1960年アルゼンチングランプリとは? わかりやすく解説

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1960年アルゼンチングランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/01 08:44 UTC 版)

 1960年アルゼンチングランプリ
レース詳細
日程 1960年シーズン第1戦
決勝開催日 2月7日
開催地 オスカル・ガルベス・サーキット
アルゼンチンブエノスアイレス
コース長 3.912km
レース距離 80周 (312.960km)
決勝日天候 晴れ
ポールポジション
ドライバー
タイム 1:36.9
ファステストラップ
ドライバー スターリング・モス
タイム 1:38.9(37周目)
決勝順位
優勝
2位
  • クリフ・アリソン
3位

1960年アルゼンチングランプリ (I Gran Premio de la Republica Argentina) は、1960年2月7日に開催された1960年のF1世界選手権の開幕戦。アルゼンチンオスカル・ガルベス・サーキットで開催された。アルゼンチングランプリはこの後1972年まで開催されなかった。

レースはブルース・マクラーレンが2年連続優勝を果たし、前年最終戦からの連勝となった。スターリング・モスはサスペンショントラブルに見舞われ、3位となった。彼はモーリス・トランティニアンのクーパーを引き継いだが、車両共有のためポイントは獲得できなかった。このルールは1958年以来実施されていた。

ベネズエラ人ドライバーのエットーレ・チメリは彼にとって唯一のF1参戦を果たした。チメリはこの二週間後にハバナでフェラーリ・250TRを運転中に事故死している。彼はベネズエラ人として初のF1ドライバーで、同国人としてはジョニー・チェコット1983年にF1参戦を果たした。アントニオ・クレウス、アルベルト・ロドリゲス・ラレッタ、ロベルト・ボノーミも唯一のF1参戦を果たした。フェラーリのF1初勝利を達成したフロイラン・ゴンザレス、ベテランアメリカ人ドライバーのハリー・シェルにとっては最後のレースとなった。シェルはこの後ノンタイトル戦のシルバーストンのプラクティスで事故死している。

3名の地元ドライバーがプラクティスに参加した。第1セッションでスクーデリア・セントロ・スッドの#10マセラティをペドロ・リャノがドライブした。同車はロドリゲス・ラレッタとナシフ・エステファーノもドライブしたが、決勝ではエスティファーノが使用した。第2セッションではジュリオ・ポーラがエットーレ・チメリの#44マセラティをドライブした。また、オスカル・カバレンはリザーブドライバーとしてエスティファーノ車を予選セッションで共有した。

エントリーリスト

チーム No. ドライバー シャシー エンジン タイヤ
カモラーディ・インターナショナル 02 マステン・グレゴリー ベーラ・ポルシェ ポルシェ 1.5 F4 D
スクーデリア・セントロ・スッド 04 ロベルト・ボノーミ クーパー・T51 マセラティ 2.5 L4 D
06 カルロス・メンディテギー
ジョルジオ・スカルラッティ 08 ジョルジオ・スカルラッティ マセラティ・250F マセラティ 2.5 L6 D
ナシフ・エステファーノ 10 ナシフ・エステファーノ マセラティ・250F マセラティ 2.5 L6 D
アントニオ・クレウス 12 アントニオ・クレウス マセラティ・250F マセラティ 2.5 L6 D
ジーノ・ムナロン 14 ジーノ・ムナロン マセラティ・250F マセラティ 2.5 L6 D
クーパー・カー・カンパニー 16 ブルース・マクラーレン クーパー・T51 クライマックス 2.5 L4 D
18 ジャック・ブラバム
チーム・ロータス 20 イネス・アイルランド ロータス・18 クライマックス 2.5 L4 D
22 アラン・ステイシー ロータス・16
46 アルベルト・ロドリゲス・ラレッタ
スクーデリア・フェラーリ 24 クリフ・アリソン フェラーリ・246 F1 フェラーリ 2.4 V6 D
26 フィル・ヒル
30 ヴォルフガング・フォン・トリップス
32 フロイラン・ゴンザレス
エキュリー・ブルー 34 ハリー・シェル クーパー・T51 クライマックス 2.2 L4 D
ロブ・ウォーカー・レーシング・チーム 36 スターリング・モス クーパー・T51 クライマックス 2.5 L4 D
クーパー・T43
38 モーリス・トランティニアン[# 1] クーパー・T51
スターリング・モス[# 1]
オーウェン・レーシング・オーガニゼーション 40 ヨアキム・ボニエ BRM・P25 BRM 2.5 L4 D
42 グラハム・ヒル
エットーレ・チメリ 44 エットーレ・チメリ マセラティ・250F マセラティ 2.5 L6 D
注:
  1. ^ a b トランティニアンは#38のクーパーをプラクティスで使用し、決勝でも使用した。40周目にトランティニアンがリタイアし、モスが車両を引き継いだ。

