1923・1924・1925年製造車
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「ロンドン地下鉄スタンダード形電車」の記事における「1923・1924・1925年製造車」の解説
スタンダード形電車の量産車は1923年のチャリングクロス・ユーストン・アンド・ハムステッド鉄道のゴルダーズ・グリーン - エッジウェア間、クラップハム(英語版) - モーデン延伸開業用及びシティ・アンド・サウス・ロンドン鉄道のトンネル改築後の再開業用として191両が3社に発注され、5両編成を組んだ。 シティ・アンド・サウス・ロンドン鉄道のトンネルは直径10.5フィート (3,200 mm)のもので、小型の電気機関車にけん引された列車が運転されていたが、トンネルの改築のため1923年にいったん営業を取りやめ、1925年に営業を再開している。191両の新型車両のうち69両はシティ・アンド・サウス・ロンドン鉄道が保有し、残りの車両はロンドン電気鉄道が保有した。 スタンダード形以前のロンドン地下鉄の電車はブリティッシュ・トムソン・ヒューストン(英語版)(BTH)の制御装置を採用していたが、スタンダード形電車では大半の車両の加減速制御用にメトロポリタン=ヴィッカース製の電磁コンタクタが採用された。この装置では主電動機を直列から並列にブリッジ回路を構成することで切り替えている。制御電動車のうち2両にはゼネラル・エレクトリック・カンパニー(GEC)製の制御装置が搭載されたが、メトロポリタン=ヴィッカース製と混用が可能な設計とされた。全車にC形と呼ばれるドアエンジンを採用したが、設計上の欠陥があることが運用後すぐに判明している。 1924年には127両が発注されたが、大半が制御電動車となり、一部の制御車にGEC製の機器が採用された。メトロポリタン=ヴィッカース製の制御装置を採用した車両にはMV152主電動機が、GEC製の主制御器を搭載した車両にはWT54主電動機が搭載され、両者は互換性がある設計となっていたが、1両に両者が混用されることはなかった。1924年製の車両にはD形と呼ばれるドアエンジンが採用され、C形よりも信頼性があることが運用を通じて判明したため、1931年までにすべてのC形ドアエンジンがD形に交換されている。D形ドアエンジンには後に小改造が行われ、DL形と称されるようになった。 ハムステッド線はロンドン地下鉄の他の路線と接続されていなかったため、車両は陸送で搬入された。モーデンとゴルダーズ・グリーンの車両基地にはそれぞれ2つのガントリークレーンが設置され、1両ずつ車両がレール上に載せられた。レールに乗せられた車両は蒸気機関車でガントリークレーンの下から移動し、次の車両を載せる場所が確保された。 1925年にはケニントン分岐点の完成と、1926年からの6両編成運転に備えて120両が発注された。制御電動車の座席定員は30人、付随車は48人、制御車は運転台分4名減少し44人となった。スタンダード形電車登場時、ロンドン地下鉄の列車には運転士、前部車掌、後部車掌の3名が乗務し、後部車掌が前部車掌に発車準備が整ったことを連絡、さらに前部車掌が運転士に連絡していた。空気式自動ドアが安定して使用できるようになると、後部車掌と運転士が連絡を取るための電話の設置、すべてのドアが閉じていることの検知装置の設置、発車合図ベルの配線変更などの設置と併せて、運転士と後部車掌の2人乗務が可能となった。各種改造は1927年までに行われ、乗務員数の削減が行われた。
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