清川虹子とは? わかりやすく解説

清川虹子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/28 07:14 UTC 版)

きよかわ にじこ
清川 虹子
1940年撮影
本名 関口 はな
生年月日 (1912-11-24) 1912年11月24日
没年月日 (2002-05-24) 2002年5月24日(89歳没)
出生地 日本千葉県東葛飾郡松戸町(現:松戸市
死没地 日本神奈川県川崎市高津区
職業 女優
ジャンル 舞台・テレビドラマ・映画
配偶者 中条金之助(1929年 ‐ ?)
大沢清治(1942年 ‐ 1947年)
伴淳三郎(1949年 ‐ 1959年)
主な作品
テレビドラマ
北条時宗
映画
『母情』
『女侠一代』
女親分 喧嘩渡世

アテレコ
平成狸合戦ぽんぽこ
バラエティー番組など
ライオンのいただきます
受賞
勲四等瑞宝章(1990年)
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清川 虹子(きよかわ にじこ、1912年大正元年〉11月24日 - 2002年平成14年〉5月24日)は、日本の女優。本名:関口 はな[1]千葉県東葛飾郡松戸町(現:松戸市)出身[2]。淡路尋常小學校卒業、神田高等女學校中退。

人物・略歴

1924年東京府東京市神田区の尋常小學校を卒業。神田高等女學校を中退。1928年川上貞奴主宰の児童劇団へ入団し[1]貞奴最後の弟子となる[3]1929年、市民座へ入り、座員の中条金之助と結婚(1男を儲けるが、のちに離婚)。同年、山村聡主宰の新劇へ移籍。1933年笑の王国に参加[1]1934年東宝製作の『只野凡児・人生勉強』でスクリーンデビュー。1942年、東宝社長の大沢善夫の弟である大沢清治と結婚して芸能界を引退したが、1947年に夫と死別。

その後、芸能界に復帰し、『サザエさん』シリーズに磯野フネ(舟)役でレギュラー出演した。1949年新東宝などの喜劇作品で多数共演した伴淳三郎と結婚したが[1]、伴のあまりの女癖の悪さが原因で1959年に離婚(但し、交流は伴の死まで続いた)。1960年代後半からは藤純子主演の『緋牡丹博徒シリーズ』、若山富三郎主演の『極道シリーズ』などに助演し、東映の仁侠映画を支えた。1983年、『楢山節考』に出演し[4]、70歳にして初ヌードを披露した[4]榎本健一や伴らと並ぶ喜劇役者として大成し、喜劇女優の代表格とされた。

1987年芸団協芸能功労者として表彰。

1989年友部達夫年金党に参加。第15回参議院議員通常選挙比例代表に出馬したものの落選(選挙運動での桃太郎のコスプレが話題となったほか、オレンジ共済組合事件発覚時は「騙された!」と号泣していた)。1990年勲四等瑞宝章を受章[4][5]

1998年頃から体調を崩して入退院を繰り返していた。2002年5月24日午前3時37分、肺出血のため神奈川県川崎市高津区の病院で死去[4]。満89歳没(享年91)。

サザエさん』シリーズで共演していた歌手・女優の江利チエミとは公私にわたり親交があり、芸能界デビュー前に実母を亡くしていたチエミからは「お母さん」と呼ばれて実母のように慕われていた。だが、1982年2月にチエミが45歳の若さで急病死し、清川は大きなショックを受けたようで「チーちゃん(チエミの愛称)、ウソでしょう…」と泣き崩れていた。

一般社団法人映像コンテンツ権利処理機構においては不明権利者とされている[6]

栄典

主な出演作品

映画

テレビドラマ

バラエティー

他多数

CM

舞台

著書

  • 『恋して泣いて 芝居して』(主婦の友社、1983年)
  • 『みんな寂しいの だから笑って』(佼成出版社「ダルマブックス」、1987年)
  • 『清川虹子の愛と涙の交遊録』(廣済堂出版、1988年)
  • 『役者馬鹿 女の一笑』(婦人画報社「女の自叙伝」、1988年)
  • 『みんな死んじゃった』(双葉社、1999年)、口述回想

レコード

  • 運ちゃんのサバドビア(中沢信一[10]とデュエット。1970年)

脚注

  1. ^ a b c d 清川虹子 日本に数少ない個性派コメディエンヌ、波乱に満ちた人生と共に逝く | 時事用語事典”. 情報・知識&オピニオン imidas. 集英社. 2024年1月28日閲覧。
  2. ^ 喜劇女優、清川虹子さん死去”. ZAKZAK. 2010年5月11日閲覧。(松本町は松戸町の誤植)。
  3. ^ 清川虹子|人物”. NHKアーカイブス. NHK. 2024年1月28日閲覧。
  4. ^ a b c d 70歳の清川虹子が映画「楢山節考」で初ヌード披露|プレイバック芸能スキャンダル史”. 日刊ゲンダイDIGITAL (2013年7月31日). 2024年1月28日閲覧。
  5. ^ a b 「秋の叙勲 「道一筋」輝く 落語の春風亭柳昇師匠と女優の清川虹子さん」『読売新聞』1990年11月3日朝刊
  6. ^ 一般社団法人映像コンテンツ権利処理機構 放送番組に出演された清川虹子様をさがしています
  7. ^ 東宝特撮映画全史 1983, pp. 535–537, 「主要特撮作品配役リスト」
  8. ^ ミナコ逃げるな 国立映画アーカイブ
  9. ^ 『芸能』9月号、芸能発行所、1978年9月、60頁。 
  10. ^ 鈴木邦彦とハワイアンバンドを組んでいた経歴を持つ現役タクシー運転手(当時)

参考文献

外部リンク


清川 虹子(きよかわ にじこ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 09:06 UTC 版)

遅咲きじじい」の記事における「清川 虹子(きよかわ にじこ)」の解説

歌手菊川きよしの追っかけをしていたが、あるきっかけから散太郎つきまとううになる。実は散太郎好き。73歳アパートの大家やっているモデル氷川きよし大ファンだという小林母親

※この「清川 虹子(きよかわ にじこ)」の解説は、「遅咲きじじい」の解説の一部です。
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