肥前国とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > 肥前国の意味・解説 

ひぜん‐の‐くに【肥前国】

読み方:ひぜんのくに

肥前


肥前国

読み方:ヒゼンノクニ(hizennokuni)

旧国名現在の壱岐・対馬をのぞく佐賀長崎県

別名 火国肥国


肥前国

肥前国では佐賀藩鍋島家殖産興業に力注ぎ日本刀生産活況呈し同時に鍔の製作も盛んであった。特に藩命により京の埋忠明寿の門に学んだ初代忠吉五字忠吉称され肥前刀の名声を高らしめる名刀数多く鍛造し、また自らも鍔を製作した一方鎖国政策下で唯一海外との門戸となった長崎では「南蛮鍔」と称す独特な意匠の鍔が流行し、他には「若芝」(ジャクシ)、「矢上」(ヤガミ)、「平戸」などの各派知られている。
関連用語 : 千匹猿透図鐔 

肥前国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/07 16:56 UTC 版)

肥前国

-肥前国
-西海道
別称 肥州(ひしゅう)[注釈 1]
所属 西海道
相当領域 佐賀県長崎県対馬市壱岐市除く)
諸元
国力 上国
距離 遠国
11郡44郷
国内主要施設
肥前国府 佐賀県佐賀市大和町肥前国庁跡
肥前国分寺 佐賀県佐賀市大和町
肥前国分尼寺 佐賀県佐賀市大和町
一宮 與止日女神社(佐賀県佐賀市大和町)
千栗八幡宮(佐賀県三養基郡みやき町
テンプレートを表示

肥前国(ひぜんのくに、 旧字体肥前󠄁國)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。
西海道に属し、現在の佐賀県長崎県(壱岐・対馬を除く)にあたる。

沿革

国絵図 慶長・正保・元禄・天保

のくに)、後ののくに)の分割によって7世紀末までに成立した。肥後国が『続日本紀』に初めて見える持統天皇10年(696年)までのどの時点かに、肥前国(ひのみちのくち)と肥後国(ひのみちのしり)との分割があったと推定される。 以後、奈良・平安時代は肥前国と呼ばれた。平安時代の班田制による生産量から、佐賀県部分で7万人以上いたと推定される。

肥前国風土記」によると、見通しの良い山丘に外敵の来襲を通報するための烽が計20か所、高来郡(長崎県)5つ、藤津郡(太良町大浦)1つ、小城郡(多久市と江北町の間の両子山)1つ、神埼郡(日の隈山)1つ、養父郡(鳥栖市朝日山)1つなど設けられ、城が基肄城三養基郡基山町基山)に1か所設けられた。白村江の戦い新羅の連合軍に大打撃を被り、わが国と百済との連合軍は陸戦でも惨敗を喫した。百済が完全に滅び新羅と唐の来襲の危機に直面し、翌664年に防人と烽を対馬と壱岐に置き、筑前に水城を築き、665年に筑前に大野城、肥前に基肄城と南北相対して大宰府都城防衛のため古代山城が築かれた。

肥前国の官道西海道は、大宰府から基肄駅(基山町木山口)- 切山駅(中原町)- 佐嘉駅(肥前国府付近・大和町尼寺)- 高来駅(多久市)へ至り、杵島郡松浦郡への二つに分かれていた。肥前国には鹿嶋馬牧(鹿島市)・庇羅馬牧(平戸島)・生属馬牧(生月島)・柏島馬牧(唐津市神集島)・極(=扌遷)野牧(島原半島)・早崎牛牧(島原半島南端)の六ケ所の官牧があり、西海道の諸国は駅馬・兵馬、牛は運搬として大宰府へ送っていた。[1]

肥前国風土記』は、全国で5つだけの、ほぼ完全な形で残る風土記の1つである。

中世には鎌倉幕府鎮西奉行少弐氏室町幕府九州探題渋川氏が争う。両氏とも本来は筑前国にあった大宰府を拠点としてきたが、大内氏大友氏の侵入によって肥前に没落した存在であった。この他にも千葉氏松浦氏大村氏有馬氏などの中小の武士が割拠しており、龍造寺氏戦国大名化するまで、国内の大半を支配する有力武家は現れなかった。

戦国時代ポルトガルスペインの宣教師が相次いで来訪してからは、西洋の窓口となり、天正少年使節団を出すなどした。

近世以降の沿革

国内の施設

国府

国府は、『色葉字類抄』によると、佐嘉郡にあり現在の佐賀県佐賀市大和町惣座(久池井)にあった。 大化の改新によって国府が置かれるようになり、肥前国国府は大和町久池井に置かれた。行政・防衛の中心地として重要な地点を占めた。国府の長である国司の中には、遣唐使中有名人の一人である吉備真備や、大江山の酒天童子退治で「平安時代の快男子」とうたわれた源頼光もこの地に住んでいた。

8世紀前半に造営され、そのまま移転せずに規模を変化させているが、10世紀に入ると急速に縮小していく。1975年昭和50年)から1984年昭和59年)までの発掘で政庁などの遺跡が発見された。1989年、国の史跡に肥前国庁跡が指定された。

内陸にある国府に通じる国府津(外港)が、現在の佐賀市諸富町大津にあったと推定される。現在、惣座の国庁跡は嘉瀬川沿い、大津は筑後川沿いにあって直接通じていないが、古代は嘉瀬川(『肥前国風土記』等記載の佐嘉川に比定)の流路が異なり両地点が舟運で結ばれていた可能性がある[2]

易林本の『節用集』では、「小城郡に府」と記載がある。なお、昭和10年頃の地図などによると、かつては現在の大和町の一部(都府楼、惣座、尼寺辺りまで)も小城郡としていたという記録もある。[3]

国分寺・国分尼寺

肥前国分寺跡
佐賀県佐賀市大和町大字久池井。

神社

延喜式内社
延喜式神名帳』には、以下に示す大社1座1社・小社3座3社の計4座4社が記載されている(「肥前国の式内社一覧」参照)。大社1社は名神大社である。
総社一宮

最も社格が高いのは田島坐神社であるが、一宮にはなっていない。一宮は中世以降、上記の2社が一宮を主張し並立した。二宮以下は不詳であるが、天山社・天山神社が三宮とされることがある。

安国寺利生塔

地域

※ 矢印→の右側は近代(1896年明治29年))以降の郡名及び市名。

  • 基肄郡(きい)→三根郡、養父郡と合わさり、佐賀県三養基郡
    • 姫社郷
    • 山田郷
    • 基肄郷
    • 川上郷
    • 長谷郷
  • 養父郡(やふ)→三根郡、基肄郡と合わさり、佐賀県三養基郡へ・郡から除外された市部は鳥栖市
    • 狭山郷
    • 屋田郷
    • 養父郷
    • 鳥栖郷
  • 三根郡(みね)→養父郡、基肄郡と合わさり、佐賀県三養基郡へ
    • 千栗郷
    • 物部郷
    • 米多郷
    • 財部郷
    • 葛木郷
  • 神埼郡(かむさき)→佐賀県神埼郡へ・郡から除外された市部は神埼市
    • 蒲田郷
    • 三根郷
    • 神崎郷
    • 宮所郷
  • 佐賀郡(さか)→佐賀県佐賀郡へ・全域が郡から除外され佐賀市
    • 城埼郷
    • 巨勢郷
    • 深溝郷
    • 小津郷
    • 山田郷
  • 小城郡(をき)→佐賀県小城郡へ・全域が郡から除外され佐賀県小城市および多久市
    • 川上郷
    • 甕調郷
    • 高来郷
    • 伴部郷
  • 松浦郡(まつら)→分割により佐賀県西松浦郡および東松浦郡、長崎県北松浦郡および南松浦郡へ・郡から除外された市部は佐賀県唐津市伊万里市、長崎県松浦市平戸市佐世保市の相浦・中里・皆瀬・大野・柚木・黒島・吉井・世知原・小佐々・宇久・鹿町・江迎の各地区および五島市
    • 庇羅郷
    • 大沼郷
    • 値嘉郷
    • 生佐郷
    • 久利郷
  • 杵島郡(きしま)→佐賀県杵島郡へ・郡から除外された市部は武雄市
    • 多駄郷
    • 杵島郷
    • 能伊郷
    • 島見郷
  • 藤津郡(ふしつ)→佐賀県藤津郡へ・郡から除外された市部は鹿島市および嬉野市
    • 鹽田郷
    • 能美郷
  • 彼杵郡(そのき)→分割により長崎県西彼杵郡および東彼杵郡へ・郡から除外された市部は長崎市佐世保市の本庁地区管内・日宇・三川内・早岐・広田・宮・江上・針尾の各地区、諫早市の多良見地区、西海市
    • 大村郷
    • 彼杵郷
  • 高来郡(たかく)→分割により長崎県北高来郡および南高来郡へ・全域が郡から除外され、諫早市島原市雲仙市南島原市長崎市の旧西彼杵郡東長崎町に含まれる古賀・戸石地区へ
    • 山田郷
    • 新居郷
    • 神代郷
    • 野島郷

