1890年全米選手権 (テニス)
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1890年 全米選手権(1890ねんぜんべいせんしゅけん)に関する記事。
大会の流れ
- 本年度の実施競技は、男子シングルス・男子ダブルス・女子シングルス・女子ダブルスの4部門であった。混合ダブルスは、1892年から公式競技になった。
- 1881年から1967年まで、全米選手権は各部門が個別の名称を持ち、大会会場も別々のテニスクラブで開かれた。これが他の3つのテニス4大大会と大きく異なる点である。
- 男子シングルス 名称:全米シングルス選手権(U.S. National Singles Championship)/会場:ロードアイランド州、ニューポート・カジノ (最初の会場、1914年まで)
- 男子ダブルス 名称:全米ダブルス選手権(U.S. National Doubles Championship)/会場:ロードアイランド州、ニューポート・カジノ (最初の会場に戻る。1890年-1892年の3年間)
- 女子シングルス 名称:全米女子シングルス選手権(U.S. Women's National Singles Championship)/会場:ペンシルベニア州、フィラデルフィア・クリケット・クラブ
- 女子ダブルス 名称:全米女子ダブルス選手権(U.S. Women's National Doubles Championship)/会場:フィラデルフィア・クリケット・クラブ (女子シングルスと同じ)
- 男女シングルスでは、「チャレンジ・ラウンド」(Challenge Round, 挑戦者決定戦)と「オールカマーズ・ファイナル」(All-Comers Final)で優勝を決定した。男子シングルスでは第4回大会の1884年から実施されてきたが、女子シングルスは第2回競技の1888年から行われた。
- 大会前年度優勝者を除く選手は「チャレンジ・ラウンド」に出場し、前年度優勝者への挑戦権を争う。前年度優勝者は、無条件で「オールカマーズ・ファイナル」に出場できる。チャレンジ・ラウンドの勝者と前年度優勝者による「オールカマーズ・ファイナル」で、当年度の選手権優勝者を決定した。
- 競技ルールは、基本的にはウィンブルドン選手権に準拠して実施された。ただし、セットの決着についてはまだ競技ごとのばらつきがあった。
- 男子シングルスは1回戦から最大5セット・マッチで、一方が2ゲーム勝ち越すまでセットを続けた。(これを「アドバンテージ・セット」という。)女子シングルスでは、アドバンテージ・セットは「オールカマーズ・ファイナル」のみで実施され、チャレンジ・ラウンドは「6-5」のゲームカウントでセットを決めていた。
- 初期の全米選手権のように、外国人出場者が少なかった時期は、地元アメリカ人選手の国籍表示を省略する。
大会前年度優勝者
- 男子シングルス:ヘンリー・スローカム
- 男子ダブルス:ヘンリー・スローカム&ハワード・テーラー [スローカム、ダブルスに出場せず]
- 女子シングルス:バーサ・タウンゼント
- 女子ダブルス:バーサ・タウンゼント&マーガレット・バラード
男子シングルス
チャレンジラウンド
準々決勝
- クラレンス・ホバート vs. バレンティン・ホール 6-4, 6-3, 5-7, 3-6, 6-3
- パーシー・ナップ vs. チャールズ・チェイス 6-2, 6-8, 6-3, 6-3
- オリバー・キャンベル vs. ジョン・ライアソン 6-1, 7-5, 6-3
- ボブ・ハンティントン vs. ジョージ・リー 5-7, 6-1, 6-1, 6-1
準決勝
- パーシー・ナップ vs. クラレンス・ホバート 10-8, 7-5, 6-2
- オリバー・キャンベル vs. ボブ・ハンティントン 3-6, 6-2, 5-7, 6-2, 6-1
決勝
- オリバー・キャンベル vs. パーシー・ナップ 8-6, 0-6, 6-2, 6-3
オールカマーズ決勝
- オリバー・キャンベル vs. ヘンリー・スローカム 6-2, 4-6, 6-3, 6-1 (キャンベルが本大会の優勝者になる。当時19歳6ヶ月9日、1990年まで100年間最年少優勝記録)
女子シングルス
チャレンジラウンド
1回戦
- エレン・ルーズベルト vs. D・F・バッターフィールド 6-0, 6-0
マーベル・カーヒル vs. レベッカ・ライセット 6-1, 6-1
