脚気とは? わかりやすく解説

かっ‐け〔カク‐〕【脚気】

読み方:かっけ

ビタミンB1欠乏により起こる病気倦怠感(けんたいかん)・手足のしびれ・むくみなどから始まり末梢神経麻痺(まひ)や心臓衰弱呈する。かつて日本国民病とされた。《 夏》


脚気

読み方:カッケ(kakke)

ビタミンBの不足が原因で起こる栄養障害


脚気

読み方:カッケ(kakke)

栄養障害性の病気

別名 江戸煩い大坂腫れ


脚気

読み方:かっけ

  1. 非人乞食ノ徒-癩患者。〔第二類 人物風俗
  2. 乞食、癩患者を云ふ。
隠語大辞典は、明治以降の隠語解説文献や辞典、関係記事などをオリジナルのまま収録しているため、不適切な項目が含れていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ

脚気

読み方:カッケ(kakke)

ビタミンB〓@H171の欠乏によっておこる病気

季節

分類 人事


脚気

読み方:カッケ(kakke)

作者 田中冬二

初出 昭和9年

ジャンル


脚気

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/11 02:52 UTC 版)

脚気
脚気患者
概要
診療科 内分泌学, 神経学, 循環器学
分類および外部参照情報
ICD-10 E51.1
ICD-9-CM 265.0
DiseasesDB 14107
MedlinePlus 000339
eMedicine ped/229 med/221
Patient UK 脚気
MeSH D001602

脚気(かっけ、英語: beriberi)とは、ビタミン欠乏症の1つであり、重度で慢性的なビタミンB1(チアミン)の欠乏により、心不全末梢神経障害をきたす疾患である[1]。軽度の場合は、チアミン欠乏症と呼ばれる[1]

概要

心不全によって脚の浮腫が起き、神経障害によって脚のしびれが起きるため、脚気と呼ばれる。心臓機能の低下・不全(衝心、しょうしん[2])を併発した場合は、脚気衝心と呼ばれる。最悪の場合には死亡に至る。

診断は、症状、尿中のチアミンの排泄量低下、高血中乳酸、および指導治療による改善に基づく[3]

脚気のリスク因子には、白米中心の食生活アルコール依存症人工透析、慢性的な下痢利尿剤の多量投与などが挙げられる[1][4]。ただし、稀に遺伝的要因として、食物中チアミンの吸収困難が問題になり得る[1]

なお、乾性脚気により、ウェルニッケ脳症コルサコフ症候群が引き起こされ得る[4]

症状

本症は多発神経炎浮腫(むくみ)、心不全脚気心、脚気衝心)の3つを典型的な特徴とする[5]

乾性脚気

多発神経炎を主体とし、表在知覚神経障害からしびれ、腱反射低下などを来たす。またウェルニッケ脳症、コルサコフ症候群も、乾性脚気に分類される[6]

湿性脚気

末梢の動脈は拡張し、血管抵抗の低下から高拍出性心不全を呈して浮腫が起こる[7][信頼性要検証][5]

検査

膝蓋腱を弛緩させた状態で叩くと、大腿四頭筋が収縮し膝関節が伸展する膝蓋腱反射は、末梢神経障害の有無を見る。

なお、膝蓋腱反射を確認する検査は、日本で脚気の多発していた1960年代頃までは、日本における健康診断の必須項目であった。

疫学

世界的な視野で観るならば、脚気は21世紀においても、監獄において頻発する疾患である。

例えば、1999年には、中華民国の拘置所において脚気が流行した[8]。2007年には、過密収容であったハイチ刑務所で脚気患者が多数発生した。要因は、調理前に米を研ぐという伝統的な慣習であった。精米で失われるビタミンB1を強化した白米を使用していたが、研ぐことによりビタミンB1が失われていた[9]。2011年の報告によれば、コートジボワールにおいては、重度級の囚人達は、その64%が脚気だった[10]

日本における歴史

日本で脚気が起こり始まるようになったかは定かではないが、すでに『日本書紀』に脚気の症状に関する記述が見られる。平安時代には、天皇公卿を中心に白米食が広がり、脚気が発生した。江戸時代元禄年間には、江戸において一般の武士や町人にも白米食が普及して脚気が流行し、享保年間には大阪京都にも広がり、天保以後は地方都市でも流行した。

明治に入ってからも、脚気の流行が続いた。1870年から翌年にかけて脚気が多発しだし、特に陸海軍での脚気発症率は特に高かった。海軍は兵食改革を実施して脚気を撲滅した。陸軍でも白米食の代わりに麦飯に変更することで対策を施したが、戦時食は白米を維持したため、戦時には脚気惨害を招いた。

1923年には脚気死亡者数のピークに達し約2万7千人となった。1925年に脚気の原因がビタミンB不足と確定したものの、脚気は抑制されなかった。1937年に勃発した日中戦争の前まで、脚気死亡者数は年間1万人から2万人で推移した。しかし、日中戦争が始まると食糧用の米が不足したために、脚気死亡者数は6千人台まで減った。

第二次世界大戦後は、栄養改善政策による栄養状態の改善や保健薬としてのビタミン剤の普及などにより、死者数が減少していき、1956年に1000人を下回り957人、1965年に100人を下回り92人、1970年には20人と特殊希少疾患以下になり、脚気は消滅状態になった。

