本家クリスタルズの復帰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 14:39 UTC 版)
「クリスタルズ (アメリカ合衆国のグループ)」の記事における「本家クリスタルズの復帰」の解説
「Let's Dance The Screw - Part I」の謎多いレコーディングの時期を経て、1963年には本家クリスタルズが彼女たちの名前の下レコーディングに復帰。しかし、この時点でメアリー・トーマスは結婚して他のグループに移籍。同時に、デビュー以来リードをつとめていたが元来シャイでステージに弱かったバーバラ・アルストンに代わり、"ラ・ラ"・ブルックスがリードにコンバートされた。 「Let's Dance The Screw - Part I」に続く6枚目のシングルは彼女たちの代表曲となる「ハイ・ロン・ロン」(Da Doo Ron Ron)。この曲も最初はダーレン・ラヴとブロッサムズによってレコーディングされたが、リリース直前になってスペクターはラヴのリードのみを"ラ・ラ"・ブルックスのものに差し替えた。曲はアメリカ、イギリス双方でトップ10ヒットとなった。続く「キッスでダウン」(Then He Kissed Me)は「ヒー・ヒット・ミー」以来、本来のクリスタルズが全員レコーディングに参加した曲となった。しかし、ヒット・シングルを量産していたにもかかわらず、ラヴとブロッサムズの一件、ロイヤリティに対する不満、またスペクターが1964年以降クリスタルズよりもザ・ロネッツに力を入れ始めたことなどにより、グループとスペクターの関係は徐々に悪化していった。
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