- リダ・ブーヒーズ vs. F・K・グレゴリー 6-1, 3-6, 6-1
- マーガレット・バラード vs. S・デイ 6-2, 6-1
準決勝
決勝
- エレン・ルーズベルト vs. リダ・ブーヒーズ 6-3, 6-1
オールカマーズ決勝
- エレン・ルーズベルト vs. バーサ・タウンゼント 6-2, 6-2 (E・ルーズベルトが本大会の優勝者になる)
決勝戦の結果
- 男子シングルス:オリバー・キャンベル vs. ヘンリー・スローカム 6-2, 4-6, 6-3, 6-1 [オールカマーズ決勝]
- 男子ダブルス:クラレンス・ホバート&バレンティン・ホール vs. ジョン・カーバー&ジョン・ライアソン 6-3, 4-6, 6-2, 2-6, 6-3
- 女子シングルス:エレン・ルーズベルト vs. バーサ・タウンゼント 6-2, 6-2 [オールカマーズ決勝]
- 女子ダブルス:エレン・ルーズベルト&グレース・ルーズベルト vs. バーサ・タウンゼント&マーガレット・バラード 6-1, 6-2
外部リンク
参考文献
- Roger M. Williams, “The U.S. Open: Game, Set, Unmatched”(全米オープン-ゲーム・セット・試合は続く) Time-Life Books, New York (1997) ISBN 0-7835-5260-2 各部門ごとの開催地について、本書の189ページを参照した。
- Bud Collins, “Total Tennis: The Ultimate Tennis Encyclopedia” Sport Classic Books, Toronto (2003 Ed.) ISBN 0-9731443-4-3
- Lance Tingay, “100 Years of Wimbledon”(ウィンブルドンの100年史) Guinness Superlatives Ltd., London (1977) ISBN 0-900424-71-0 初期のテニス競技ルールについて、本書の26ページを参照した。
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「1890 U.S. National Championships (tennis)」の例文・使い方・用例・文例
- 1890年代に
- この物語は 1890 年代のモスクワをまざまざと描いている.
- 彼の思い出は 1890 年代にさかのぼっている.
- 1890年代の原始的な映画
- 1890年代に人気があったフランスの芸術と建築の学校
- 1890年代のフランスのアールヌーヴォーに類似したオーストリアの芸術の流派
- C.D.ギブソンにより描かれるような1890年代の、理想化されるアメリカの女の子
- 米国の飛行士で、(リチャードE.バードと)北極の上空の最初の飛行を操縦した(1890年−1928年)
- 英国の探検家で、ジョン・スピークとともにタンガニーカ湖を探検した最初のヨーロッパ人(1821年−1890年)
- 米国の電気技術者で、初期のアナログコンピュータを設計し、第二次世界大戦中に米国の科学計画を指導した(1890年−1974年)
- チェコの作家で、英語へ『ロボット』という言葉を取り入れた(1890年−1938年)
- 多作の英国の探偵小説の作家(1890年−1976年)
- フランスの将軍、政治家で、亡命中の自由フランスレジスタンスの指導者として第二次世界大戦中に非常に人気があった(1890年−1970年)
- 英国の言語学者で、言語の意味論および韻律学の音韻論に寄与し、文脈における音と意味の両方の研究に対する強い主張で知られる(1890年−1960年)
- 作曲家の一世代に影響を与えたフランスの作曲家と教師(1822年−1890年)
- 米国の探検家で、アメリカ西部とノースウェストの大部分の地図を作った(1813年−1890年)
- 英国のピアニスト(1890年−1965年)
- チェコスロバキアの化学者で、ポーラログラフィーを開発した(1890年−1967年)
- ベトナムの共産主義の政治家で、第二次世界大戦で日本人と戦い、1954年までフランス人と、また1975年まで南ベトナムと戦った(1890年−1969年)
- 英国の地質学者で、大陸移動説の支持者(1890年−1965年)
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