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b c d Beriberi” (英語). Genetic and Rare Diseases Information Center (GARD) - an NCATS Program (2015年). 11 November 2017時点のオリジナルよりアーカイブ11 November 2017閲覧。
  2. ^ 衝心 (精選版 日本国語大辞典デジタル大辞泉)”. コトバンク. 2021年9月8日閲覧。
  3. ^ Swaiman, Kenneth F.; Ashwal, Stephen; Ferriero, Donna M.; Schor, Nina F.; Finkel, Richard S.; Gropman, Andrea L.; Pearl, Phillip L.; Shevell, Michael (2017) (英語). Swaiman's Pediatric Neurology E-Book: Principles and Practice. Elsevier Health Sciences. p. e929. ISBN 9780323374811. オリジナルの2017-11-11時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20171111204954/https://books.google.ca/books?id=PJ9tDgAAQBAJ&pg=SL5-PA929 
  4. ^ a b Nutrition and Growth Guidelines | Domestic Guidelines - Immigrant and Refugee Health” (英語). CDC (March 2012). 11 November 2017時点のオリジナルよりアーカイブ11 November 2017閲覧。
  5. ^ a b Johnson 2014.
  6. ^ Johnson, Larry E. (2014年). “チアミン(ビタミンB1、サイアミン)〈09-栄養障害/ビタミン欠乏症,依存症,および中毒〉”. MSDマニュアルプロフェッショナル版. 2019年4月28日閲覧。
  7. ^ その他(Miscellaneous)シリーズ3 【症例 ME 15】 徳洲会グループ
  8. ^ “Outbreak of beriberi among illegal mainland Chinese immigrants at a detention center in Taiwan”. Public Health Rep 118 (1): 59-64. (2003). doi:10.1093/phr/118.1.59. PMC 1497506. PMID 12604765. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1497506/. 
  9. ^ Sprague, Jeb; Alexandra, Eunida (17 January 2007). “Haiti: Mysterious Prison Ailment Traced to U.S. Rice”. Inter Press Service. オリジナルの30 May 2013時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130530034501/http://www.ipsnews.net/2007/01/haiti-mysterious-prison-ailment-traced-to-us-rice/ 
  10. ^ Aké-Tano, O.; Konan, E. Y.; Tetchi, E. O.; Ekou, F. K.; Ekra, D.; Coulibaly, A.; Dagnan, N. S. (2011). “Le béribéri, maladie nutritionnelle récurrente en milieu carcéral en Côte-d'Ivoire”. Bulletin de la Société de Pathologie Exotique 104 (5): 347-351. doi:10.1007/s13149-011-0136-6. PMID 21336653. 

関連項目

外部リンク


脚気

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 02:27 UTC 版)

都築甚之助」の記事における「脚気」の解説

詳細は「日本の脚気史」を参照 日露戦争開戦後都築1904年明治37年11月大里検疫所課長翌年4月広島市沖にある似島検疫所任じられた。当時広島予備病院内に脚気病調査委員会設けられ軍医学校生徒時代教官であった岡田国太郎委員長就任し小久保恵作院長勤め予備病院第三分院戦地帰還脚気患者収容し脚気精密検査開始した翌年『脚気病調査第一回略報』(東京医事新誌1428)にて3月岡田小久保両軍医より脚気の病原菌発見したことが発表され都築同年12月別に脚気病原菌発見発表した。ただ、夫々全て異なっていたことから岡田都築は脚気発見取り消すに及んだ日露戦争終戦後陸軍医務局における日露戦争公式記録明治三十七八年戦役陸軍衛生史』編纂委員命じられ1908年明治41年6月陸軍臨時脚気病調査会設営されると第一調査班(細菌委員北里柴三郎北島多一柴山五郎作宮本叔等と共に任命され同年8月芝山宮本委員と共にバタヴィア出張し同地での脚気の状況調査し12月帰国翌年2月脚気病調査会にて報告行ったバタヴィアからの帰国柴山宮本の両委員は引きつづき伝染病説を維持するが、都築細菌説棄て栄養欠乏説へと大転換し、動物脚気の発生実験エイクマン追試)を行い糠の有効成分研究抽出と効否試験)を行っていることを、1910年明治43年3月調査会4月日本医学会公表した同年12月都築は脚気病調査会委員免じられたが、翌年1月に『都築脚気研究所』を立ち上げ独自に研究続け同年4月には東京医学総会で「脚気ノ動物試験第二回報告」を発表し、糠の有効成分(アンチベリベリン原液)を抽出成功し、アンチベリベリンを用い人への脚気治療試験をした結果大い効果得たことを発表した1910年明治43年6月陸軍軍医学校教官任じられ1912年明治45年陸軍一等軍医正大佐相当)に昇任同年12月再びドイツへ留学命じられハイデルベルク大学コッセル博士師事し医化学修め1912年大正元年9月帰国した帰国後はアンチベリベリン製造販売について日本・ドイツ・アメリカ・イギリス・フランス5カ国の特許を得、1915年大正4年3月東京博覧会学術会場においてアンチベリベリンの脚気に対す有効性明らかに一般大衆認知を得るにいたった。(都築陸軍軍医として休職予備役編入年等未詳

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「脚気」を含む「都築甚之助」の記事については、「都築甚之助」の概要を参照ください。

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