FA-200とは? わかりやすく解説

【FA-200】(えふえーにひゃく)

Fuji FA-200.
富士重工業開発・生産した、国産唯一の実用軽飛行機愛称エアロスバル

T-1によって戦後日本航空史切り開いた富士重工業が、それに続いて開発した民間飛行機である。初飛行1965年
空力的に安定していながら、高い機動性機体強度を持つため、曲技機として使用するともできるという、優れた特性を持つ。

その高い性能認められオーストラリアなどへの輸出堅調であったが、その後日本製飛行機同様に保守サービス体制弱く、また低翼により下側方の視界悪く用途制限されたため、300をもって製造終了した

スペックデータ

乗員1名+乗客3名
全長8.17m
全高2.59m
翼幅9.42m
主翼面積14.0㎡
翼面荷重82.1kg/㎡
空虚重量650kg
最大離陸重量1,150kg
プロペラマッコーレイIC172MGM7656 or 7662固定2枚(FA-200-160)
マッコーレイB2D34C53/74E-O油圧定速(FA-200-180)
マッコーレイA170/EFA7658固定2枚(FA-200-180AO)
エンジンライカミング O-320D2Aレシプロエンジン(160hp)×1基(FA-200-160)
ライカミング IO-360B1Bレシプロエンジン(180hp)×1基(FA-200-180)
ライカミングO-360A5ADレシプロエンジン(180hp)×1基(FA-200-180AO)
出力荷重0.12 kW/kg
速度
(最高/巡航
128kts(237km/h)/100kts(185㎞/h
失速速度
フラップ上げ/下げ
109km/h(FA-200-160)/115km/h(FA-200-180)/114km/h(FA-200-180A0)
92km/h(FA-200-160)/97km/h(FA-200-180)/96km/h(FA-200-180A0)
航続距離1,400km
実用上昇限度5,790m
上昇率5.7m/s

派生型

FA-200-180.jpg
Photo:MASDF

FA-200

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/18 07:16 UTC 版)

富士 FA-200

キネトン飛行場英語版オーストラリア)を離陸するFA-200-180(2010年)

FA-200は、日本の航空機メーカー富士重工業で製造された軽飛行機。愛称は富士重工業の自動車のブランド「スバル」からとったエアロスバル1965年昭和40年)に初飛行。1986年(昭和61年)に生産終了するまでに、試作機3機を含めて299機が製作された[2]

開発

富士重工業は、T-34A練習機をライセンス生産し、その改良型として連絡機LM-1、練習機KM-2を製作し、自衛隊に納入していた。こうした小型機の製造のノウハウを活かし、本格的な民間機として開発したのが本機である。また、一式戦闘機「隼」に代表される中島飛行機の流れも汲んでいる。原型機は1965年8月12日に初飛行した[1][2]

日本の航空法による小型飛行機の耐空類別3種(普通N、実用U、曲技A)を全てを取得した[1][2]

設計

ライカミング・エンジンズ製水平対向4気筒レシプロエンジン(160HP/120kWまたは180HP/135kW)単発、低翼、固定脚という保守的なレイアウトのプロペラ機である。機体は全金属製で、風防屋根などにアルミ合金を多用したほか、尾翼と舵面に波板を用い、計器板の上蓋が機体前部の構造材を兼ねるなど、艤装部材と構造部材を一体化させることによる重量軽減と部品点数削減がなされている[1][2]。手動式スロッテッド・フラップ、降着装置に3車輪式固定脚、操縦室にはスライド式キャノピーを採用し、容易な乗降を可能としている。主翼や尾翼、舵の大きさ、翼形、舵の断面、主翼と尾翼の位置関係、胴体線図等は、中島飛行機時代からの富士の過去のデータを元に決定し、絞り加工を必要としない円錐や円筒を多用した胴体、翼端まで同一断面の直線型の主翼や尾翼を用いるなど、価格低減の努力が行われた[1][2]。主翼は低翼配置の単桁構造で、前縁を大容量のセミ・インテグラルタンクにすることで、航続距離を1,000kmまで延長した[1]