結果

予選

順位 ドライバー コンストラクター タイム 最高速 グリッド
01 スターリング・モス クーパー-クライマックス 1:36.9 145.34 km/h 01
02 イネス・アイルランド ロータス-クライマックス 1:38.5 142.98 km/h 02
03 グラハム・ヒル BRM 1:38.9 142.40 km/h 03
04 ヨアキム・ボニエ BRM 1:38.9 142.40 km/h 04
05 ヴォルフガング・フォン・トリップス フェラーリ 1:39.3 141.82 km/h 05
06 フィル・ヒル フェラーリ 1:39.3 141.82 km/h 06
07 クリフ・アリソン フェラーリ 1:39.7 141.26 km/h 07
08 モーリス・トランティニアン クーパー-クライマックス 1:39.9 140.97 km/h 08
09 ハリー・シェル クーパー-クライマックス 1:40.3 140.41 km/h 09
10 ジャック・ブラバム クーパー-クライマックス 1:40.6 139.99 km/h 10
11 フロイラン・ゴンザレス フェラーリ 1:41.0 139.44 km/h 11
12 カルロス・メンディテギー クーパー-マセラティ 1:41.8 138.34 km/h 12
13 ブルース・マクラーレン クーパー-クライマックス 1:41.8 138.34 km/h 13
14 アラン・ステイシー ロータス-クライマックス 1:43.6 135.94 km/h 14
15 アルベルト・ロドリゲス・ラレッタ ロータス-クライマックス 1:45.0 134.13 km/h 15
16 マステン・グレゴリー ポルシェ 1:45.5 133.49 km/h 16
17 ロベルト・ボノーミ クーパー-マセラティ 1:46.1 132.74 km/h 17
18 ジョルジオ・スカルラッティ マセラティ 1:46.1 132.74 km/h 18
19 ジーノ・ムナロン マセラティ 1:49.0 129.20 km/h 19
20 ナシフ・エステファーノ マセラティ 1:50.1 127.91 km/h 20
21 エットーレ・チメリ マセラティ 1:50.5 127.45 km/h 21
22 アントニオ・クレウス マセラティ 1:52.8 124.85 km/h 22

決勝

順位 No ドライバー コンストラクター 周回 タイム/リタイア原因 グリッド ポイント
1 16 ブルース・マクラーレン クーパー-クライマックス 80 2:17:49.5 13 8
2 24 クリフ・アリソン フェラーリ 80 + 26.3 7 6
3 38 モーリス・トランティニアン
スターリング・モス[1]
クーパー-クライマックス 80 + 36.9 8
4 6 カルロス・メンディテギー クーパー-マセラティ 80 + 53.3 12 3
5 30 ヴォルフガング・フォン・トリップス フェラーリ 79 + 1 Lap 5 2
6 20 イネス・アイルランド ロータス-クライマックス 79 + 1 Lap 2 1
7 40 ヨアキム・ボニエ BRM 79 + 1 Lap 4  
8 26 フィル・ヒル フェラーリ 77 + 3 Laps 6  
9 46 アルベルト・ロドリゲス・ラレッタ ロータス-クライマックス 77 + 3 Laps 15  
10 32 フロイラン・ゴンザレス フェラーリ 77 + 3 Laps 11  
11 4 ロベルト・ボノーミ クーパー-マセラティ 76 + 4 Laps 17  
12 2 マステン・グレゴリー ベーラ・ポルシェ-ポルシェ 76 + 4 Laps 16  
13 14 ジーノ・ムナロン マセラティ 72 + 8 Laps 19  
14 10 ナシフ・エステファーノ マセラティ 70 + 10 Laps 20  
Ret 34 ハリー・シェル クーパー-クライマックス 63 燃料ポンプ 9  
Ret 18 ジャック・ブラバム クーパー-クライマックス 42 ギアボックス 10  
Ret 36 スターリング・モス クーパー-クライマックス 40 サスペンション 1  
Ret 42 グラハム・ヒル BRM 37 オーバーヒート 3  
Ret 22 アラン・ステイシー ロータス-クライマックス 24 体調不良 14  
Ret 44 エットーレ・チメリ マセラティ 23 体調不良 21  
Ret 12 アントニオ・クレウス マセラティ 16 体調不良 22  
Ret 8 ジョルジオ・スカルラッティ マセラティ 11 オーバーヒート 18  
DNS 10 オスカル・カバレン マセラティ -
DNS 10 ペドロ・リャノ マセラティ -
DNS 44 ジュリオ・ポーラ マセラティ -
Source:[2]

*トランティニアンとモスは車両共有のためポイント無し。

第1戦終了時点でのランキング

  • : ドライバー、コンストラクター共にトップ5のみ表示。

参照

  1. ^ Lang, Mike (1981). Grand Prix! Vol 1. Haynes Publishing Group. p. 163. ISBN 0-85429-276-4 
  2. ^ 1960 Argentine Grand Prix”. formula1.com. 2014年12月22日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2015年9月20日閲覧。
FIA F1世界選手権
1960年シーズン
次戦
1960年モナコグランプリ
前回開催
1958年アルゼンチングランプリ
アルゼンチングランプリ 次回開催
1972年アルゼンチングランプリ



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