M1902
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 21:12 UTC 版)
M1900をアメリカ軍、およびイギリス軍での実用試験の結果を受けて改良したもので、元来はアメリカ軍でのトライアル向けにM1900の改良型として開発されたものだが、M1900が民間市場で大きなセールスを獲得していたことから、民間市場向けにも製造・販売された。 改良点としては、スライドストップ(スライドが後退した状態で固定させる装置)の追加、ランヤードリング(ランヤードつまり銃吊り紐を繋ぐための環)の追加といったもので、アメリカ軍から「保持を確実にするためにグリップを下部に延長し、それに併せて最低1発分装弾数を増加する」ことが求められたため、グリップフレームを延長して装弾数を1発増加させている。この新たなモデルには“ミリタリーモデル(Colt 1902 Military Model)”の名称が与えられた。 民間向けモデルは撃針を改良した以外はM1901から引き継がれた構成(ただしリアサイト兼用のセイフティは廃止されている)で、スライドストップがなく、グリップフレームが従来のモデルと同じ長さとなっている。民間向けモデルには“スポーツモデル(Colt 1902 Sporting Model)”の名が与えられた。なお、両モデルを比較した場合、ミリタリーモデルはグリップ部が大型化された分、スポーツモデルに比べて1.5オンス(約40g)ほど重かった。 上述の2形式に加え、M1900と同じく撃鉄の形状の差とスライドのセレーションの位置と溝の形状によって大分類され、更に表面仕上とグリップの素材による仕様の差がある。撃鉄の形状には撃鉄が大きく後方に張り出した"high spur hammer"、張り出しが小さく先端が丸い"stub" hammer"に加え、張り出しの小さい"lower profile" spur hammerの3つのモデルがある。セレーションはスライドの前部にあるものと後部にあるものとで位置が2種類あり、パターンは縦横に格子状に刻まれたものと、縦に鋸歯状に刻まれているもの、2種類が存在した。 後に“M1902 ミリタリーモデル”の名が与えられるM1900の改良型は、1901年12月に最初の試作品1梃が納入され、軍の審査を受けた。審査の結果翌1902年1月には実用試験用として200梃が発注され、同年7月には2回に分けて100梃ずつが納入され、1903年までの12ヶ月の実用試験の結果、「各種の改良によりM1900で不満足とされた点を十分に解消できている」とされたが、アメリカ軍が米西戦争におけるフィリピン戦の戦訓から「38口径では対人威力が不足している」との結論に達していたため、「自動式拳銃として優秀な性能であるが、威力不足である」として制式採用はなされなかった。これを受けて、コルト社では口径拡大型の開発に着手することになる。 M1902はアメリカ軍の他にもいくつかの国で調達された。最も大口のものはメキシコ軍(1908年に800梃を購入)、次いでチリ海軍(1906年にイギリス経由で500梃を購入)である。しかし、この2カ国も含め、軍制式としての大規模な導入は世界いずれの国でも行われなかった。 生産数は、ミリタリーモデルが1902年から1928年12月にかけて18,000梃余り、スポーツモデルが1902年から1907年7月にかけて約6,900梃である。 ウィキメディア・コモンズには、コルトM1902に関連するメディアがあります。
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