良好な運動性と十分な航続距離を備えていたが[3]、キャビン後部が小さく居住性が悪いため旅客や遊覧飛行には適さず、積載スペースが小さく投下用のドアを備えていないため物資の運搬・投下など輸送業務にも向いていなかった。このため、主に練習機やスポーツ機として利用された。

製造・販売

オランダのSpecial Air Services社が所有する機体(2014年)

アクロバット飛行も可能な運動性能により評価は高く、1977年まで生産が続けられ、全日本空輸航空大学校をはじめ、飛行クラブ、個人の自家用などに276機を販売し、その内170機は西ドイツイギリスオーストラリア南アフリカギリシャといった海外に輸出した[2]。以降は受注生産となり、1986年(昭和61年)の生産終了までに合計296機を売り上げたが、これは500機を超えて成功と言われる小型機業界で、予想された業績を大きく下回った。

練習機・スポーツ機としての購入が主流だったが、公共施設地図航空では遊覧用として3機を保有していた。日本の航空宇宙技術研究所(NAL)は1機を購入し、短距離離着陸(STOL)特性を研究する為の実験機として使用した。航空大学校でも、1971年(昭和46年)から1994年までパイロット養成訓練用機として使用された。

機体寿命により登録が廃止された機体は各地の航空専門学校へ整備訓練用機として売却されたが、近年では教材としても用途廃止されるようになり、空港などへ寄贈され展示品となっていることもある。

富士重工業はFA-200に続いて、アメリカロックウェル・インターナショナルと共同でビジネス用双発プロペラ機FA-300(富士700)を開発、発表したが、50機ほどの販売で生産中止となり、10億円もの損失を出してしまった。もともと航空産業を厄介に感じていた日本興業銀行出身の首脳は、これを機として民間小型機事業からの撤退を決めた。これ以降も自衛隊向けの練習機として小型機を製造している。

性能諸元

FA-200の三面図
FA-200-180[1]
  • 定員 - 4名
  • 全長 - 7.98 m
  • 全幅 - 9.42 m
  • 全高 - 2.59 m
  • 翼面積 - 14.0 m2
  • 空虚重量 - 620 kg
  • 最大離陸重量 - 1,150 kg
  • エンジン - ライカミング O-360英語版 × 1基
  • 出力 - 180 馬力
  • 最大速度 - 234 km/h
  • 航続時間 - 7.6 時間
  • 上昇限度 - 4,460 m

派生型

FA-200改型STOL実験機(岐阜かかみがはら航空宇宙博物館所蔵)
FA-200-160
飛行訓練や遊覧用の基本型。160馬力のエンジンに固定ピッチプロペラを装備[1]
FA-200-180
曲技飛行用の発展型。定速プロペラを装備し、エンジンをライカミング製IO-360-B1B(180 馬力) に換装。燃料系統にはキャブレターでなく、IOのI (Injector) が示すとおり燃料噴射装置が用いられている[1]
FA-180AO
FA-200-180を元に機体を再設計し、整備の簡素化と価格低減を目指した改良型。180馬力の気化器付エンジンに固定ピッチプロペラを装備[1]
FA-200改
日本の航空宇宙技術研究所(NAL、現JAXA)によって短距離離着陸 (STOL)の研究用に改修された機体[1]。FA-200-160を元に、エンジンを180馬力に強化し、計測装置を装備した。さらに、水平安定板を可変翼(-3~+3度)に改造。
FA-200XS
FA-200改を元に、本格的なSTOL機として再改修された機体。境界層吸込式フラップを装備した主翼を換装し、境界層吸込ブロア用にスバル・360のエンジンを胴体に搭載。

現存機

仙台空港で展示されている機体(JA3548)。個人所有機から東日本航空専門学校の教材となり、用途廃止後に空港へ寄贈された[4]

初飛行から50年以上が経過しているが、現在も国内外で数機が飛行している。また、岐阜かかみがはら航空宇宙博物館(FA-200改)・航空科学博物館栃木県子ども総合科学館神戸市立青少年科学館仙台空港日本大学理工学部船橋キャンパスに展示されている。化女沼レジャーランドでは、用途廃止された機体を改造し遊具として利用しており、2001年の廃園後もそのまま残されている。

