HK-1
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 07:07 UTC 版)
「かつをどり (航空機)」の記事における「HK-1」の解説
木村による設計は二ヶ月ほどで完了し、この機体は日野熊蔵のイニシャルをとって「HK-1」と名付けられた。また、「萱場一型」とも呼ばれていた。製造は津田沼に所在していた伊藤飛行機製作所に依頼され、1938年(昭和13年)2月末に完成した。 機体は高アスペクト比の全翼滑空機であり、上反角つきの後退翼と1枚の垂直安定板を有していた。一〇式艦上戦闘機(民間への払い下げ品)や自動車による曳航離陸のほか、ゴム索によるカタパルトからの発航も可能。操縦席は単座・開放式、降着装置はスキッドだった。 当初パイロットは伊藤製作所の安岡駒好主任操縦士が務めていたが、数回の飛行の後に舵が利きにくいという理由からパイロットを降り、陸軍航空技術研究所の飛行訓練生だった島安博二等飛行機操縦士に引き継がれた。萱場製作所による本格的な飛行試験は柏飛行場にて1939年(昭和14年)9月6日から開始され、1940年(昭和15年)4月16日までの間に島の操縦で182回の飛行を行ったあと、陸軍航空本部に引き渡された。しかし、陸軍側の初飛行の際にテストパイロットであるN少佐が無尾翼機の機体特性を理解せずに搭乗し、着陸時に地面効果でなかなか着陸しないのを強引に下げ舵を取ったため、機体は前部から墜落し大破した。 諸元(HK-1) 全長:3.50 m 全幅:10.00 m 全高:1.80 m 翼面積:14.0 m2 自重:120 kg 滑空速度:85 km/h 乗員:1名
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