金田流の確立と流行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 22:23 UTC 版)
元来、金田のスタイルは日本のテレビアニメーションに要求されている限られた時間と予算といった制約の中で、いかに表現を膨らませるかという条件から生み出された苦肉の策でもあった。少ない枚数で動きを出すためのひとつの方策として動きの中割りを極端に省いたり、広角や魚眼のレンズで見たような視点といったアイデアを積み重ねて確立した。 そうして生み出された派手なアクションシーンに当時の若手アニメーターやまだ視聴者であり後にアニメーターになっていく層も感化され、言わば「金田フォロワー」とも呼ぶべき一群を1980年代に形成した。具体的には鍋島修、亀垣一、越智一裕、山下将仁、大張正己、摩砂雪、板野一郎、いのまたむつみらの名前が挙げられる。エフェクト作画で知られる橋本敬史も金田に憧れてアニメ業界入りしたという。 以上のような在京の「金田フォロワー」に対し、在阪の作画スタジオとして1980年代の作画シーンにおいて黄金期を形成していたアニメアールの中核メンバーである、毛利和昭、吉田徹、沖浦啓之、逢坂浩司らも金田作画から受けた影響と魅力を証言している。 またその影響はアニメのみならず漫画の世界にも波及し、金田流のパース表現を取り入れる漫画家も現れた。 アクション、ロボットアニメ等数多くの作品で彼はその力量を発揮した。また少女を主人公にした宇宙戦争漫画『BIRTH』を徳間書店の「リュウ」「ザ・モーションコミック」で描き、これは後に金田とそのフォロワー陣を中心とした作画スタッフによってOVAアニメ化もされた。この頃が商業的ピークであり、金田ブームと言っても良い現象が業界を席捲した。
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