森岡信元とは? わかりやすく解説

森岡信元

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/14 08:14 UTC 版)

 
森岡 信元
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 天文15年(1546年
死没 慶長5年5月7日1600年6月17日
別名 金吾、十郎左衛門
主君 津軽為信
氏族 称・藤原氏津軽氏支流森岡氏
父母 森岡信治
信年
テンプレートを表示

森岡 信元(もりおか のぶもと)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将津軽氏の家臣。

生涯

天文15年(1546年)、大浦氏(後の津軽氏)の家臣・森岡信治の子として誕生。森岡氏大浦盛信の子・森岡為治を祖とする津軽氏の庶流であるとされる。

父・信治は大浦為則の後見役にあたり、父の跡を継いで為則の婿養子・大浦為信(津軽為信)に仕えた。

元亀2年(1571年5月5日、為信によって石川城和徳城が落城すると和徳城主となった。天正3年(1575年)の大光寺城攻めでは泥に馬の足を取られた為信の窮地を救い、天正7年(1579年)の茶臼館戦でも夜襲をかけて敵勢を壊走させるなど、為信の戦国大名としての独立に大いに貢献し、兼平綱則小笠原信浄らと共に大浦三老の一人にまで列せられた。

しかし後に為信と対立し、慶長5年(1600年)5月7日、梶仁右衛門によって久渡寺で暗殺された。

参考資料





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「森岡信元」の関連用語

森岡信元のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



森岡信元のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの森岡信元 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS