杭皇后とは? わかりやすく解説

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杭皇后

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/15 03:21 UTC 版)

杭皇后
の皇后
在位 景泰3年5月2日 - 景泰7年2月21日
1452年5月20日 - 1456年3月26日

別称 粛孝皇后
出生 不詳
死去 景泰7年2月21日
1456年3月26日
順天府紫禁城
配偶者 景泰帝
子女 朱見済
父親 杭昱
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杭皇后(こうこうごう)は、景泰帝の2人目の皇后。

生涯

庶民であった杭昱の娘として生まれた。正統年間、郕王朱祁鈺(後の景泰帝)の邸に入り、側室となった。朱見済中国語版を産み、土木の変により景泰帝が即位すると、妃になった。

景泰3年(1452年)、景泰帝は甥の皇太子朱見深(後の成化帝)を廃すと、実子の朱見済を皇太子に立てようと図った。汪皇后が反対したが、景泰帝は激怒して汪氏を廃し、代わって杭氏が皇后に立てられた。父の杭昱は正三品指揮使に封じられた。しかし翌年、朱見済は夭折した。景泰7年(1456年)2月、杭皇后は崩じた。粛孝皇后された。

奪門の変後、重祚した英宗は実子の朱見深が廃太子された恨みを忘れず、杭氏を追降し(諡号を剥奪した)、杭氏の陵墓を暴き、杭氏の親族を貶めた。

子女

  • 朱見済(懐献太子)

参考文献

  • 『明英宗実録』
  • 明史

登場作品





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