終南浄寿とは? わかりやすく解説

終南浄寿

読み方しゅうなん じょうじゅ

江戸中期黄檗宗の僧。伊勢松阪生。小島息安の次男、兄は書家伊藤岡。俗姓小島法諱は浄寿、道号天年別号に介石・終南山人。南嶺元勲の法を嗣ぐ。のち洛東神光院万福寺聖林院などの住持となる。また洛東岡崎に介石庵を構えて文人らと交わった。詩・篆刻能くした。明和元年(1764)寂、54才。

終南浄寿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/28 17:24 UTC 版)

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終南浄寿
1710年 - 1767年
生地 伊勢松阪
宗派 臨済宗黄檗派
寺院 甘南備寺、洛北神光院萬福寺聖林院
南嶺元勲

終南 浄寿(しゅうなん じょうじゅ、 宝永7年(1710年) – 明和4年 8月22日1767年))は、江戸時代中期の黄檗宗僧侶書家篆刻家である。

俗称は小島氏。法諱は浄寿、を天年、終南は法号で、他に介石と号した。 伊勢松阪の人。

略伝

小島息安の次男として生まれる。伊藤華岡の実弟で、この兄より書法を受けた。わずか9歳にて山代甘南備寺で得度し、享保14年(1729年)に南嶺元勲の法嗣となる。のちに洛北神光院萬福寺聖林院の住持となる。悟心元明とは親友でともに江戸に遊学し、に通じ書名を馳せた。洛東岡崎では介石庵を結び大典顕常・大潮元晧・木村蒹葭堂高芙蓉文人と交わった。

享年57。萬福寺万松崗に墓所がある。

印譜『巽斎捐因』や『終南悟心印譜』にその刻印が掲載されている。

参考文献




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