4004とは? わかりやすく解説

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4004

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/20 09:16 UTC 版)

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4003 4004 4005
素因数分解 22×7×11×13
二進法 111110100100
六進法 30312
八進法 7644
十二進法 2398
十六進法 FA4
二十進法 A04
ローマ数字 IVIV
漢数字 四千四
大字 四千四
算木

4004四千四、よんせんよん)は、自然数または整数において、4003の次で4005の前の数である。

性質

  • 4004は合成数であり、約数1, 2, 4, 7, 11, 13, 14, 22, 26, 28, 44, 52, 77, 91, 143, 154, 182, 286, 308, 364, 572, 1001, 2002, 4004 である。
  • 410番目の回文数である。
    • 一桁の数を除くと400番目の回文数である。
  • 約数の和が4004になる数は4個ある。(1548, 2284, 2763, 4003) 約数の和4個で表される55番目の数である。1つ前は3948、次は4116。
  • 4004 = 82 + 102 + 122 + 142 + 162 + 182 + 202 + 222 + 242 + 262 + 282
    • 11連続偶数平方和で表せる数である。1つ前は3619、次は4411。
  • 各位の和が8になる131番目の数である。1つ前は3500、次は4013。

その他 4004 に関連すること

関連項目


4004

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 15:17 UTC 版)

