1961年モナコグランプリとは? わかりやすく解説

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1961年モナコグランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 10:17 UTC 版)

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座標: 北緯43度44分4.74秒 東経7度25分16.8秒 / 北緯43.7346500度 東経7.421333度 / 43.7346500; 7.421333

 1961年モナコグランプリ
レース詳細
1961年F1世界選手権全8戦の第1戦
モンテカルロ市街地コース(1929-1972)
日程 1961年5月14日
正式名称 XIX Grand Prix de Monaco
開催地 モンテカルロ市街地コース
モナコ モンテカルロ
コース 市街地コース
コース長 3.145 km (1.954 mi)
レース距離 100周 314.5 km (195.4 mi)
決勝日天候 晴(ドライ)
ポールポジション
ドライバー ロータス-クライマックス
タイム 1.39.1
ファステストラップ
ドライバー リッチー・ギンサー (84周目) フェラーリ
ファステストラップ スターリング・モス (85周目) ロータス-クライマックス
タイム 1.36.3
決勝順位
優勝 ロータス-クライマックス
2位 フェラーリ
3位 フェラーリ

1961年モナコグランプリ (1961 Monaco Grand Prix) は、1961年のF1世界選手権の開幕戦として、1961年5月14日モンテカルロ市街地コースで開催された。

レギュレーションの変更に伴い、エンジンの最大排気量が1.5Lとなった最初のレースである[1]

レース概要

1958年末、FIAが1961年からエンジンの最大排気量を従来の2.5Lから1.5Lに引き下げ、かつ最低重量を450kgとするレギュレーションの変更を発表した時、イギリス勢は即座に2.5L存続運動を行った。1959年から1960年にかけて、クーパーを筆頭にロータスBRMといったイギリス勢が勢力を増し、参加者の大多数を占めるまでになったことでイギリス勢は2.5Lが継続されると信じて疑わなかったが、本当に1.5Lに変更されることに気づいた時にはもう手遅れだった。一方、フェラーリは1.5Lへの変更に向けて、本格的なミッドシップの新車156V型6気筒、バンク角を従来の65度から120度に変更)を投入するなど準備を着々と進めていた。イギリス勢にとっての救いは、1957年から1960年F2規定(最大排気量1.5L)がほぼそのままF1へ移行された[2]ことで、旧型F2マシンとクライマックスFPFエンジン(改良型Mk2仕様、1.5L直列4気筒)で急場をしのぐことができたことだった[3]。BRMは自製1.5Lエンジンの完成が遅れたため、クライマックスFPFエンジンを使わざるをえなかった[4]スターリング・モスは馬力不足[5]を少しでも補おうと、マシンの軽量化のためにロータス・18のサイドパネルを外して本レースに臨んだほどだった[6]

予選

本レースは予選方式が通常の最速16台から変更され、ワークス・チームの主要ドライバー2人(ポルシェヨアキム・ボニエダン・ガーニー、BRMのグラハム・ヒルトニー・ブルックス、クーパーのジャック・ブラバムブルース・マクラーレン、ロータスのジム・クラークとイネス・アイルランド、フェラーリのフィル・ヒルヴォルフガング・フォン・トリップス)とモナコGPの過去の勝者(モス(ロブ・ウォーカー・レーシングチームのロータス)とモーリス・トランティニアン(スクーデリア・セレニッシマのクーパー))は無条件で決勝への出場権が与えられた。残りの4枠と全16台のグリッド順は練習走行のタイムで争われることになり、リッチー・ギンサー(フェラーリ)、ハンス・ヘルマン(ポルシェ)、ジョン・サーティース(ヨーマン・クレジット・レーシングチームのクーパー)、ミハエル・マイ(スクーデリア・コロニアのロータス)が決勝に進出した。アイルランドは練習走行中に負傷したため、クリフ・アリソン(BRPのロータス)が繰り上がりで決勝に進出した[7][8]ポールポジションは最速タイムを出したモスが獲得した。インディ500との掛け持ちで出走したブラバムは練習走行で最下位のタイムだったが、決勝出場権を得ていたため最後尾スタートとなった。

