栂牟礼城とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 建物・施設 > 施設 > > 大分県の城 > 栂牟礼城の意味・解説 

栂牟礼城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/30 05:15 UTC 版)

栂牟礼城(とがむれじょう)は、大分県佐伯市弥生(旧南海部郡弥生町)大字井崎上小倉にあった日本の城山城)。大永年間(1521年-1528年)に佐伯惟治によって栂牟礼山に築かれたとされる。

概要

栂牟礼山は標高223.6m、比高差210mで、大友氏配下の佐伯惟治大永元年(1521年)に築城。

その後、大永7年(1527年)に大友義鑑が謀反の企てありとして臼杵長景に命じ、2万余の軍勢を引き連れて攻囲、攻めるが天然の堅固な要害で容易に落城させることができなかった。そのため長景は使者を遣わして和議を結び、惟治は城を明渡し日向国に落ち延びる。しかし途中、長景と通じていた土民に襲われ惟治は自害し、惟治の子も自害した。

関連項目





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「栂牟礼城」の関連用語

栂牟礼城のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



栂牟礼城のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの栂牟礼城 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS