長崎県島原市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/12 05:21 UTC 版)
長崎県島原市には、明治時代には29基の石干見(スクイ)があったが、第二次世界大戦後に海苔の養殖場が潮間帯に多数造成されたために、そのほとんどが撤去された。現在、復元されたものを含めて、3基の石干見が残るのみである。1879年1月2日に、大三東にある1基の石干見に大量のボラが入り、ボラズッキイと呼ばれるようになった。このボラを供養するために、当該石干見の所有者により、石干見の岩石を土台とした鰡供養塔が建立された。
※この「長崎県島原市」の解説は、「石干見」の解説の一部です。
「長崎県島原市」を含む「石干見」の記事については、「石干見」の概要を参照ください。
- 長崎県島原市のページへのリンク