決勝

ギンサーが好スタートを切り、クラークとモスを従えていく。クラークは燃料ポンプのトラブルで順位を落としていく。ギンサーは14周目にモスとボニエに抜かれ3位に後退した[7]。レースが4分の1に達した時、モスは非力なロータス・18で10秒のリードを築いたが[9]、フィル・ヒルとボニエがその差をじわじわと詰めていき、レースの半分に達したときには8秒、60周目には3秒にまで縮まった。ギンサーは75周目に2位へ上がり、フェラーリ・156のパワーに物を言わせてモスとの差を詰めようとしたが、モスもギンサーと同じタイムを出して首位を譲らずフィニッシュした[10]

エントリーリスト

チーム No. ドライバー コンストラクター シャシー エンジン
ポルシェ・システム・エンジニアリング 2 ヨアキム・ボニエ ポルシェ 787 ポルシェ 547/3 1.5L F4
4 ダン・ガーニー 718
6 ハンス・ヘルマン
スクーデリア・コロニア 8 ミハエル・マイ ロータス 18 クライマックス FPF 1.5L L4
エキップ・ナツィオナーレ・ベルゲ 10 ルシアン・ビアンキ エメリソン 61 マセラティ 6-1500 1.5L L4
12 オリビエ・ジャンドビアン
カモラーディ・インターナショナル 14 マステン・グレゴリー クーパー T53 クライマックス FPF 1.5L L4
オーウェン・レーシング・オーガニゼーション 16 トニー・ブルックス BRM P48/57 クライマックス FPF 1.5L L4
18 グラハム・ヒル
R.R.C. ウォーカー・レーシングチーム 20 スターリング・モス ロータス 18 クライマックス FPF 1.5L L4
ヨーマン・クレジット・レーシングチーム 22 ジョン・サーティース クーパー T53 クライマックス FPF 1.5L L4
クーパー・カー・カンパニー 24 ジャック・ブラバム クーパー T55 クライマックス FPF 1.5L L4
26 ブルース・マクラーレン
チーム・ロータス 28 ジム・クラーク ロータス 21 クライマックス FPF 1.5L L4
30 イネス・アイルランド
UDT・レイストール・レーシングチーム 32 クリフ・アリソン ロータス 18 クライマックス FPF 1.5L L4
34 ヘンリー・テイラー
スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC 36 リッチー・ギンサー フェラーリ 156 フェラーリ Tipo178 1.5L V6
38 フィル・ヒル
40 ヴォルフガング・フォン・トリップス
スクーデリア・セレニッシマ 42 モーリス・トランティニアン クーパー T51 マセラティ 6-1500 1.5L L4
ソース:[11]
追記

結果

予選

順位 No. ドライバー コンストラクター タイム グリッド
1 20 スターリング・モス 1 ロータス-クライマックス 1:39.1 01
2 36 リッチー・ギンサー 2 フェラーリ 1:39.3 + 0.2 02
3 28 ジム・クラーク 1 ロータス-クライマックス 1:39.6 + 0.5 03
4 18 グラハム・ヒル 1 BRM-クライマックス 1:39.6 + 0.5 04
5 38 フィル・ヒル 1 フェラーリ 1:39.8 + 0.7 05
6 40 ヴォルフガング・フォン・トリップス 1 フェラーリ 1:39.8 + 0.7 06
7 26 ブルース・マクラーレン 1 クーパー-クライマックス 1:39.8 + 0.7 07
8 16 トニー・ブルックス 1 BRM-クライマックス 1:40.1 + 1.0 08
9 2 ヨアキム・ボニエ 1 ポルシェ 1:40.3 + 1.2 09
10 30 イネス・アイルランド 3 ロータス-クライマックス 1:40.5 + 1.4 DNS
11 4 ダン・ガーニー 1 ポルシェ 1:40.6 + 1.5 10
12 22 ジョン・サーティース 2 クーパー-クライマックス 1:41.1 + 2.0 11
13 6 ハンス・ヘルマン 2 ポルシェ 1:41.1 + 2.0 12
14 8 ミハエル・マイ 2 ロータス-クライマックス 1:42.0 + 2.9 13
15 32 クリフ・アリソン 4 ロータス-クライマックス 1:42.3 + 3.2 14
16 42 モーリス・トランティニアン 1 クーパー-マセラティ 1:42.4 + 3.3 15
17 34 ヘンリー・テイラー 5 ロータス-クライマックス 1:42.6 + 3.5 DNQ
18 14 マステン・グレゴリー 5 クーパー-クライマックス 1:42.7 + 3.6 DNQ
19 10 ルシアン・ビアンキ 5 エメリソン-マセラティ 1:42.9 + 3.8 DNQ
20 12 オリビエ・ジャンドビアン 5 エメリソン-マセラティ 1:43.7 + 4.6 DNQ
21 24 ジャック・ブラバム 1 クーパー-クライマックス 1:44.0 + 4.9 16
ソース:[12]
追記
  • ^1 - 予選の結果に関係なく決勝出場権が与えられた[7]
  • ^2 - 予選の結果により決勝進出[7]
  • ^3 - アイルランドは予選中のアクシデントで負傷したため決勝に出走せず[7]
  • ^4 - アリソンはアイルランドの負傷により繰り上がりで決勝へ進出した[7]
  • ^5 - 予選不通過

