1287年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/12 05:15 UTC 版)
千年紀: | 2千年紀 |
---|---|
世紀: | 12世紀 - 13世紀 - 14世紀 |
十年紀: | 1260年代 1270年代 1280年代 1290年代 1300年代 |
年: | 1284年 1285年 1286年 1287年 1288年 1289年 1290年 |
1287年(1287 ねん)は、西暦(ユリウス暦)による、平年。
他の紀年法
カレンダー
できごと
誕生
- 佐竹貞義、鎌倉時代、南北朝時代の武将、佐竹氏の第8代当主 (+ 1352年)
- 二条道平、鎌倉時代、南北朝時代の公卿 (+ 1335年)
- 李斉賢、高麗の政治家、儒学者、詩人 (+ 1367年)
- ロベール3世・ダルトワ、フランス王国の貴族 (+ 1342年)
死去
- 8月13日 (弘安10年6月26日) - 北条業時、鎌倉時代の武将、普恩寺流北条氏の租 (* 1241年/1242年)
- 8月16日 (弘安10年7月6日) - 良忠、鎌倉時代の浄土宗の僧 (* 1199年)
- 胡三省、南宋の政治家、歴史家 (* 1230年)
- ジェモミスウ、イノヴロツワフ公 (* 1245年?)
- ナラティーハパテ、パガン朝の第11代国王 (* 生年未詳)
- バルバン、インドの奴隷王朝第9代スルターン (* 生年未詳)
関連項目
1287年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:55 UTC 版)
「モンゴルのビルマ侵攻」の記事における「1287年」の解説
詳細は「パガンの戦い」を参照 ナラティーハパテ王はようやく元への屈服を決意したが、1287年に庶子の一人に毒殺されてしまう。その後をチョウスワー王が継いだが、実権はシャン人3兄弟に握られていた。このパガン国内の政治的混乱に目を付けた梁王エセン・テムルは、パガン領への侵攻を再開、同年に首都パガンは陥落し、実質パガン朝は滅亡した。元軍は傀儡政権を樹立、パガン朝は元の属国となった。
※この「1287年」の解説は、「モンゴルのビルマ侵攻」の解説の一部です。
「1287年」を含む「モンゴルのビルマ侵攻」の記事については、「モンゴルのビルマ侵攻」の概要を参照ください。
「1287年」の例文・使い方・用例・文例
- 1287年のページへのリンク