楡林から門司まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/07 15:38 UTC 版)
三亜近くの楡林港で再編成を行った船団は、低速の1TM型戦時標準タンカー新潮丸を分離することにし、2個分団編制で16日夜に出航した。低速の第2分団は、天候悪化もあってたちまち引き離された。第2分団は、21日午前2時頃に高雄西方80kmまでたどり着いたもののアメリカ陸軍航空軍所属のB-24爆撃機の夜間空襲を受け、新潮丸が被弾した。航行不能に陥った新潮丸は近在のヒ74船団から救助に駆け付けた第21号海防艦に曳航され、高雄へと入港した。 一方、先行した第1分団も無事では済まなかった。第2分団より約1日前の20日午前1時頃に澎湖諸島南55km付近においてやはりB-24爆撃機の夜間空襲に捕まり、元特設巡洋艦の海軍運送船浅香丸、護国丸が直撃弾や至近弾を浴びて航行不能、元特設水上機母艦の香久丸も損傷した。護衛部隊でも海防艦御蔵が直撃弾1発(不発)・至近弾3発を受けて中破、航行不能となっている。航行不能となった輸送船2隻は、馬公方面特別根拠地隊の支援を受けつつ、馬公まで曳航された。御蔵は3日間も消息不明となって漂流を続けた後、ようやく友軍航空機に発見されて25日に馬公へ曳航されている。 ぼろぼろとなった第1分団は基隆で態勢を立て直し、唯一無傷の吉備津丸と高雄で応急修理をした香久丸を揃えて25日に海防艦3隻の護衛で出港した。しかし27日に今度はアメリカの潜水艦プライスから襲われ、第10号海防艦がプライスの魚雷攻撃で撃沈された。残存船は船団を解いて全速航行に移り、翌28日以降に各個に門司へ滑り込むことができた。
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