決勝

順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 グリッド ポイント
1 20 スターリング・モス ロータス-クライマックス 100 2:45:50.1 1 9
2 36 リッチー・ギンサー フェラーリ 100 + 3.6 2 6
3 38 フィル・ヒル フェラーリ 100 + 41.3 5 4
4 40 ヴォルフガング・フォン・トリップス フェラーリ 98 アクシデント 6 3
5 4 ダン・ガーニー ポルシェ 98 + 2 Laps 10 2
6 26 ブルース・マクラーレン クーパー-クライマックス 95 + 5 Laps 7 1
7 42 モーリス・トランティニアン クーパー-マセラティ 95 + 5 Laps 15
8 32 クリフ・アリソン ロータス-クライマックス 93 + 7 Laps 14
9 6 ハンス・ヘルマン ポルシェ 91 + 9 Laps 12
10 28 ジム・クラーク ロータス-クライマックス 89 + 11 Laps 3
11 22 ジョン・サーティース クーパー-クライマックス 68 エンジン 11
12 2 ヨアキム・ボニエ ポルシェ 59 インジェクション 9
13 16 トニー・ブルックス BRM-クライマックス 54 エンジン 8
Ret 8 ミハエル・マイ ロータス-クライマックス 42 オイルパイプ 13
Ret 24 ジャック・ブラバム クーパー-クライマックス 38 イグニッション 16
Ret 18 グラハム・ヒル BRM-クライマックス 11 燃料ポンプ 4
DNS 30 イネス・アイルランド ロータス-クライマックス 予選でアクシデント
DNQ 34 ヘンリー・テイラー ロータス-クライマックス 予選不通過
DNQ 14 マステン・グレゴリー クーパー-クライマックス 予選不通過
DNQ 10 ルシアン・ビアンキ エメリソン-マセラティ 予選不通過
DNQ 12 オリビエ・ジャンドビアン エメリソン-マセラティ 予選不通過
ソース:[13]
ラップリーダー

第1戦終了時点のランキング

  • : トップ5のみ表示。ベスト5戦のみがカウントされる。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ Grand Prix Results, Monaco GP, 1961”. grandprix.com. 2015年9月20日閲覧。
  2. ^ これによりF2とF3は一旦消滅し、1958年にイタリアで誕生したフォーミュラ・ジュニア(最大排気量1.1L)が1963年まで行われた。F2(最大排気量1.0L)とF3は1964年に復活した。
  3. ^ (林信次 1997, p. 18)
  4. ^ (林信次 1997, p. 21)
  5. ^ 本レースの時点でフェラーリとクライマックスとのパワーの差は40馬力もあった
  6. ^ (林信次 1997, p. 19)
  7. ^ a b c d e f Lang, Mike (1981). Grand Prix! Vol 1. Haynes Publishing Group. p. 180. ISBN 0-85429-276-4 
  8. ^ XIX Grand Prix of Monaco”. Motor Sport Online. 2018年3月31日閲覧。
  9. ^ Kettlewell, Mike. "Monaco: Road Racing on the Riviera", in Northey, Tom, editor. World of Automobiles (London: Orbis, 1974), Volume 12, p.1384.
  10. ^ Kettlewell, p.1384.
  11. ^ Monaco 1961 - Race entrants”. statsf1.com. 2018年3月31日閲覧。
  12. ^ Monaco 1961 - Qualifications”. statsf1.com. 2018年3月30日閲覧。
  13. ^ 1961 Monaco Grand Prix”. formula1.com. 2014年12月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月20日閲覧。

参照文献

外部リンク


FIA F1世界選手権
1961年シーズン
次戦
1961年オランダグランプリ
前回開催
1960年モナコグランプリ
モナコグランプリ 次回開催
1962年モナコグランプリ



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