嶋正利」の記事における「4004」の解説

4004は、ビジコンの、プログラム制御方式の高級電卓のために必要なチップとしてインテル共同開発したものであり、嶋はビジコン社員として開発に関わった。インテル社史では当初、4004の設計開発者はフェデリコ・ファジンマーシャン・ホフテッド・ホフ)、スタンレー・メイザーであるとされ、顧客会社出張社員である嶋の名はなかったが、1984年設計行った一人であると追認された。 1969年この年シャープLSI採用した電卓「QT-8D」を発表発売し電卓業界急速にLSI化への道を進んでいた。日本計算器製造1970年に「ビジコン」に社名変更。以下ビジコン表記)は、ランダム論理制御ワイヤードロジック)により電卓タイプ毎に異なカスタムLSI使用するではなくLSI複数タイプ電卓間で共通化し、ROM内容書き換えることで各タイプ対応するプログラム論理制御電卓企画した。さらに、同じLSIを、似たような計算必要な伝票発行機などに流用することも意図していた。 前年1968年に、ビジコン電卓開発製造担当していた電技研工業1971年ビジコン合併)から開発仕事打診を受け、嶋は、静岡での科学鑑識仕事から電卓世界戻っており、1968年秋にLSI未使用であるがプログラム論理制御の「ビジコン162P」を完成させ、新方式への理解深めていた。 1969年入り前述のようにLSI使用した電卓開発する機運高まった提携先としてインテル選ばれ6月渡米予定となった余裕があった嶋が、システムの構成渡米まで考えることになった。162Pの経験LSI化に応用したような構成考えた渡米6月20日発、ボーイング747就航前年であり、旧型機でのフライトであった。嶋らをサンフランシスコ空港まで迎え来ていたのは、後にマイクロコンピュータの基となるアイディア出したテッド・ホフであった1969年初夏サンフランシスコおこなわれたビジコン側から電卓構想についての説明対しインテル側はほとんど興味を示さなかった。要求仕様についてインテル伝えればLSIについては論理設計詳細設計)から製造までインテル側で行われる思っていたビジコン技術者は、日々戸惑い増していたが、これには大きな誤解があった。実は本契約はまだ交わされておらず、インテル側は単にコンサルティングとしてつきあっている、という状態だったのだ、と後になってわかったという。この意識ズレ後々も姿を見せる。 この時、ビジコン側(嶋)が提案したのは、次のような構成であった電卓全体方式としてはプログラム論理制御とし、電卓用途に応じてメモリ書き込むプログラム替え様々なタイプ電卓対応させる周辺機器など制御にはそれぞれ専用LSI用意しプリンタ制御ランダム論理制御としていた。新規設計LSI10種類前後使用する。この提案には、数の問題ばかりでなく、LSIパッケージング問題もあった。この構成では、40ピンなどの比較大きなパッケージを必要としたが、インテル側にはそのようなパッケージ用意がなく、当時メモリなどに使っていた16乃至18ピンパッケージ利用したがっていたのだが、ビジコンにはそれは知らされていなかった。テッド・ホフは、このビジコン案に対し、そのプログラム論理制御という点に興味示していた。 8月21日インテル社からビジコン社に送られ手紙には、ビジコンが望む規模価格でのLSI生産不可能、と読める内容記され開発はほとんど暗礁に乗り上げていた。 1969年8月下旬ある日、嶋らの所へテッド・ホフがやってきて、口癖である「My idea is」を発しながら、いっそ4ビット汎用のコンピュータCPUのようなLSI作れば良いではないか、というアイディア説明したビジコン案では、たとえば電卓加算であれば、2個のレジスタ指数揃えた後、一個加算命令で全加算いっぺんにおこなわれるという「マクロ命令」によるプログラム制御であった。これに対しホフアイディアは、4ビット汎用のコンピュータCPUのようなものを作り、たとえば加算命令4ビット十進一桁計算をするのみという「マイクロ命令」とし、プログラム電卓機能実現する、というものであった命令単純にし、プログラムソフトウェア)側が複雑さを受け持つ、という方向転換は、むしろ後年CISCRISC似ているとも言える)。 ホフ最初に示したスケッチでは、電卓における計算以外の機能キー表示入出力制御など)をどう実現するかは示されておらず、前述ピン数の問題考えられていなかった。 当初ベース仕様検討並列してホフアイディア元にしたチップについても、電卓向けに必要な修正や他の部分を含む詳細な仕様検討し後者進め方針がほぼ固まったが、契約まとまらず1969年12月20日に嶋は帰国した。 翌1970年4月7日単なる打ち合わせをする予定で、再度渡米をする。本契約同年2月6日結ばれており(この時、元の文面にあった電子計算機」が「卓上計算機」に変わっていて、ビジコン独占範囲限定されていた)、設計インテル側が進めているものと思っていたが、結局嶋がほとんどの論理設計をすることになった。『マイクロコンピュータ誕生』には特に書かれていないが、文藝春秋寄せた文章によれば莫大な開発費支払ったのに、何もやっていないとは何ごとかッ!」と激怒したという。4月渡米して進捗チェックした嶋が激怒(enraged)したことは、別文献にも掲載されている。 インテル説明するところでは、プロセッサ論理設計のできる技術者雇おうとしたが、アーキテクチャ4ビットということがわかると、みんな辞退してしまったのだという。当時既にメインフレーム32ビットミニコンピュータでも8ビット16ビットで、そういったコンピュータ設計者から見れば4ビットでは「おもちゃ」と思われたためであった。 しかし、2010年代から振り返って見た時(この段落の記述2014年書籍邦訳版インテル 世界で最も重要な会社産業史』をベースとする)、おそらく最も単純かつ主だった理由は「その時Intel社は、それどころではなかった」ということであろう創業からそう長い時間がたっておらず、まだ決定的な商品送り出すことができていなかったIntel社は、この4004の誕生と同じその頃、その「決定的な商品」となるべきDRAMチップ「1103」(en:Intel 1103)についてもまた、開発中であった。そしてそのために、4004シリーズ(4001〜4004)の開発が「スカンクワークス」の仕事であったのに対し、「大多数社員会社存亡の対処追われていた」のである。単に、画期的な新製品の開発難し時期さしかかっていた、というだけではなく、1103は実はその安定性に不安があった。結果的には、「コアメモリ新しチップ価格競争負けました」(cores lose price war to new chip)という挑戦的な広告とともに成功したチップとして歴史に残ることとなったが、これはいくつかの幸運のおかげだった。 渡米した嶋らに、パターン論理ベース回路図元に具体的にLSI上の配置決定する仕事設計者プロジェクト・リーダーとなるフェデリコ・ファジン紹介された。パターン設計者がいるということから論理設計進んでいるものと思われたが、実はファジンは前日雇われたばかりで、引き継ぎすらもされていなかった。つまり、論理設計はまだ全く進んでおらず、誰もやるものがいないという状態であったため、嶋が論理設計をおこなうことになった(ファジンは、論理設計自分がやり、嶋はその補佐であった主張している)。 CPU自身論理設計方式ワイヤードロジックとした(プロセッサ制御方式にはワイヤードロジックマイクロプログラム方式とがある)。2~3か月CPU論理設計完成し周辺チップ設計進めた9月からCPUパターン設計入り、嶋はファジンから学びながらパターン設計チェック仕事にも参加した目途付いたため、10月中旬市場調査のため東海岸ヨーロッパ視察してから帰国した明けて1971年いわゆるマイコン開発支援システムと後に呼ばれるうになるようなものを作り完成備えた4月通関一悶着あったものの、なんとかCPU輸入でき、動作確認した世界初マイクロプロセッサ誕生であった。なお、一般に4004の「誕生日」とされているのは、同年11月インテルによる一般発表の日である。また、インテル資料では、CPUの4004の他、周辺チップセットとして「MCS-4」としており、MCSとはマイクロコンピュータシステムの略である。 当時国内産業(この場合半導体メーカ育成のために、LSI輸入に際して手続き厳しかったにもかかわらず通関審査を通す時に送り状に「CPU」とあるがこれはなんだ、となった際に『誇らしい気持ちもあって「これが世界で初めてのワンチップ・コンピュータなんだ」とやっちゃった。だから事態紛糾しちゃったってところがある』という(コンピュータといえば小さくてミニコンピュータというのが常識だった当時のことである)。4日間日参して説明し通関審査パスしたという(ただし、これは嶋ではなく当時ビジコン社員)。 4004に関して特許は特に取らなかったが、後に、十進補正命令電卓では特に重要であるため、ビジコン側の主張で4004に入った命令電卓以外でも便利なことが多く以後多くマイクロプロセッサ採用された)だけでも特許取っておけば、莫大な収入になっただろう、と書いている。

※この「4004」の解説は、「嶋正利」の解説の一部です。
「4004」を含む「嶋正利」の記事については、「嶋正利」の概要を参照ください。

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