中世荘園公領

  • 旧基肄郡
    • 公領
      • 基肄郡
    • 荘園
      • 姫方荘
      • 神邊荘
      • 小倉荘
  • 旧養父郡
    • 公領
      • 養父郡
      • 苽生野保
      • 義得保
    • 荘園
      • 養父荘
      • 鳥栖荘
      • 幸津荘
      • 幸津新荘
      • 中津隈荘
      • 村田荘
  • 旧三根郡
    • 公領
      • 三根郡
      • 矢俣保
    • 荘園
      • 米多荘
      • 織部荘
      • 下毛御薗
  • 旧神埼郡
    • 公領
      • 神埼郡
      • 宮人保
    • 荘園
      • 神埼荘
      • 三津荘
      • 石動荘
  • 旧佐賀郡
    • 公領
      • 佐賀郡
      • 防所保
    • 荘園
      • 巨勢荘
      • 佐賀荘
      • 鹿瀨荘
      • 牛島荘
      • 蠣久荘
      • 河副南荘
      • 河副北荘
      • 興賀荘
  • 旧小城郡
    • 公領
      • 小城郡
      • 晴氣保
    • 荘園
      • 大楊荘
      • 赤目荘
      • 曾禰崎荘
  • 旧松浦郡
    • 公領
      • 松浦郡
    • 荘園
      • 松浦荘
      • 見留加志荘
      • 草野荘
      • 大野荘
      • 御廚荘
      • 鏡荘
      • 宇野御廚
      • 庇羅牧
      • 生属牧
      • 柏島牧
  • 旧杵島郡
    • 公領
      • 杵島郡
      • 赤俣院
    • 荘園
      • 太田荘
      • 杵島荘
      • 長島荘
      • 大町荘
      • 墓崎荘
  • 旧藤津郡
    • 公領
      • 藤津郡
    • 荘園
      • 藤津荘 - 仁和寺成就院領
      • 奈良田荘
      • 鹿島牧
  • 旧彼杵郡
    • 公領
      • 彼杵郡
    • 荘園
  • 旧高来郡
    • 公領
      • 高来西郷(たかくさいごう)
      • 高来東郷(たかくとうごう)
    • 荘園
  • その他
    • 荘園
      • 島崎荘
      • 進荘
      • 山鹿荘
      • 藤織荘
      • 倉上荘
      • 荒木田荘
      • 安富荘

江戸時代の藩

人物

国司

守護

鎌倉幕府

室町幕府

戦国時代

戦国大名

豊臣政権の大名

武家官位としての肥前守

肥前国の合戦

脚注

注釈

  1. ^ 別称「肥州」は、肥後国とあわせて、または単独での呼称。

出典

  1. ^ 古代官道・西海道肥前路
  2. ^ 『佐賀県史』<上>、pp.35-37.
  3. ^ 佐賀県管内図

参考文献

関連項目


肥前国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 10:19 UTC 版)

横岳頼房」の記事における「肥前国」の解説

少弐氏一族 宗氏 - 対馬守護の宗氏同族出雲氏 - 三根郡千栗八幡宮宮司筑紫氏 - 基肄郡勝尾城城主朝日氏 - 養父郡朝日山城城主馬場資幸(馬場氏) - 戦国期馬場頼周曽祖父神埼郡江上常種(江上氏) - 大蔵氏一族勢福寺城城主以後少弐氏家臣姉川友安姉川氏) - 菊池氏一族姉川城城主以後少弐氏家臣佐嘉郡 - 少弐氏佐嘉郡与賀荘の地頭で、古くからの家臣が多い。高木胤秋 (高木氏) - 高木氏南北朝の頃まで河上社の大宮司世襲して栄えた龍造寺家季 (龍造寺氏) - 高木氏一族。 於保宗親於保氏) - 高木氏一族小田貞光小田氏) - 下り衆。肥前小田氏蓮池城城主。この時期少弐氏家臣小城郡千葉胤鎮 (千葉氏) - 下り衆。小城千葉氏。肥前国最大勢力

※この「肥前国」の解説は、「横岳頼房」の解説の一部です。
「肥前国」を含む「横岳頼房」の記事については、「横岳頼房」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「肥前国」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ

肥前国

出典:『Wiktionary』 (2021/08/11 10:12 UTC 版)

固有名詞

ひぜんのくに

  1. 日本旧国令制国)のひとつ。東部佐賀県に、西部長崎県になった


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「肥前国」の関連用語

肥前国のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



肥前国のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
銀座長州屋銀座長州屋
Copyright (c)1998-2025 Ginza Choshuya Co.Ltd. All rights reserved
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの肥前国 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの横岳頼房 (改訂履歴)、山代氏 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike (CC-BY-SA) and/or GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblioに掲載されている「Wiktionary日本語版(日本語カテゴリ)」の記事は、Wiktionaryの肥前国 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、Creative Commons Attribution-ShareAlike (CC-BY-SA)もしくはGNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS