

PROTEUS

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/13 01:01 UTC 版)

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PROTEUSはフランスで開発された、小型人工衛星に用いられる共通プラットフォーム(衛星バス)である。 その名称は「Plate-forme Reconfigurable pour l’Observation, les Télécommunications Et les Usages Scientifiques」(観測・通信・科学的な用途のための再構成可能なプラットフォーム)のアクロニムとなっている。

概要

PROTEUSはフランス国立宇宙研究センター(CNES)が主導してアエロスパシアル社衛星部門と共同開発した500kg~700kgクラスの低軌道用衛星バスであり、低コストかつ短納期で応用範囲の広い小型衛星プラットフォームの実現を目指して1996年に開発が始められた。この事業のパートナー企業契約はアルカテル・スペース社を経て現在はタレス・アレーニア・スペース社へ引き継がれている。衛星の組み立ては同社の生産拠点であるカンヌ・マンドリュー宇宙センターにおいて行われる。

PROTEUSは2001年に打ち上げられた海洋観測衛星JASON-1に最初に使用され、米仏共同のリモートセンシング衛星やヨーロッパ宇宙機関(ESA)の天文衛星COROTなど、科学研究を目的とする6基の衛星に採用された(2013年現在)。またESAが2008年に打ち上げたガリレオ計画の試験衛星2号機GIOVE-BもPROTEUSバスを元に製作された。

これらの衛星で軌道上の運用実績を積んだPROTEUSバスの技術は、さらに商用衛星の分野にも展開されている。2006年にグローバルスター社とタレス・アレーニア・スペースとの間で調達契約が結ばれた48基の通信衛星には、PROTEUSのサブシステムが使用されている[1]。この通信衛星の最初の6基は2010年に打ち上げられた。またトルコ国防省が2015年の軌道投入を計画している地球観測衛星Göktürk-1のプラットフォームにもPROTEUSの派生型が使用される[2]

仕様

  • 衛星全体
    寸法:W1000×D1000×H1000(mm)
    質量:300kg
    ペイロード:300kg
  • データ通信系
    通信周波数帯域:Sバンド
    インタフェース規格:CCSDSプロトコル
    テレメトリデータレート:690kbps
    データ記録量:2Gバイト
  • 推進系
    ヒドラジンスラスター(1N) × 4
  • 姿勢制御系
    三軸姿勢制御方式
  • 電源系
    ガリウム砒素太陽電池パネル:1100W
    ミッション機器給電能力:300W
    バッテリー:リチウムイオン二次電池

採用実績

衛星名称 打ち上げ機 打ち上げ日時(UTC) 運用終了日時(UTC) 備考
JASON-1 デルタ II 2001/12/7 2013/7/2 海洋観測衛星
CALIPSO デルタ II 2006/4/28 - 地球観測衛星
COROT ソユーズ2 2006/12/27 2012/11/2 天文衛星(系外惑星探索)
GIOVE-B ソユーズFG 2008/4/26 - 測位衛星試験機
JASON-2 デルタ II 2008/6/20 - 海洋観測衛星
SMOS ロコット 2009/11/2 - 地球観測衛星
JASON-3 - 2015年予定 - 海洋観測衛星

関連項目

  • MYRIADE - PROTEUSに引き続いて1998年より開発された小型衛星バス(150kg級)

脚注

  1. ^ Frederic Payot, "RECURRING SERVICE MODULES FOR FUTURE SCIENCE MISSIONS A PRELIMINARY REVIEW", 2007, pp.27, ヨーロッパ宇宙機関(ESA)ホームページ
  2. ^ "Programme kickoff for Turkey’s Göktürk satellite system, supplied by Telespazio and Thales Alenia Space", Thales Alenia Space Press Releases, 2010-9-7

参考文献・外部リンク


プローテウス

(PROTEUS から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/18 21:33 UTC 版)

プローテウス古希: Πρωτεύς, Prōteus)は、ギリシア神話海神である。長母音を省略してプロテウスとも表記される。ナイル川河口の三角州沖合に浮かぶパロス島アザラシの世話をしている。ポルキュースネーレウスとともに「海の老人」と呼ばれ、彼ら同様にポントスガイアの子とされることもあるが、アポロドーロスではプローテウスは外されており、ポセイドーンの子とする説が紹介されている。古い甕絵には魚の尾を持つ身体から、獅子や鹿、蝮が顔をのぞかせている姿で描かれている。カール・ケレーニイによれば、彼ら「海の老人」はポセイドーン以前のギリシアの海の支配者であった。

予言の能力を持つが、その力を使う事を好まないため、プローテウスの予言を聞くためには、捕まえて無理矢理聞き出さねばならない。しかし、他の物に変身する能力をも有するため、捕まえること自体が至難の業である。

彼の予言を求める英雄たちに格闘の末取り押さえられている点で、とくにネーレウスおよびその娘テティスと似たような神話が伝えられている。別の神話では、プローテウスはエジプト人の王としても登場する。プローテウスの名は、海王星衛星プロテウスの名の由来にもなっている。

神話

メネラーオスとの格闘

ホメーロスの『オデュッセイア』では、スパルタを訪ねたテーレマコスオデュッセウスの子)にメネラーオスが語った話として次のようになっている。

トロイア戦争の帰途、メネラーオスの船団は嵐に見舞われてエジプトまで流された。8年の間帰国できず、パロス島で風を待ったが、ここでも20日間順風が吹かなかった。そこへプローテウスの娘エイドテエー(エイドテアーとも)が、自分の父親を押さえつけて方策を聞き出すようメネラーオスに助言した。メネラーオスは3人の部下とともにアザラシの皮をかぶり、浜辺でプローテウスを待ち伏せた。

やがてプローテウスが多数のアザラシたちと海から浜辺に上がってきて、午睡を始めたところを、メネラーオスたちは襲って押さえつけた。プローテウスは獅子、大蛇、豹、野猪、流水、高く茂った樹木などに姿を変えて逃げだそうとしたが、メネラーオスたちが手を緩めなかったので、あきらめて元の姿に戻った。メネラーオスの問いに答えてプローテウスは、ギリシアの諸将は神の怒りを買っており、メネラーオスはエジプトに戻って牛を生け贄に捧げて許しを請わねばならないこと、また、諸将のうち小アイアースが溺死したこと、メネラーオスの兄アガメムノーンが最期を遂げたこと、オデュッセウスがカリュプソーに引き留められて領地に帰れずにいることなどを語った。メネラーオスがプローテウスからいわれたとおり、エジプトで牛を神に捧げてアガメムノーンの記念碑を建立すると、たちまち順風が吹き始めた。

アリスタイオスとの格闘

古代ローマの詩人ウェルギリウスの著作『農耕詩』には次のような物語がある。

アポローンキューレーネーの子アリスタイオスが飼っていたミツバチが死んだとき、キューレーネーはアイスタイオスに助言して、プローテウスを縛り上げてミツバチの病気の理由を聞き出すとよいといった。アリスタイオスはパロス島の洞窟で午睡しているプローテウスを襲い、プローテウスは様々に姿を変えたが、結局打ち負かされた。プローテウスは、ミツバチの病気の原因は、アリスタイオスがかつてオルペウスの妻エウリュディケーに恋をしたとき、逃れようとしたエウリュディケーが毒蛇に噛まれて死んだ、その祟りだと語った。

その他

このほか、アポロドーロスではプローテウスに関して次のような物語がある。

  • ディオニューソスヘーラーによって狂気を吹き込まれて各地をさまよったとき、エジプト人の王プローテウスがこれを歓待したとされる。
  • アイギュプトスの50人の息子たちがダナオスの50人の娘たちと結婚したとき、その夜のうちにリュンケウスを除く全員がダナオスの娘たちの手にかかって殺された。殺された一人にプローテウスの名があり、結婚相手はゴルゴポネーだとされる。
  • ヘーラクレースが「アマゾーンの女王の腰帯」の功業に挑んだとき、ポリュゴノスとテーレゴノスの兄弟の挑戦を受け、二人を相撲で殺した。この兄弟は、ポセイドーンの子プローテウスの子であった。
  • パリスヘレネーを誘拐したとき、ゼウスの意を受けたヘルメースがヘレネーを奪い返してエジプトに連れて行き、エジプト人の王プローテウスに保護させた。パリスは雲で作られたヘレネーの似姿をヘレネーだと思い込んでイーリオスへ赴いた。トロイア戦争のあと、メネラーオスはプローテウスのもとでヘレネーを見いだすまで、奪還したヘレネーが雲の幻であることに気づかなかった。

一方、ヘーロドトスは『歴史』の中で、エジプト王プローテウスについて、ペロースから王位を継承したメンピス出身の王で、プローテウスの後を継いだのはランプシニトスである、と述べている(II.112、121)。

グレーヴスの論考

ロバート・グレーヴスによれば、プローテウスとは「最初の人間」という意味で、ネーレウスの別名であり、おそらく海岸の島に埋葬された神託の聖王だったとする。古代ギリシアでは、獅子と猪は1年を二つの季節に分ける制の表象であり、雄牛、獅子、水蛇は1年を三つに分ける場合の表象、また豹はディオニューソスの神獣であり、葉の茂った樹木は1年の月々を示す神木のことである。『オデュッセイア』でのプローテウスの変身は、これらがごちゃまぜになっている。

メネラーオスとプローテウスの格闘は、ペーレウステティスの格闘の退化した形であり、ヘーラクレースとネーレウス(「ヘスペリデス黄金の林檎」の功業)、アリスタイオスとプローテウス(上記ウェルギリウスによる)にも引き継がれている。このうちアリスタイオスの神話はプローテウスと関連がなく、古代ローマでギリシア神話がいかに無責任に利用されたかを示す一例である。

また、プローテウスが住むパロス島には、青銅器時代のヨーロッパ最大の貿易港があり、クレーテー人の植民地だったが、のちに海底地震によって港湾施設が水没した。このことはアトランティスに関するエジプトの伝説とも関わりがある。ホメーロスの叙事詩は、メネラーオスの時代にはすでにパロス島がアザラシの繁殖場所にすぎなくなってしまったことをも示している。

プローテウスに因んだ命名

参考文献



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