MNLAとは? わかりやすく解説

MNLA

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/05 07:25 UTC 版)

マリ北部紛争 (2012年)」の記事における「MNLA」の解説

アザワド解放民族運動英語版)(MNLA)はアザワド民族運動MNA)との合併により2011年10月16日設立され分離独立目的とした政治的かつ軍事的グループで、若い知識人政治活動家構成され、元ニジェール=マリ・トゥアレグ同盟fr:Alliance Touareg Niger-Mali)のゲリラ活動家で2006年から2009年トゥアレグ反乱指導的立場にあったイブラヒム・アグ・バハンガ(fr:Ibrahim ag Bahanga)により活動推進されていたが、彼は合併前の2011年8月26日自動車事故死亡している。1990年反乱後マリから逃走しムアンマル・アル=カッザーフィー政権下のリビア軍参加していたが、政権崩壊後マリ帰還しトゥアレグのMNLAに加わった2月4日にMNLAはビラル・アグ・アチェリフ(fr:Bilal Ag Acherif)書記長率い執行委員会の7人のメンバー名簿公表し、モハメド・アグ・ナジェム(Mohamed Ag Najem)は参謀長に、ハマ・アグ・シディ・モハメド(Hamma Ag Sidi Mohamed)は公式スポークスマンとなる。 モッサ・アグ・アッターMNLA情報責任者(Mossa Ag Attaher)は「植民地主義からマリ解放する目的があると断言しマリ共和国3つある地方行政区画、すなわちトンブクトゥ州ガオ州およびキダル州領有権主張する2月21日、「ジュウヌ・アフリーク(Jeune Afrique)」でマハムード・アグ・アガリーMNLA政治局委員(Mahmoud Ag Aghaly)とのインタビューで「マリセネガルがひとつになれなかったのと同様にマリ北部と南部人々は同じ国家枠組み当てはめるにはあまりに異なっている。我々が独立訴えマリ政府説得するために国際社会求めるのはこのためである」。 アルジェリア新聞エル・ワタン(fr:El Watan)でモッサ・アグ・アッターとのインタビューで「MNLAは反乱軍武装勢力ではありません。これは我々がアザワドと呼ぶマリ北部地域解放する為に活動する革命運動である。運動自治権政治的権利民族自決をもって決定する領土に住む先住民族の権利主張するのものである。現在に至りてあらゆるフラストレーションマリ政府との不健全な関係からくるあらゆる失望の後、これらを解決するには民族自決のもと自らを支配する権利求める」であると示して「MNLAは過去合意認めない主張は明白であり、いずれの合意アザワド解放認めたものでは無い。従って、我々はマリ政府利する時代遅れ合意には参加しない。とにかく、彼らは自重しなかったので、これらの状況は彼らの負の一面見事に表しているのである」とした。 MNLAはキダルの北にあるザカケ丘(Zakake)に本拠を置き、千人規模誇っている。MNLAは軍用小銃リビアから持ち込んだ対地地対空ミサイルBM-21多連装ロケット砲および迫撃砲武装している。

※この「MNLA」の解説は、「マリ北部紛争 (2012年)」の解説の一部です。
「MNLA」を含む「マリ北部紛争 (2012年)」の記事については、「マリ北部紛争 (2012年)」の概要を参照ください。

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