BT60B
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 01:49 UTC 版)
1992年はヤマハに換えてV型10気筒のジャッドGVエンジン搭載したBT60Bで参戦。マシンは当初は紺と白のカラーリングだったが、ティレルと同じで紛らわしいという理由で、第8戦フランスGPからノーズが紫色、ボディが青と水色というサイケデリックなカラーリングとなった。 開幕時のドライバーはエリック・ヴァン・デ・ポールと中谷明彦が予定されていたが、FIAが中谷のスーパーライセンスの発給を認めなかったため、代わりにジョバンナ・アマティが起用された。アマティは史上5人目の女性F1ドライバーであったが、予選通過もできず、資金持ち込みも行えなかったことで解雇された。第4戦スペインGP以降は、ルーキーで後に世界チャンピオンとなるデイモン・ヒルがドライブすることとなった。 1992年はチームにとって悲惨なシーズンであった。ヴァン・デ・ポールは開幕戦で13位完走した後はすべて予選落ちし、アマティに代わったヒルもイギリスGPで16位、ハンガリーGPで11位完走した以外は予選落ちした。イギリスGP以降はヒルの1台体制で参戦を続けたが、チームは資金難のため第11戦ハンガリーGPをもってF1から撤退した。BT60Bはブラバムが製作した最後のF1マシンとなった。
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