Baby-M
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この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。(2016年11月) |
baby-M | |
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プロフィール | |
リングネーム |
baby-M baby-A |
身長 | 146cm |
体重 | 46kg |
デビュー | 2001年11月25日 |
引退 | 2005年12月23日 |
baby-M(ベイビー-エム)は、日本の最小、最軽量の元女子プロレスラー(当時)。
身長146cm、体重46kg。
本名、生年月日、出身地、血液型は非公開。アルシオンのライセンスナンバー59。正体不明のマスク娘は自称18歳。かつてLLPWに所属していた和田部美穂の親友を名乗っていた[1]。
アルシオン→AtoZ→フリー→M'sと団体を移籍し、リングネームをbaby-Aからbaby-Mに変えた。
経歴・戦歴
- 2003年
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- 3月3日、伊勢崎市民体育館において、タイガーハニーと対戦。敗れる。
- 4月29日、東京・後楽園ホールにおいて、天界二十八部衆カルラと対戦。敗れる。
- 2005年
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- 2月11日、「EX格闘美」において、Baby-M、風香、木村ネネ組対ダイナマイト・関西の3対1変則マッチで、最後はスプラッシュ・マウンテンで敗れる。
- 5月20日、東京・新木場1stRINGにおいて、アジャ・コングと組んで栗原あゆみ、木村響子組と対戦。アジャが栗原に勝つ。
- 5月21日、バトルスフィア東京(666-Triplesix-Vol.8怨霊十執念記念興行)において、バトルロイヤルに出場。
- 7月9日、格闘美~Festa~において、全員参加バトルロイヤルに出場。
- 7月10日、東京・新木場1stRING(M's Style「Mab~夢を支配Ⅳ~」)において、アジャ・コングと対戦。アジャは5カウント、Babyは2カウント取れば勝ちという変則マッチを戦うが、負ける。
- 7月17日、格闘美~Festa~特別企画において、チャイナ服のコスプレを披露。同大会、救世忍者乱丸、闘牛・空と組んで、MARU、斎藤啓子、渋谷シュウ組と対戦。空がMARUからタックルで勝利。
- 8月7日、M's Style「Mab~夢を支配Ⅴ~」のワンデータッグトーナメントにダイナマイト・関西と組み出場。1回戦の相手の植松寿絵、輝優優組の場外リングアウトによって負けてしまう。
- 8月26日、後楽園ホール(LLPW 華激ルネッサンス2005)において、立野記代25周年記念27人参加バトルロイヤルに出場。最後、Baby-M、ジャンボ堀、立野記代の3選手が残り、Babyが堀を丸め込んでフォール勝ちしたが、立野に丸め返されて負ける。
- 8月28日、格闘美~Festa~において、全員参加バトルロイヤルに出場。
- 10月23日、M's Style「Mab~夢を支配Ⅶ~」において、GAMIと組んで、闘牛・空、闘獣牙Leon組と対戦。ベビトーン・ボムで空から勝利。
- 11月20日、M's Style「Mab~夢を支配Ⅷ~」において、大向美智子と組んで、GAMI、遠藤美月組と対戦。遠藤に敗れる。
- 12月6日、後楽園ホール(LLPW 華激レジェンド2005)において、ジャガー横田と組んで、ハーレー斉藤、井上貴子組と対戦。ハーレーのフィッシャーマンズバスターで敗れる。
- 12月23日、後楽園ホールにおいて、Baby-M、MIKAMI組対GAMI、ディック東郷組のカードでBaby-MがGAMIからフォール勝ちして引退する。現役生活は4年間であった。
得意技
- ドロップキック
- ベイビーイリュージョン
- ベビトーン・ボム
- コーナー最上段にリングに向かって立ち、そこから前方回転。セントーンを決める。この技の特徴は、背を反らせて飛ぶこと。
- 前転キャメルクラッチ
- 相手をうつ伏せにし、脚側から前転し、キャメルクラッチに行く。
入場テーマ曲
- 「LET THE BEAT CONTROL YOUR BODY」(2UNLIMITED)
DVD
- 格闘美&EXPERT 2005.Jun~Mar「Baby-M、風香、木村ネネ対ダイナマイト・関西」(JDスター)
- 格闘美Fasta「全員参加バトルロイヤルほか」(JDスター)
- M's Style NEW STYLE SYSTEM「引退試合ほか」(QUEST)
- Lady'sゴングVol.85 SPECIAL DVD「レディース・ゴング オリジナルムービー内「M」本動画版(プライベート映像)」(日本スポーツ出版社)
- PREFECT ARSION~アルシオンの6年間の軌跡~「Baby-M、チャパリータASARI組対PIKO、PIKA組ほか」(QUEST)
脚注
ベビーM事件
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ベビー M 事件(ベビーMじけん)とは、アメリカ合衆国で起こった代理母契約の有効性が裁判で問われた事件。
事件で、代理出産を行った女性が子の引渡しを拒み、養育権を求めたことから裁判になった。この事件を期に、国際的に代理母出産を規制する動きが起きた。
経緯
- 1985年 - A 夫妻が B さんと代理母出産契約を結ぶ。A 夫人には多発性硬化症の持病があり、妊娠・出産に危険が伴うことから、代理母契約に踏み切った。
- 1986年 - B さんは人工授精によって妊娠。のちにマスコミから「ベビー M」と呼ばれる女児を出産する。B さんは女児の引き渡しを拒む。A 夫妻は女児の引き渡しを求める裁判を起こす。
- 1987年 - 代理母契約の有効性を認め、親権は A 夫妻にあり、B さんには親権も養育権も認められないという判決がでる。
- 1988年 - ニュージャージー州最高裁にて代理母契約を無効とする判決がでる。通常の離婚訴訟に準じる扱いがなされ、父親を A 氏、母親を B さんとして親権を A 氏に認め、B さんには訪問権が認められた。
固有名詞の分類
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