海野十三(うんの・じゅうぞう)
本名佐野昌一。1897年(明30)、徳島生まれ。早稲田大学理工学部卒。大学時代に「野球界」に漫画漫文を執筆していたことがある。
ペンネームは麻雀の名人だった氏が後輩から麻雀で運と実力の比率を問われたとき、「運の十さ」と答えたことに由来する。本名でも執筆。別名京人生。逓信省電気試験所勤務。小栗虫太郎が近所に住んでいた。
1927年(昭2)に執筆し、1928年(昭3)、栗戸利休名義で「無線と実験」に掲載された「壊れたバリコン」が事実上の処女作。ただし、この作品は「科学画報」の懸賞科学小説の選外佳作となった「謎の短波無線局」を改題したもの。しかし、「しゃっくりする蝙蝠」が処女作だという説もある。
探偵小説としては、延原謙の紹介で、1928年(昭3)、「電気風呂の怪死事件」を「新青年」に掲載。しかし、この作品は「新青年」編集部の本郷春台郎が書き直したものだと伝えられる。また、この作品は探偵趣味の会の「創作探偵小説集 第四号(1928年版)」に収録される。
1931年(昭6)、「新青年」にて六ヶ月連続短編を連載。
本格探偵小説偏重の風潮を否定し、通俗スリラーや1931年(昭6)に「新青年」に掲載された「振動魔」や、「火星兵団」(1941年(昭16))などのジュブナイルSFのように、H・G・ウェルズに影響を受けたSF的傾向のある作品が多い。トリックがあるSFミステリーでも、トリックが現実的な次元を突き破って、想像を絶するものに飛躍している。
1932年(昭7)、「爬虫館事件」を「新青年」に発表。
1934年(昭9)、「人間灰」を「新青年」に発表。
1934年(昭9)、南沢十七とともに、科学知識普及評議会で知り合った木々高太郎に小説の執筆を勧める。
1935年(昭10)、「三人の双生児」を「新青年」に発表。
1936年(昭11)、「深夜の市長」を「新青年」に発表。
1937年(昭12)、「蝿男」を「講談雑誌」に発表。
1937年(昭12)、小栗虫太郎、木々高太郎との共同編集で「シュピオ」を創刊。
ほかに丘丘十郎の別名のスパイ小説「見えざる敵」(新青年)がある。
海軍関係の作家団体「くろがね会」の世話役をしていた関係で、戦時中の1942年(昭17)には海軍報道班員を勤め、軍部に対して協力をする一方、内務省情報局の探偵作家弾圧を和らげようとはかった。戦後は自殺を考えるが思いとどまり、戦争犯罪人として追放された。
1947年(昭22)、角田喜久雄との共同筆名である青鷺幽鬼名義で「能面殺人事件」を「ぷろふいる」に発表。
1947年(昭22)に「新選探偵小説十二人集」に発表した「雨夜の事件」が、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1948年版」に収録される。
1948年(昭23)に発表した「夜毎の恐怖」が、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1949年版」に収録される。
「科学恐怖の夢」を描き、SFの先駆者である。生まれ故郷徳島に碑が立てられている。
1949年(昭24)、結核のため死去。
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