事故

  • 1970年(昭和45年)2月10日、かりふぉるにあ丸沈没事故の取材のためにフジテレビがチャーターしたFA-200(機体番号:JA3141)が千葉県沖に不時着水、搭乗員3名全員が死亡。原因は杜撰な飛行計画のために燃料が枯渇し、不時着水を余儀なくされたこととされた。
  • 1978年(昭和53年)8月3日、チャーターされたジャパン・レンタル・プレーンのFA-200が消息不明となり、同月17日、栃木県男体山裏手の女峰山山麓に墜落しているのが発見され、同時に乗員乗客4名の遺体も発見された[5]
  • 2022年令和4年)4月18日、阿蘇外輪飛行場を離陸したFA-200(機体番号:JA3803)が燃料切れを起こし、有明海に墜落した[6][7]海上保安庁の巡視艇が3人を救助したが、60代男性1人が負傷、80代男性2人が死亡した。機体は水没し、海底に沈んでいるのが見つかった[7][8]

参考文献

  1. ^ a b c d e f g h i j k 木村秀政・田中祥一『日本の名機100選』文春文庫 1997年 ISBN 4-16-810203-3 P.242-243
  2. ^ a b c d e f 日本の航空宇宙工業50年の歩み. 社団法人日本航空宇宙工業会. (2003年5月). p. 25. https://www.sjac.or.jp/common/pdf/toukei/50nennoayumi/4_2_nihonnokoukuki2.pdf 
  3. ^ 内藤子生, 石川登 (1967). “富士重工FA-200軽飛行機について”. 日本航空学会誌 15 (161): 203. doi:10.2322/jjsass1953.15.201. 
  4. ^ 小型機展示
  5. ^ 不明の軽飛行機発見 日光山中 四人とも遺体で『朝日新聞』1978年(昭和53年)8月18日朝刊、13版、23面
  6. ^ “有明海に小型機不時着 1人死亡、1人意識不明―佐賀県沖”. 時事通信社. (2022年4月19日). オリジナルの2022年4月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220418120700/https://www.jiji.com/jc/article?k=2022041800877&g=soc 2022年4月21日閲覧。 
  7. ^ a b 古畑航希 (2022年4月19日). “有明海の小型機事故、「燃料切れ」の連絡 熊本と宮崎の男性2人死亡”. 朝日新聞社. オリジナルの2022年4月19日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220419023848/https://www.jiji.com/jc/article?k=2022041900349&g=soc 2022年4月21日閲覧。 
  8. ^ “小型機不時着、死者2人に 海底に機体か―佐賀沖”. 時事通信社. (2022年4月19日). オリジナルの2022年4月19日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220419023848/https://www.jiji.com/jc/article?k=2022041900349&g=soc 2022年4月21日閲覧。 

登場するフィクション

映画
大里化学工業の所有機が登場。上空からジェームス・ボンドを追い詰める。
ドラマ
172話・173話「'78スカイアクションシリーズ」で速水涼子刑事が新島空港へ着陸するまでのシーンで使用された。
オープニング映像で、バトル・ジャパンこと伝正夫が曲技飛行する機体が登場。
PCソフト
  • 『フライト・イン・ハワイ』
システムサコム1987年に発売していたPC用フライト・シミュレーター・ソフト。作中で唯一、搭乗・操縦出来る機体がFA-200エアロスバルであった。対応機種は、PC-9801シリーズ(NEC)、及びFM-16βシリーズ(富士通)。
模型
  • 『1/36 富士FA-200エアロスバル』
東京マルイ1970年頃に販売していたプラモデル

関連項目

外部リンク




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「FA-200」の関連用語

FA-200のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



FA-200のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
航空軍事用語辞典++航空軍事用語辞典++
この記事はMASDF 航空軍事用語辞典++の記事を転載しております。
MASDFでは航空及び軍事についての様々なコンテンツをご覧頂けます。
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのFA-200 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS